goo blog サービス終了のお知らせ 

玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

E・T・A・ホフマン『悪魔の霊酒』(2)

2015年04月28日 | ゴシック論
 ちくま文庫版『悪魔の霊酒』上巻のカバーにはドイツ16世紀の画家マティアス・グリューネヴァルトの〈聖アントニウスの誘惑〉という作品が使用されている。聖アントニウスの誘惑をテーマに描かれた作品は美術史上多数あって、ヒエロニムス・ボッシュやミケランジェロ、ルドンなどの作品が有名だ。20世紀になってもマックス・エルンストやサルバドール・ダリがこれをテーマに描いている。
 しかしグリューネヴァルトの〈聖アントニウスの誘惑〉ほどに、グロテスクで醜怪な作品は他にはない。聖人を誘惑する(というよりも攻撃する)化け物どもの奇怪な姿だけではなく、実際に伝染病にかかった皮膚の人間らしき者も描かれていて、そのリアルな描写は他に類を見ない。
 さて、ホフマンの『悪魔の霊酒』は聖アントニウスを誘惑するために悪魔が使ったとされる霊酒が修道院に残されていて、それを飲んだメダルドゥスが悪の道へ陥っていくという物語であり、“聖アントニウスの誘惑”が重要なモチーフになっているので、筑摩書房がグリューネヴァルトのこの作品をカバーに使った意図は十分に伝わってくる。
 ちなみに下巻のカバーに使われているのもグリューネヴァルトの作品で、こちらも〈イーゼンハイム祭壇画〉に含まれる〈天使の奏楽〉という作品。こちらは天国のイメージを持った対照的な作品で、メダルドゥスの救済を象徴するものとして選択されたのだろう。
 では、なぜグリューネヴァルトかと言えば、『悪魔の霊酒』はホフマンが影響を受けた『マンク』以上にグロテスクで醜怪な作品であるからであり、世に多くある〈聖アントニウスの誘惑〉の中で最もグロテスクなグリューネヴァルトの作品でなければならなかったのだろう。
 後で詳しく書く予定だが、『悪魔の霊酒』は『マンク』に比べてより濃密なゴシック性をもった作品である。『マンク』には歴史的な奥行きはないが、『悪魔の霊酒』は聖アントニウスの伝説を踏まえて、より遠い時代の反響を届かせている。
 また、登場人物の重層性において『悪魔の霊酒』は『マンク』を遙かに凌いでいて、主人公からその祖先までの年代は五世代にも亘っている。ゴシック的であるという意味の一つに“因縁”ということがあると思うが、主人公メダルドゥスは四世代前の先祖の“因縁”に縛られているのである。つまり血縁のゴシック性が『悪魔の霊酒』の主要な背景になっているのだ。


グリューネヴァルト〈聖アントニウスの誘惑〉部分


グリューネヴァルト〈天使の奏楽〉部分