玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

アロイジウス・ベルトラン『夜のガスパール』(4)

2015年04月14日 | ゴシック論
 悪夢の精スカルボは「ゴチック部屋」の他にもいくつかの詩編に登場する。もちろん第三の書二番目の「スカルボ」にも。しかし本編に置かれた「スカルボ」は、本来は「スカルボ」ではなく原題は「死衣」Linceul(経帷子だと思う。訳者は注で「死衣」と書いているが、本文に何度もlinceulが出てくる)だった。
 内容的にもスカルボが“私”の死後「経帷子のかわりに蜘蛛の巣を着せ、蜘蛛と一緒に埋葬してやろう」と言うのに対し、“私”が抗議するというものになっている。せめて“白楊の葉” une feuille du trembleを経帷子として欲しいと“私”は言うのである。だから「Linceul」のタイトルがふさわしい。
 もともとの「スカルボ」は原稿から除外されて、遺稿として発見された作品で、『夜のガスパール』では巻末の「作者の草稿より抜粋したる断章」の中に収められている。モーリス・ラヴェルが曲にしたのは原稿からはずされた「スカルボ」の方で、こちらの「スカルボ」の方がロマンチックな苦悩を描いていて分かりやすい。
 たとえば原「スカルボ」は
「ああ! 幾度私は奴の声を聞き、奴の姿を見たことか、スカルボを! 黄金の蜂を散りばめた紺青の旗の上に、月が銀の楯のように輝く真夜中に!」
と始まり
「しかしまもなく奴の身体は蝋燭の蝋のように青ざめ透きとおり、その顔は燃え残りの炎のように青白く、――そして突然消え失せた。」
と終わる。
 新「スカルボ」と比べて単純であり、ゴシック的要素も少ない。ベルトランが捨てた理由も、ラヴェルが拾った理由もよく分かろうというものだ。
 他にもスカルボは「白痴」Le Fouと「小人」Le Nainという作品にも出現していて、第三の書全体の残酷なトーンを支配している。そして第三の書の中で最もゴシック的な作品と言えるのが「夢」Un rêveという作品であろう。
「それから次に私の見たままを語れば、――喪を告げる鐘の音とそれに応える独房の啜り泣き、――小枝の葉っぱの一枚一枚をおののかせる哀しい叫びと惨忍な哄笑、――刑場に引かれる囚人につきそう、黒衣の告解僧の唸るような祈りの声」
 まるで『マンク』や『放浪者メルモス』の一場面を思わせるような一編である。しかしこれもまた“夢”である。ベルトランにとってゴシック小説は見果てぬ夢であったのである。