もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

滅私奉公・減私奉公

2023年06月02日 | 世相・世論

 異次元の少子化対策についての財源問題が大きく取り沙汰されている。

 政府は国民の負担を極力縮小するよう企画・調整中とされているが、どのような策を採っても幾ばくかの負担増は避けられないと思っている。
 これに関しては、テレビでは多くの識者が「政府はもっと知恵を絞れ」と言を結んでいるが、論述の端々や言外には財源捻出のためには「防衛費の圧縮」と「国債の発行」が垣間見えるものが多い。
 大東亜戦争後には、自分の父親を含めて朝鮮・満州・南洋諸島に生活基盤を築いていた人々は、不動産はもとより動産の多くが軍票や戦時国債であったために、一挙に全財産を失うという辛酸をなめた。自分の記憶でも、「満期時には家1軒立てることができると計画していた定期貯金」が満期を迎えて数百円の払い戻しを受けて苦笑していた父親の顔を記憶しているが、それらについても貨幣価値を物価スライド換算して払い戻せという世論は起きなかったと思っている。おそらく父親世代では、明治以降の教育で「国家の苦難は国民が苦難を分担する」という観念が共有されていたのだろう。
 この幼少体験をもとに現在の財源問題を眺めると、「国家の苦衷は国民とは別問題」、「少子化対策は大いにやりなさい。しかしながら我々は負担しない」と宣言しているように見える。国難に際して命も危うい兵役に従事し・国策に従って海外雄飛を志した結果、或いは戦場に散華し、生きながらえることができた場合も資産の殆どを失ったにもかかわらず、国民の義務の一端と歯を食いしばったであろう父親世代の国家観を考えると、現在の世相を牛耳っている日本人の拝金万能国家観は極めて危うい様に思える。

 「滅私奉公」は現在では死語となっているが、国策の変革には国民の負担増が不可欠であることを思えば、復活して欲しいフレーズであるように思える。「滅私」が過大であるならば、せめて「減私」でも良いと思っている。現在の行き過ぎた感ある「出すのは舌でも嫌」・「貰えるものは一円でも多く」の世相を改めて、国民が一丸となって少子化対策を成功させるために「減私奉公」の精神を思い起こそうではありませんか。
 既に決定事項であるタバコ増税に従わざるを得ない意志薄弱喫煙者の繰り言と思うなかれ、日本でも根強い人気を保っているケネディ大統領も就任演説で『国家が諸君に何を為し得るかを問い給うな。諸君が国家に何を為し得るかを問い給へ』と警鐘されている。