もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

高市早苗議員の記者会見に思う

2021年09月09日 | 与党

 高市早苗議員の総裁選出馬表明の記者会見での騒動が報じられた。

 各種の情報を総合すると、質問者に指名されなかったフリーランスの横田一氏が、会見終了間際に質問に名を借りたヤジとも罵声とも取れる内容を怒号したものである。
 横田氏の発言は、森友・加計問題の再調査に関連して安倍元総理との関係を「傀儡」「忖度」という言葉で質したとされるが、総理も見据えた公党総裁選の候補者が「ハイ傀儡です・忖度します」と云うわけもなく、横田氏の言動は単に騒擾と自己顕示のためになされたに過ぎないように思える。横田氏は、小池新党設立の際に小池氏から「旧民進党員の排除」を引き出したことで名を挙げたとされるので、「夢よ再び」のもとに行われたのかも知れない。
 高市氏の会見記事を読むと、国家指導者として必要な、憲法、危機管理、経済、皇統維持等の基本戦略を明確に示しており、これまでの、更には今回の、総裁選候補者とは一線を画すものと評価できるものと思う。
 横田氏発言や後述する4野党共通政策にも堂々鎮座している「森友・加計学園問題の再調査」なるものは、果して国家の経綸を左右するほどの問題であろうか。森友学園は個人の犯罪に過ぎず、加計学園問題は公務員獣医師の不足解消を阻害する文科省の学部許認可の是非こそ問われるべき問題であり、それらを国政・国家運営の一大事とするのは、国家戦略と国政を井戸端会議レベルに矮小化する試みに思えてならない。
 東京(中日)新聞の望月衣塑子記者と横田一氏に共通しているのは、ジャーナリストの思い上がりであるように思える。取材内容を分析して記事にする際に本人の思想が投影されることは当然としても、異なる主張に対しても謙虚に耳を傾けるべきで、取材対象者に対しては敬意を払わなければならない。そのことから言えば、公の会見の場を自己主張の場とし、対象者を見下す両者は、ジャーナリストを名乗るには相応しくないように思える。

 立民・共産・社民・れいわの野党4党が、安保関連法の廃止を求める「市民連合」と共通政策を締結した。曰く「憲法改悪反対」「辺野古移設反対」「医療・公衆衛生整備」「消費減税・富裕層の負担教化」「原発のない脱炭素社会追及」「夫婦別姓等の人権擁護」「モリ・カケ・サクラの真相究明」となっている。一見すれば中流以下の自分には有難い世の中の到来を約束するものであるが、この政策が10年間継続したならば、富裕層・知識層・研究者・大企業は海外に逃げて、日本には、現在よりも3倍ほど高い電気料金にあえぐ貧民が、家族構成も不明な隣人とともに中国の脅威に怯えながらも「モリ・カケ」の顛末だけを唯一の拠り所として生活していることだろう。