立憲民主党の松原仁議員(66歳)が、離党届を提出したが執行部は保留しているらしい。
離党の理由は、活動の拠点としていたから旧東京3区(品川区・島嶼部)が「十増十減」に伴って東京3区と東京26区に分割されることに起因している。
松原議員は、新設の東京26区からの出馬を希望しているものの新3区に擁立する意向の泉執行部・都連と対立して解決の目途が立たないことを挙げ、来る総選挙には無所属で新26区(目黒区、大田区北西部)から立候補するとしている。
松原議員の渡り鳥生活を列挙すると、
・大学卒業後、松下政経塾に入塾(第2期生)
・1985年 新自由クラブ公認で都議選に出馬するが落選
・1989年 無所属(税金党推薦)で都議選に初当選し、当選後に自由民主党に入党
・1994年 新進党結党に参加
・1996年 任期途中で第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で出馬し落選
・2000年 第42回衆議院議員総選挙に民主党公認で出馬し当選
・2003年 第43回衆議院議員総選挙でも再選、以後、石原宏高議員との死闘を繰り広げつつも比例の音型等もあって現在まで8回の当選を果たす。
・2009年 民主党代表選で鳩山由紀夫氏の推薦人となる。
・2011年 野田内閣で国交副大臣
・2012年 野田第1次改造内閣で国家公安委員会委員長として初入閣
・2013年 民主党国会対策委員長、民主党東京都連会長
・2016年 空中分解した民主党が改称した民進党に参加
・2017年 民進党に離党届を提出し、「希望の党」設立に参加・総選挙では希望の党公認で出馬・当選
・2020年 立憲民主党に入党
・2023年 立憲民主党に離党届を提出 となる。
この政治遍歴を眺めると、松原議員の来し方はホボ自民からホボ共産までの呉越同舟船とされる立憲民主党の中にあっても際立っているように感じられが、出処判断の基準を「思想・志操は捨てても勝馬に乗る」に置いておられるかと観れば納得できる。
船が遭難した場合には沈没する前に先ず船内に巣食っているネズミが逃げ出すとされているが、変わり身に早い松原議員の行動は立民沈没の予兆であるかもしれない。