私の腰は、一時期の酷い痛みからは脱却しているが、痛みは依然としていくらか残っている。現在の状況は、「走る、跳ぶ、重いのを持つ」はきついけれど、「歩く、軽いのを持つ」はできるので、腰に負担のある作業をしなければ日常生活に支障はない。
私の体の不具合は腰の他にもある。歯。2016年12月に半分から割れていた右下奥歯のグラグラしていたその半分が、今年2018年2月21日午後8時、グラグラしている方の外側半分がついに根元から抜けた。大人になってからは初の抜け歯だった。
その後しばらくは口内絶好調、痛い所が無くなって、右でも左でもよく噛めるようになって快食が続く。しかし、初抜け歯から1ヶ月も過ぎた頃から今度は左下奥歯の1本が痛みだした。その歯、4月中頃からグラグラ動いて、痛みもしだいに強くなり、5月になると物を噛むのも辛くなってきた。グラグラも酷くなり今にも抜けそうになっている。
そんなこんなもあって、つくづく自分の年齢を感じている。1ヶ月ほど前に、友人の1人が入院したと聞く。その後、彼と連絡がなかなか取れなかったのだが、彼の妻から連絡があり、脳出血だと聞く。「あー、俺たちもそういう年齢か」とさらに思う。
入院した友人Mとは30年来の付き合いがあり、彼の妻のY女とも25年ほど前からの付き合いで、最初の頃はキャンプなどで年に1度以上、その後も数年に1度は顔を合わせていた。Y女は若い頃から明るく元気な人で、それは今も変わらない。
彼女とメールのやり取りをし、大まかなことを聞く。入院したのは4月の初め頃、それから約1ヶ月間、リハビリに励んでいるが、まだ話の出来ない状態とのこと。
過日、Y女から「だいぶ良くなったので面会OK」の連絡があり、面会に行く。
ベッド上のMは、意識はしっかりしていたが、右半身不随で、言葉も未だはっきり喋れない。しかし私は、彼の言っていることの半分は理解できた。なぜなら、彼が頑張って意思を伝えようとしていたから。聞いている相手が理解できるようにと、左手で口の動きを補助しながら一所懸命しゃべる。そのお陰で私は彼の言葉の半分は理解できたのだ。
相手に自分の意思を伝えるのに一所懸命になる。そんな彼を見ていて、生きようとする力を感じた。彼の女房に訊いたら、倒れて入院して1ヶ月、随分回復していて、やっと2日前から、はっきりではないけど何とか喋れるようになったとのこと。
生きようと一所懸命にリハビリに励む友人、私はしかし、その妻であるY女の方に、より感心した。彼女はまだ成人前の、3人の子供をもつお母さん。彼女はまた、働くお母さんでもあり、車で片道30分ほどかかる職場まで自ら運転する車で通勤している。
少し想像した。朝早く起きて、子供達の面倒をみて、出勤し仕事をこなし、仕事が終わると病院へ直行し、夫の様子を確認し、すぐに家に帰って家事、子育てとなる。「大変だなぁ」と思うのだが、そんな大変な日常を送っているのに、彼女は明るい。
「チバリミソーリ」と私は彼女にエールを送った。チバリヨーという沖縄語はよく聞くであろう、気張れよの沖縄語読み、ソーリは丁寧語で「して下さい」となる。頑を張るのではなく気を張る、それが沖縄流。ちなみに、気張るは「気持を強く保つ」(広辞苑)という意。「気を張る力が強いんだな」とY女を見て、私は思った。
記:2018.5.18 島乃ガジ丸
夏旬菜
2018年、「沖縄地方が梅雨入りしたとみられる」とラジオから聞こえたのは5月8日、沖縄地方の梅雨入り平年値は5月9日とのことなので、今年はほぼ平年並みとなる。その日の午後の数時間、少しの雨が降り、そして翌日から・・・は降らず、11日までは概ね晴れ、雨はちっとも降らない。12日に少し降ったが、13日からは晴れて夏の日差し、最高気温も30度を超えもう夏の気候。雨は降らない。ホントに梅雨なの?
「梅雨入りしたとみられる」の5月8日は沖縄地方限定かもしれないが、語呂合わせでゴーヤーの日とのこと。ゴーヤーの日なるものがあると私は知らなかったが、ラジオからその情報を得、その2日後、八百屋へゴーヤーを買いに行った。が、ゴーヤーはまだ高値だった。出始めということで、まだ旬では無いのだ。で、買うのは止す。
既に手放してしまった畑だが、去年までの私のゴーヤーは、収穫できるほどの大きさになるのは8月に入ってからだった。自然農法を目指していたので肥料あげない私の畑ではゴーヤーも成長が遅く、花を着け実を生すのも時間がかかっていたのだ。
自分の畑で収穫したゴーヤー、前の前の住まい(宜野湾市我如古)に住んでいる頃までは炒めものにも揚げもの(稀だったが)にもしていたが、前の住まいに(西原町幸地)に移ってからは揚げもの料理は皆無、炒めもの料理もだいぶ減っていき、天ぷら鍋は西原町幸地へ引っ越す前に処分、フライパンも1つを残し、残る1つは先日処分した。
揚げもの料理をしなくなり、炒めもの料理が減ったのは、それらをやると台所が飛び跳ねる油で汚れるから、その掃除が面倒だったからだ。ということで、私のゴーヤー料理は何年も前から生で利用というのが増えていき、去年からはほとんど生料理。
ゴーヤーの生料理、私が作るものは、自分の畑で採れたものなら概ね薄くスライスしてポン酢かけるか、サラダ用のドレッシングをかけるかの簡単な物。タコ刺し、イカ刺しなどを細かく切って、それをスライスゴーヤーと和えることもある。以前は薄くスライスして塩もみして使うことも多かったが、去年からはそのままのことが増えた。店で買ったものの場合・・・ん?そういえば、去年、ゴーヤー買ったかなぁ、記憶に無い。
自分で作ったゴーヤーは無農薬なので生でも安心だが、でも、いや、やはり、店で買ったものでも、今なら生で食うと思う。塩揉みはするかもしれないが。焼きゴーヤーもたまに作って食うかもしれないが、油を使う料理はしないと思う。油が飛び跳ねたキッチン周りの掃除は面倒、腰痛でオジーになった今は想像するだけでとても面倒に感じる。
梅雨が来て、梅雨が明けると夏、あの灼熱の夏、梅雨明け平年値は確か6月23日だ、まだ40日ほど先のことだが、あの灼熱の太陽を想像すると、腰痛でオジーになった体で今年の夏を乗り切れるかなぁと少し不安に感じる。
ということで、夏バテ防止に良いゴーヤー、畑を辞めた今年は買わないとならないが、買ってでも食おう。何より、ゴーヤーは食べて美味しいのだ。
ちなみに、ゴーヤー和え物は古くから沖縄料理としてあり、沖縄語ではゴーヤーウサチと言う。ウサチが和え物という意。ミミガーウサチは豚の耳の和えものとなる。
ニガウリ(苦瓜):野菜
ウリ科の一年生蔓草 熱帯アジア原産 方言名:ゴーヤー
熱帯アジア原産で、沖縄では中国から渡来した。暑さに強い植物で、ヘチマやオクラと並んで沖縄の夏野菜の最上位にある。収穫も夏の時期が最も多い。
今や、全国的にゴーヤーとして知られているが、和名は苦瓜、別名を茘枝(れいし)、または蔓茘枝(つるれいし)という。「つるれいし」とあった。
熟した果肉は甘いらしいが、青い内に収穫し野菜として食す。
記:2018.5.14 ガジ丸 →沖縄の飲食目次
5月8日は、沖縄地域だけだと思われるが、ゴーヤーの日だった。ゴーヤーは野菜のゴーヤー、ウチナーンチュ(沖縄人)に愛されている食べ物のゴーヤー。ということでその日、ラジオからはゴーヤーの話題がいくつもあった。その中で、
「ゴーヤーは苦手、人間には苦いものは毒と感じる本能がある、だから本能の優る子供はゴーヤーが嫌い、毒は大人になっても毒に変わりないから、大人の私がゴーヤーを嫌うのも当然」といった内容のことが語られた。それに対し私は初め「ふーん、まあ、そういう人もいるんだ」とだけの感想であったが、その後、「そうか、ゴーヤーの日か、今日はゴーヤーにするか、ゴーヤーの和え物を作って晩酌の肴にするか・・・いやいや、今日は休肝日だった。ゴーヤーは明日にしよう」とあれこれ思い、「ゴーヤーは生(ゴーヤー酢など)でも炒めて(ゴーヤーチャンプルー)も、天ぷらにしても旨いよな」と、それらの料理を思い浮かべながら、「そうだぜ、苦みにも美味さがあるだよ」と、ラジオから聞こえた「大人の私がゴーヤーを嫌うのも当然」に対して少し反論したくなった。
おっしゃる通り、毒に対する本能的拒否はたぶんあると思う。しかしながら、人生を経験していく内に、「これは酸っぱいけれど腐ってはいないぞ、これは苦いけれど毒ではないぞ」などと学んで、生きるための食い物の幅を広げていくのではないかと思う。人が野生として生きていた頃の話になるかもしれないが、自然の中にある、人間の食料となるものが多ければ多いほど生きていく可能性は高くなっていく。「これは水で洗えば安全、火を通せば安全、あく抜きすれば安全」などといったことも学んでいくと思われる。
学んだことを子孫に伝え、子孫はそれを学んで、そして今、我々は何の恐れも無くタコを食い、イカを食い、ウニを食い、ナマコを食い、イナゴを食い、ハチノコを食う。生きるための食料として「美味い」と思えないものだって生きるために食う。
想像するに例えば、タコ、イナゴ、ハチノコなどは見た目で食うのを躊躇するかもしれないが、ゴーヤーはブツブツしているだけで「見た目が不味そう」には見えない。で、食ってみる。ゴーヤーは沖縄の糞暑い夏に収穫できる。収穫したゴーヤーを食べていたら夏バテしなくなったなんて話が伝わる。さらに、ゴーヤーのその苦さが旨さに感じられるような調理法(チャンプルーや天ぷら)が発見され、それもあちこちに伝わり、「あーホントだ、ゴーヤーって美味しいんだ」なんてことがあったのかもしれない。
ゴーヤーだけでは無い、沖縄には苦くて美味しい食材がいくつもある。身近にはフーチバー(ヨモギ)、ンジャナ(ホソバワダン)、サクナ(ボタンボウフウ)など。中でも私はフーチバーが好きで、若い頃はフーチバージューシー(雑炊)や魚汁などの具材で食うことが多かったが、オジサンとなってからはフーチバー単体で、お浸しで食うことが増えた。そういえば、ゴーヤーもゴーヤーだけで酢の物にして食うことが増えた。
「苦みは薬になる」ことをある医者が発見し、「苦みは旨味になる」ことをある料理人が発見し、苦みの良さが知られていく。ゴーヤーは「苦み走った良い味」なんだと理解されていく。あれこれ化学物質が混入された加工食品を美味いと感じることの方が危険であろうと私は思う。ちなみに、私の顔は苦み走っていない、ふにゃけた顔。残念。
記:2018.5.11 島乃ガジ丸
パン屋のパン
パンは子供の頃から食べていた。学校給食のパン、家で食べる食パン、菓子パンなどだが、酒を飲むようになって(二十歳頃ということにしておこう)、すぐにワインも飲むようになったが、ワインにはフランスパンが合うということに気付いて、フランスパンもよく食べるようになった。硬いもの、噛むほどに味の出るものは私の好みとなる。
パンについては既に、2014年7月6日付記事、沖縄の飲食『パン作り』で紹介しているが、その中で私は、私の無知をさらけ出している。それまでフランスパンというのはフランス発祥で、細長くて皮の硬いパンであるという認識でしかなかった。
記事『パン作り』の中で、パン屋の若い店員に「フランスパンはないですか?」と訊いて、「バゲットのことですね」と応じられ、「何だい!いつからフランスパンがバゲットなんて名前になったんだい!パン屋の店員なら、フランスパンという昔の名前でも対応せんかい!それが年寄りに対する親切ってもんだ!」とその時思ったと書いてある。
その記事『パン作り』を書く時に少し調べ(と言っても広辞苑を引いただけ)て、フランスパンとは「塩で味を付け皮を固く焼いたパン。普通、拳形、また細長い形に作る。バゲットなど」であり、バゲットを調べると「長い棒状のフランスパン」とあり、「フランスパンにもいろんな種類があるんだ」ということを知った。
同じく記事『パン作り』の中で、「以前住んでいた首里石嶺のアパートの近くにあったパン屋さんのライ麦パンが硬かった。私好みのパンで、遠くへ引っ越した今でもたまに行って、それを買い、ワインの肴にしている。」と書いてある。「遠くへ引っ越した」という住まいは宜野湾市我如古のアパート、2016年12月に西原町幸地に引っ越して、そこからその記事にあるパン屋は車で5分ほどなので、たびたび買いに行っていた。
西原町幸地に引っ越して、そのパン屋にたびたび通うようになって、これまでに無かった新商品があることに気付いた。長さ25センチ程の見た目はよく見るフランスパンであるが、その名は「プチバタール」となっている。大学生の頃、第二外国語がフランス語だったので、プチが「小さい」という意味であることは知っている。バタールとはきっとバターと関係あるなと想像し、「バターを練り込んだ小さなパン」だと判断し、購入。
家に帰ってプチバタールを食う。バターの香りはしない。「なんじゃい、普通のフランスパンじゃねーか?」となる。でも、フランスパンの好きな私なので、その味に満足。しかも、その大きさが1人者で小食者の私には好都合、ちょうど私の2食分。
その後、月に2度ほどはその店に通い、プチバタールとライ麦パン(1個で私の1食分となる)を買い、概ねその日の晩飯、翌日の朝飯昼飯となった。
今の住まい(宜野湾市野嵩)から徒歩1分の所にパン屋さんがあって、4月の初め頃だったか、中を覗くと、フランスパンがその名前で店頭に並んでいた。早速購入し、家に持ち帰って食べる。いかにもフランスパンで、皮が硬く、美味い。
その後、週に1~2度はその店へ通ってフランスパンを買っていた。その店は若い(30代と思われる)お兄さんが1人でやっている。「1人でやっているんですか?」と訊いて、「そうです」と応えてくれたのでそれは確か。そして、
「この店はフランスパンをフランスパンという名前にしていますね。最近、他のパン屋さんではバゲットって名前になっていますよね。」と尋ねる。
「バゲットはフランスパンの1種です。フランスパンには形や大きさによっていろいろ種類があります。」と教えて貰った。棒状のものでもバゲット、バタール、パリジャンなどの種類があるとのこと。ただ、その店には棒状、長さ30センチ余の1種だけがあり、それをフランスパンという名前で売っている。
先日、首里石嶺のパン屋さんへ久々に行って、久々のライ麦パンを購入。その時、プチバタールは買わなかったが、その奥の籠に棒状のパンが名札と共にいくつも並んでいて、名札にはプチの付かないバタールがあり、バタールより細く長いバゲットがあり、太さはバタールほどで長さはバゲットより長いパリジャンなるものがあることに気付いた。
古くからいる店員の小母様に「あそこにあるものは皆フランスパンの種類なんですね」と確認すると、ニコッと笑って肯いてくれた。フランスパンの種類は他にもあった。帽子を被ったような形の拳大のもの、それより大きめでボタっとした形のものなど。
その時、いつもなら買っているプチバタールを買わなかったのにはわけがある。その前日に近所のパン屋で、大きさ形はバタールに似ているが、色が違っているパンを買っていて、主食となる食料は間に合っていたから。そのパン、買うのは2度目、前に買って食べて、「歯応えはフランスパンに劣るが、味はこっちの方が俺好みだぞ」と感じ、パンを食うなら、しばらくはこのパンにしようと決めていた。
その黒っぽいパンを買うきっかけになったのは、同じ店で1ヶ月ほど前に購入したラスク、そのラスクが、私がこれまでに食べたラスクの中でも一番美味しかったから。ガーリックラスクでもシュガーラスクでもメイプルラスクでも無い、棒状のパンを輪切りにしてそのままラスクにしたもの。「特に味はつけていません」というラスク。
この1ヶ月の間に、そのラスクは4~5回購入(買いに行って無い日もあった)している。概ねワインの肴にしているので、この1ヶ月にワインは、少なくとも4~5回、ではない、10回ほど飲んでいる。ラスク1袋は、私のワインの肴として2回分はある。とにかく、私にとってはとても美味しいラスク。そのままでもチーズをのせても良し。
で、その美味しいラスクの元になっているパンは何?と興味を持ち、若い御亭主に訊いた。「これです」と彼が指し示してくれたのが黒っぽいパン、名札には「全粒粉パン」と書かれてあった。全粒粉だから黒っぽいようである。その色、そういえばライ麦パンに似ているなぁと気付く。ライ麦パンもまた、ライ麦の全粒粉で作られるらしい。
ライ麦パンや全粒粉パンの栄養価についてはよく知らないが、そのイメージからして米で言えば玄米のようなものだと思われる。近くのパン屋さんの全粒粉パン、その味を私は気に入ってしまった。1個で私の2食分はたっぷりあるので、1食の主食代は100円ほどとなる。芋(サツマイモ)も食うけど、パンを食うならこれにしよう決めた。
記:2018.5.8 ガジ丸 →沖縄の飲食目次
先週のガジ丸通信『肌荒れの元』の最後に「お菓子や駄菓子、スーパーの惣菜(食品添加物が多い)などの食い過ぎか?とも思う。肌荒れは、そういった不自然な食事のせいかもしれない」と書いたが、そう思い始めたのは4月の中頃で、その頃から食事に気を付けるようにしていた。毎食ではないが(週に5~6食ていど)芋食を復活し、4月25日には玄米食も復活させた。駄菓子などのジャンクフードは減らした。
私が腰痛持ちになったのは去年(2017年)の夏頃からだが、それまで主食の半分は芋で、さらにそれ以前の主食は概ね玄米だった。玄米から芋に替わったのは、玄米は買わないといけないが、芋は畑を掘れば只で手に入るから。生活費削減の一環。
「芋さえあれば俺は生きていける」と思い、自給自足芋生活を目指して、約5年前300坪の畑を始めたのだが、「腰痛になると芋掘りもできない」ということに腰痛になってから気付いた。「芋掘りができなければ生きていけないじゃないか」とも気付く。
芋食は去年(2017年)7月までは順調にできていた。日記を調べると7月8日のページに「芋掘りする、7食分ほど収穫する」と書いてある。しかし、それ以降私は芋掘りをしていない。芋食もしていない。芋食が復活したのは2018年4月2日。その芋は自分の畑の芋ではなく、市販の焼き芋。時々通っている八百屋にあったもの。
その芋はたぶん安納芋、蜜たっぷりでとても甘い。その甘さは私好みではなかったが、1袋が少量(私の1食半)で安い(150円)。その量と値段には満足。4月は結局、後半はほとんど毎日(1日1食)芋食となり、1ヶ月で計14日間は芋を食っていた。
「芋掘りができなくても生きていけるじゃないか、金さえあれば」と気付く。「しかも1日3食芋にしたら、主食は1日300円、副食に味噌汁と漬物を足したとしても食事代は1日500円で済むかもしれないぞ、月に1万5千円だ、楽勝だぜ」と思う。
ただ、安納芋は甘すぎる。その後、他のスーパーでも焼き芋を買ってみるが、どれも黄色い芋で、やはり甘い。甘いのは飽きる。1日3食これを毎日繰り返したら芋が嫌いになる恐れもある。沖縄のベニイモなどは程良い甘さなのだが、それを求めているのだが、沖縄産の生芋は八百屋にあったが、沖縄産の焼き芋にはまだ出会っていない。
実は、3月下旬頃から時々頭痛がするようになった。若い頃、二日酔いで頭痛という経験は何度もあるが、オジサンになって深酒しなくなってからは頭痛をあまり経験していない。さらに、最近は時々肩凝りもしている。「腰痛から来る頭痛か?それとも血管の問題か?脳梗塞とかいったものの前兆か?肩凝りもそのせいか?」などと考える。
頭痛は長く経験ないが、肩凝りは勤めている頃(10年程前)にはよくあった。その頃の仕事はほとんどパソコン作業だったので、眼精疲労から来る肩凝り・・・そうか、このところ畑へは週に2~3日、それも午前中の3~4時間しかいない。余った時間は何をしているかというとパソコン作業だ。そうか、それで頭痛と肩凝りなのかと判断。
まあ、ともかく、芋食が復活し、玄米食も復活した私の食生活、芋食玄米食となって2週間ほど経った4月終わり頃になると、腰痛はまだ続いているが、体調は良い。
4月上旬に口角にできた吹き出物、同じ頃から出ていた尻、腿の痒みも今はもう消えている。痒みについてはアロエのお陰かもしれないが、食のお陰も大きいと思う。
記:2018.5.4 島乃ガジ丸