glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

女性は強し!

2015-08-24 10:02:01 | エスペラント
予定:21日(火)8:45出発 →現代タペストリー美術館(ジャン・リュルサ) →昼食(ピクニック) →フォントブロー修道院 →アンジェ城 →グレシヨン

 最初に訪れてのはアンジェ城

元気で饒舌、だが分かりやすい解説をするガイドのカトリーヌ。こんなに話されたらメモもできない、テープレコーダーを持ってこなかったのが残念。


アンジェ城の屋上からはロワール川も見えます。 

 アンジェ地方には100を超す城がありそのほとんどは居城ではなく狩用の城だそうです。ここにはヨハネの黙示録を表した大きなタペストリーがあります。どれだけの職人がタペストリーを織る仕事に携わったのでしょうか。重厚ですが今にも崩れそうな織物にフランスの歴史を感じました。

 現代タペストリー美術館(ジャン・リュルサ)

 この美術館は以前病院でした。ジャン・リュルサの作品の一つです。彼は若くして第1世界大戦に従軍しましたが、精神を病んでしまいました。彼は悪夢の中で抽象画のような絵を描きました。ジャンの母はその絵を後世に残そうと絵を題材として刺繍を始めました。彼の作品の多くは母親の作品でもあるのです。広島の原爆を題材としとした作品もありました。


 ピクニックと称する昼食の準備です。後ろ姿で済みませんがグレジヨンの責任者の一人ジャニッキです。以前はリセの国語の教師だったとのこと。夫と娘グレーテル、外渉係をしているというイザベラ、それにボランティアのナンシー。自己紹介で彼女はフランス人の養子になった韓国人、もし韓国名で呼びたかったらソイと呼んでくださいと言っていました。とにかく働くこと働くこと。城に帰ると休むことなく夕食の準備にかかっておりました。

 
昼食はセルフサービス。にわとりの蒸し肉、サラダ、ヨーグルト、水、甘いお菓子とコーヒー。美術館の庭でみんなで食べました。こう昼食も良い物ですね!

午後はフォントブロー修道院へ
 修道院と云ってもここは普通の修道院ではないらしいのです。広い荘園付きの修道院です。男性用と女性用があります。ここに入れられたのは王侯貴族の子どもたちだったようで、まあ、口減らしのために幽閉された者のようでした。親たちからの養育費はかなりの額があり、修道院はお金もちだったようです。



荘園の跡地を良く歩きました。

修道院にはヘンリー2世とその妻アリエーノのが眠っています。
 
この地にエーノという才色兼備な女性がいました。その娘も母親とよく似て才色兼備でしたので他の(alia)エーノ:つまりアリエーノ呼ばれました。彼女はフランス王フィリップの妻になりましたが、発展家であり、幾人もの愛人を持ちました。それを怒ったフランス王は彼女を離婚しました。ところが彼女はこともあろうか、イギリスの後のヘンリー2世と再婚し、フィリップ王をパリに追いやり故郷に戻ってきたのだそうです。それが100年戦争の発端だったそうです。
 ヘンリーが亡くなった後、もう一度結婚しましたが相手にすでに妻がいたためそれは極秘結婚だったとか。ジャンの母もですが女性はすごい!

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする