総選挙で日本維新の会が躍進した。
左翼的傾向が強いメディアやネトサヨの世界では、維新の会は「や(野)党」・「よ(与)党」でもない「ゆ党」であると揶揄することが多い。
自分は、政権を目指し、政権を担当し得る政党は全て「ゆ党」であるべきで、「ゆ党」のうち時の信任審判を得た政党が「よ党」と呼ばれるに過ぎず、政権を担任できない若しくは政権には絶望的な主張をする政党や、国体の変革まで標榜する政党を「や党」と呼ぶべきと思っている。
イギリス下院を例にとれば、勢力で保守党(365)、 労働党(203)、 スコットランド国民党(48)、 自由民主党(11)、その他の政党(23)となっており、労働党と保守党で多くの支持を得た方が政権を担うことが例となっているが、労働・保守党の何れが政権を握って「よ党」となろうとも、君主制は維持されるしNATOを基調とする国防態勢は不変である。自分の図式に当てはめれば、政権担任可能な労働・保守の両党のみが「ゆ党」であり、その他の政党を一律に「や党」と呼ぶことになる。
日本に立ち返れば、政権を委ねても国体と防衛に大きな変化が無い「ゆ党」は自民党・維新の会・国民民主党で、政権の座に就けば国体を変革するであろう公明・立民・共産・社民・れいわの各党が「や党」であると思っている。
今回の総選挙で立民が惨敗したのは、共産党と連携することで立民が立憲君主制(天皇制)という政体の変革や日米安保の弱体化・破棄を内包すると観られた結果で、立民が政権担当格付けで「ゆ党」に値しないと判断されたものと思っている。
今次総選挙における枝野戦略は自ら「ゆ党」⇒「よ党」の道筋を閉ざした愚行に思えるし、閣外協力をも容認したものであれば、日本を社会主義国に変革しようとする地ならしの一端と観ることも可能である。立民政権で制定する法律の1条文・付則であっても、共産党思想が投影することにでもなれば、日本の左傾化は急坂を駆け下る土石流の様相を呈することになるだろう。
一部のネトサヨには、今もって共産党との選挙協力が「一定の成果を挙げた」との主張もあるが、権力を握るために政治信条を弄んだ枝野氏は「政治家としてのレッドラインを越えた」若しくは「政治信条が無い」のかも知れない。
終戦後、GHQから東条英機総理との思想確執を問われた石原莞爾氏は「思想的確執は無かった。そもそも思想の無い東条と確執など起こり得ない」と述べたとされている。
如何に眼前の果実が魅力的であっても、政治家は思想・信条に於いて「超えてはならない一線」、「踏みとどまるべき一線」を持たなければならず、閣外協力は【限定的】と糊塗した羊頭狗肉選挙に突き進んだ枝野氏は、政治家ではなく単なる政治屋に過ぎないことを自ら暴露したように思える。
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