玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

アロイジウス・ベルトラン『夜のガスパール』(6)

2015年04月17日 | ゴシック論
 私は若い頃、モーリス・ラヴェルとヨハン・セバスチャン・バッハ以外の音楽をまったく聴かないという3年間を過ごしたことがある。バッハはともかくとして、ラヴェルの曲は声楽を含めて殆ど聴き尽くした。
 その中でも〈夜のガスパール〉は特別な曲で、今でも大好きなピアノ曲である。ということで、ベルトランの原詩とラヴェルの曲とを読み比べ、聞き比べてみることにした。音楽は素人なのでご容赦を。
 まずはベルトランの「ONDINE」から(序詩は省略する)。

                    ONDINE

— « Écoute ! — Écoute ! — C’est moi, c’est Ondine qui frôle de ces gouttes d’eau les losanges sonores de ta fenêtre illuminée par les mornes rayons de la lune ; et voici, en robe de moire, la dame châtelaine qui contemple à son balcon la belle nuit étoilée et le beau lac endormi.

» Chaque flot est un ondin qui nage dans le courant, chaque courant est un sentier qui serpente vers mon palais, et mon palais est bâti fluide, au fond du lac, dans le triangle du feu, de la terre et de l’air.

» Écoute ! — Écoute ! — Mon père bat l’eau coassante d’une branche d’aulne verte, et mes
sœurs caressent de leurs bras d’écume les fraîches îles d’herbes, de nénuphars et de glaïeuls, ou se moquent du saule caduc et barbu qui pêche à la ligne. »

Sa chanson murmurée, elle me supplia de recevoir son anneau à mon doigt, pour être l’époux d’une Ondine, et de visiter avec elle son palais, pour être le roi des lacs.

Et comme je lui répondais que j’aimais une mortelle, boudeuse et dépitée, elle pleura quelques
larmes, poussa un éclat de rire, et s’évanouit en giboulées qui ruisselèrent blanches le long de mes vitraux bleus.

 第1連は極めて抒情的である。それが最終連とのギャップを用意しているのだが、それはラヴェルの〈Ondine〉でも変わらない。〈Ondine〉は音の雫のような細かい高音の連続で始まるが、原詩の方はÉcoute ! — Écoute !というオンディーヌのいささか強い響きの呼びかけに始まる。ここはラヴェルが“水の精”の登場を描写している部分であり、この相違はやむを得ないものだと思う。大きな違いは冒頭の部分だけで、ラヴェルは原詩に極めて忠実に作曲していると言える。
 Écoute ! — Écoute ! — C’est moi, c’est Ondine……の部分が第1主題として左手で演奏される。それが様々に展開されていき、やがて第2主題が現れてくるが、それはオンディーヌが“私”を湖の底にある水のお城へと誘う科白に対応しているようだ。
 原詩では第3連にÉcoute ! — Écoute !が再度現れるが、それに対応しているのが、第1主題の再現ということになるのだろう。それにしても間断なく続く高音の細かい連続が、水そのものの振る舞いを思わせて美しい。
 ラヴェルの水にまつわる曲は〈オンディーヌ〉の他に〈水のたわむれ〉Jeux d’eauと〈海原の小舟〉Une barque sur l'oceanがあるが、いずれも高音の細かい連続において共通している。ただし〈Ondine〉は他の2曲と比べて、低音部が強調されて不気味な雰囲気が表現されているように思う。ラヴェルもまた〈Ondine〉を単に抒情的でロマンティックなだけの曲に終わらせていないのである。
〈Ondine〉のコーダはベルトランの原詩の最終連に対応している。オンディーヌは“私”に嫌われてしまうと、elle pleura quelques larmes, poussa un éclat de rire……。この部分も〈Ondine〉を聴いていると手に取るように分かる。ラヴェルはベルトランの原詩にあくまでも忠実なのである。
 コーダの最後に右手で軽くたたく和音。唐突に曲は終わる。それは詩句s’évanouit(消え去った)に対応している。原詩はbleus(青い)で終わるが、音楽は時系列的に進行せざるを得ないからここもやむを得ないだろう。見事な終わり方である。