もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

チャンドラ・ボース氏の遺骨

2023年09月26日 | 歴史

 今も未だチャンドラ・ボース氏の遺骨が日本にあることを知った。

 インド独立の英雄としてガンディー氏と功を二分するボース氏の遺骨であれば、当然に帰国しているであろうと思い込んでいたので、ボース氏のその後についてWikipediaで勉強した。
 ボース氏は、英国を駆逐するためには日本と結ぶのが得策と判断し、自由インド臨時政府軍を率いてインパール作戦に従事するなどインドの武力解放に奔走したが、日本の敗戦に伴って新たな支援・同盟先としてソ連を想定し、2045年8月18日に台北の松山飛行場から日本軍の九七式爆撃機で大連へ向かおうとして離陸に失敗して火傷を負って死亡したとされる。
 ボース氏の遺体は8月20日に荼毘・法要が営まれた後、9月5日に日本に移送、9月18日に杉並区の日蓮宗蓮光寺で葬儀が行われたとなっている。
 ボース氏の遺骨が未だ日本に留め置かれているのは、独立当時の指導者が暗殺されたガンディー氏と行を共にしたインド国民会議派のネール氏であったことも大きい様であるが、日本がボース氏の死亡を公表した際には、死亡は独立運動継続のカバーストリーで、偽名で生存しており遺骨もボース氏ではないと云うのが大方の見立てであったことも大きい様である。
 さらに、ガンジー(ネール)の非暴力不服従路線と違い、ボース氏が多くの犠牲を出した点や、日本やドイツと手を組み、更にはソ連とさえ結ぼうとしたことなどから、活動自体に否定的な見方も存在するようである。

 独立後のインドを主導したネルーは、10年以上ボースの話題を口にせず、ラジオでも極力報道しないよう指導し、国会議事堂の中央大ホールにもガンディー、ネール両氏の肖像画のみ掲げていたが、1978年にはそれに並んでボース氏の肖像画も掲げられるようになったとされるので、ネール氏の呪縛から解放されて以降は、ボース氏も正当に名誉回復・復権を果たしているように思える。
 一方で、遺骨の引き取りについては、インド政府が設けた3回の公式の調査委員会でも「遺骨については別人」と結論付けているので、遺骨の帰国は絶望的であるように思える。
 遺骨が安置されている蓮光寺では毎年供養の法要を行っており、在来日インド人の参列も多いとされるが、在日公館関係者の参列は無いとされる。

 自分は、独立後のインドを長年率いた首相を「ネール」と覚えていたが、Wikipediaなどでは「ネルー」と表記されている。何時から変わったのかは不明であるが、また「取り残され感」が一つ増えた思いがする。


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