私の宿泊先はアルホンソ夫妻のペンションでした。10畳ほどの部屋にベットが二つとソフア、テーブル、机、テレビもありましたがほとんど寝ただけの生活でした。浴室は二つあるので一つを自由に使ってよいという事でした。
アレッツでも困ったのですが浴室にドライフラワーが飾ってあった事です。この為か顔が腫れて痒くなり、今、ヨーロッパは気温が高く、普段よりいろんな花粉が飛んでいるから気をつけた方が良いと息子が持たせてくれた市販の薬を服用しなければならなかったのです。
庭は広いし、金属製の鶏とかフクロウが品良く配置され、苗木を守る為に置かれた底の無い大きな花瓶状のものまでユーモラスな人の顔が描かれていました。玄関の取っ手は鋳造された母子像、中国の古文書を描いた絵画その他美術品に溢れていました。
後で聞いたのですが、それらは友人たちの作品で贈り物としていただいたものだそうです。
夫妻は共に元大学教授で、子どもが6人、子ども達が巣立ち、定年後家があまりにも広いのペンションをはじめたと言うことです。
到着してすぐ、私が着替えが無いと分ると、アルホンソ氏はまだスーパーが開いていると云いノルマと私を乗せて車を走らせてくれました。
ノルマの動きの早いこと、閉店まで30分と言うのに歯ブラシ、歯磨き粉、下着、Tシャツ、パンツなど私の身体に合わせて選び、その後Tシャツの材質が気に入らないとワゴンをひっくり返しより上質なものと取り替えてくれ、『良かった良かった、良い買いものができた。』と喜んでいました。
帰宅すると今度はノルマの友人の車でピザ店へ。アルホンソ夫人と私も含めて6人。店は車で5分ほどの所にあり、中庭全体が木陰になるように木が植えられていて気持ちの良い店でした。
私はビ-ルと無難なところでマルガレータを注文しました。そのピザの大きいこと。皮は薄くてカリカリに焼けていました。直径30センチ以上あろうかと思う代物を皆さんおしゃべりをしながらパクパクと平らげてゆくのです。放射状に食べて行く人もいれば、真中を先に食べ、外側のよりカリカリした所を指でつまんで食べる人、とにかく早いのです。昼食を食べそこなった私でしたが、必死で喰らいついて、みんなが、おしゃべりをはじめてもまだ食べ続け、とうとう残してしまいました。その後皆さんは甘いものを注文して食べていました。アルホンソ夫人があまり勧めるので - こんな時遠慮しすぎると雰囲気がギクシャクします - 彼女の分を少し味みさせてもらいました。
この5人は教会のボランテイアグループに所属し、長いことブルガリア、南アフリカ、パキスタン、など4カ国の貧困児童の援助をしているのだそうです。突然ノルマが熱弁を振るい出しました。
エスペラントを使って国際協力を推し進め、理解を深ければもっと平和に貢献できると言うようなことを云っています。それから私を見て『イタリア語でごめんなさい。今エスペラントの宣伝をしているのよ。』と云いました。『云っている内容が良く分る。』と私が答えると彼女は大いに満足して再び熱弁を振るい、友人達は穏かに聞いていました。
さて支払いの段になると中座したアルホンソ夫人がもう支払いを済ませていました。その夜の食事は彼女のおごりでした。
私の宿泊費は一泊40ユーロです。2晩で80ユーロ。つまり私の宿箔料はこの食事で消えたのではないかと思われます。
アレッツでも困ったのですが浴室にドライフラワーが飾ってあった事です。この為か顔が腫れて痒くなり、今、ヨーロッパは気温が高く、普段よりいろんな花粉が飛んでいるから気をつけた方が良いと息子が持たせてくれた市販の薬を服用しなければならなかったのです。
庭は広いし、金属製の鶏とかフクロウが品良く配置され、苗木を守る為に置かれた底の無い大きな花瓶状のものまでユーモラスな人の顔が描かれていました。玄関の取っ手は鋳造された母子像、中国の古文書を描いた絵画その他美術品に溢れていました。
後で聞いたのですが、それらは友人たちの作品で贈り物としていただいたものだそうです。
夫妻は共に元大学教授で、子どもが6人、子ども達が巣立ち、定年後家があまりにも広いのペンションをはじめたと言うことです。
到着してすぐ、私が着替えが無いと分ると、アルホンソ氏はまだスーパーが開いていると云いノルマと私を乗せて車を走らせてくれました。
ノルマの動きの早いこと、閉店まで30分と言うのに歯ブラシ、歯磨き粉、下着、Tシャツ、パンツなど私の身体に合わせて選び、その後Tシャツの材質が気に入らないとワゴンをひっくり返しより上質なものと取り替えてくれ、『良かった良かった、良い買いものができた。』と喜んでいました。
帰宅すると今度はノルマの友人の車でピザ店へ。アルホンソ夫人と私も含めて6人。店は車で5分ほどの所にあり、中庭全体が木陰になるように木が植えられていて気持ちの良い店でした。
私はビ-ルと無難なところでマルガレータを注文しました。そのピザの大きいこと。皮は薄くてカリカリに焼けていました。直径30センチ以上あろうかと思う代物を皆さんおしゃべりをしながらパクパクと平らげてゆくのです。放射状に食べて行く人もいれば、真中を先に食べ、外側のよりカリカリした所を指でつまんで食べる人、とにかく早いのです。昼食を食べそこなった私でしたが、必死で喰らいついて、みんなが、おしゃべりをはじめてもまだ食べ続け、とうとう残してしまいました。その後皆さんは甘いものを注文して食べていました。アルホンソ夫人があまり勧めるので - こんな時遠慮しすぎると雰囲気がギクシャクします - 彼女の分を少し味みさせてもらいました。
この5人は教会のボランテイアグループに所属し、長いことブルガリア、南アフリカ、パキスタン、など4カ国の貧困児童の援助をしているのだそうです。突然ノルマが熱弁を振るい出しました。
エスペラントを使って国際協力を推し進め、理解を深ければもっと平和に貢献できると言うようなことを云っています。それから私を見て『イタリア語でごめんなさい。今エスペラントの宣伝をしているのよ。』と云いました。『云っている内容が良く分る。』と私が答えると彼女は大いに満足して再び熱弁を振るい、友人達は穏かに聞いていました。
さて支払いの段になると中座したアルホンソ夫人がもう支払いを済ませていました。その夜の食事は彼女のおごりでした。
私の宿泊費は一泊40ユーロです。2晩で80ユーロ。つまり私の宿箔料はこの食事で消えたのではないかと思われます。