玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

アロイジウス・ベルトラン『夜のガスパール』(3)

2015年04月13日 | ゴシック論
 第1の序「夜のガスパール」の次には、この詩集の二つの性格を宣言する第2の「序」が控えている。この「序」の署名は「夜のガスパール」。しかし当然のことながら、そこにはベルトラン自身が意図したものこそが語られている。次のように。
「芸術は常に相対峙する二つの面を持っている。言ってみれば、片面はポール・レンブラントの、もう片面はジャック・カローの風貌を伝える、一枚のメダルのようなものである」
 レンブラントの名前を“ポール”と書いているのはベルトランの間違いで、正しくはもちろんレンブラント・ファン・レインであり、あの〈夜警〉で有名な17世紀オランダの画家である。一方ジャック・カローはやはり17世紀イタリアの版画家で、軽妙で戯画的な作品を多く残した。つまり芸術というのは重厚沈着で厳粛な要素と、軽妙洒脱かつ猥雑な要素の両方を併せ持つと言っているのである。
 そしてこの散文詩集で実現されているのも、この二つの要素、あるいはそれらが絡み合ったものということになる。またこの序で名前の挙げられている、アルブレヒト・デューラー、ブリューゲル父子、ムリロ、フュゼリなどの絵画作品にインスピレーションを得て書かれた作品があることも、ここで示唆されている。
 詩集は第一から第六の書に分かれている。第一の書「フランドル派」École Flamande、第二の書「古きパリ」Le Vieux Paris、第三の書「夜とその魅惑」La Nuit et ses prestiges、第四の書「年代記」Les Chroniques、第五の書「スペインとイタリア」Espagne et Italie、第六の書「雑詠」Silvesとなっている。
 ここで、前に取り上げたイジドール・デュカスの『マルドロールの歌』もまた、第一歌から第六歌までの構成であったことを思い出してもよい。デュカスが同じ散文詩である『夜のガスパール』を参照しなかったはずはないので、影響関係を探ることは可能と思うが、今は触れない。
 集中、最もロマン主義的で、ゴシック的意匠に彩られているのは第三の書「夜とその魅惑」であろう。最初の作品は「ゴチック部屋」と題され、いきなり“スカルボ”のオプセッションが現れてくる。“スカルボ”はベルトランが創造した“悪夢の精”であり、それは「私の首に噛みつき、かまどで真っ赤に焼けた鉄の指を差しこんで、血まみれの傷口を焼き切ろう」とするのである。


レンブラント〈テュルプ博士の解剖学講義〉


カロ〈二人の道化師〉