12月第1、第2の土日は世界各地でザメンホフの誕生を祝う集まりが開かれます。というのもエスペラントの創始者ザメンホフは1859年12月15日にポーランドのヴィヤウィストックで生まれました。この日は本の日ともいい、多くの人が本を買う日でもあります。機関誌エスペラントには東京エスペラント祭:12月8日13:30~12:40武蔵野公会堂会議室1&2、神奈川ザメンホフ祭12月8日13:30~16:30茅ヶ崎市民文化会館、名古屋Eセンターザメンホフ祭12月14日15:00~えほんのもり。と3か所かしか載っていませんが、いつも東北、四国、九州などでも開かれています。最近出不精になっていますがザメンホフ祭には参加するつもりです。
なんとなくマジョリー・ボルトンの著ZAMENHOFを開きました。ページをめくっていると2005年参加したリトアニアの大会前遠足のことを思いだしました。ヴェィシェィヤィというところに行った時のことです。家も疎らな湖のほとりにザメンホフの記念碑がったていました。その近くの草地に、昔ザメンホフの姉が住んでいて、夫が病気になり新米の医者だったザメンホフを呼び寄せて開業させたそうです。その石碑には若いザメンホフがここでエスペラントを練り直したと書いてありました。それを読んだポーランド人たちが憤慨していました。まるでザメンホフがここでエスペラントを考え出したように読めるじゃないですかと!
ポーランドは元リトアニア帝国の一部だったのです。リトアニアの首都ヴィルニスにはポーランド詩人ミツキェヴィッツの像が高い塔のような台座の上に立っていました。’なんで彼の銅像がここにあるの!ミツキェヴィッツはポーランド人なのにとポーランドのエスペランティストが憤慨していました。でも彼はヴィルニスの大学で学んだそうですし、'Sinjoro Tadeo:パン・タデゥシュ'は: Litvo! Ptrujo mia! simila al suno; (リトアニア!我が祖国!太陽にも似た;で始めまりますからリトアニア人がミツキエヴィッツの銅像を建てたことを責められないように感じました。それにしてもヨーロッパの国々は属国にしたり、2重属国になったりと支配関係がありました。それでも過去を引きずらないように努力しているように見えます。羨ましいです!
リトアニアの旅を探してみました。ブログに出てくるMさんはフランス人モーリス。1991年スェーデンのデイケア(作業所も含む)を見学した時に親しくなりました。2006年フィレンツェで会った時、横浜で開催されるエスペラント大会にはゆけないかもしれないと言っていましたが、大会前に亡くなったという知らせを受けました。
https://blog.goo.ne.jp/glimi/e/70f7cd8a88ab2987f4bb920feb5c86c2
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