昨日、「裕福と言う概念が変わるような気がします。」と書きましたが、
よく言う心の豊かさとは少し違います。
停滞は必ず堕落する?
真実を教えない停滞は堕落を生みます。
また、利用するために真実を歪めた教育も堕落を生みます。
生かすとは?こうあるべきを教える事ではけっして無い。
もちろん最低限のマナーはあります。これさえも感じられなくなっているのが今の世界なのですがね・・・だから末法ですよ。
精神論と現実論・・・でも、やはり共通でわかりやすい事象で書きます。
食べ物です。結論から申し上げて、今の日本人はまったく食べ物を生かしていない。
生かしきっていないといっても良いでしょう。
食べ物を生かし切るためには、何世代にも渡る土地の命と、食べ物の命と、自分の命が共鳴する必要がある。
食べ物は、出来るだけ丸ごと食べてあげる。食べられない部分は、今、生活する土地へ埋めるか、その土地の微生物に分解していただくか・・・。
そして、排泄物はその土地へ返す。
そして、その土で育てたお野菜を頂く。
精一杯の感謝をお返しして・・・。
何が言いたいか? 循環なんですよ。 すべては循環で成り立っている。
人は本来「自然の番人」・・・。与えられた土地で循環するように生まれてきた存在。
丸ごと食べてあげると言う理由から、当然食べられる大きさが限られてくる。
そこが原点なのです。
世界の食材をいただくと言う事は、知ってか知らずか世界に責任が生まれる。
素粒子のレベルで見るとそうなる。
自分で何一つ作れない・・・。
真実を学ぶすべも、時間も与えられない・・・(経済の奴隷に成り果てた結果)。
おそらく気づいている人が増えてきているとは思います。
同時に、気づいた人が気づいた事を実践できないような社会環境が巧妙に作られているのも事実。
だから、小手先では無理だと言っているのですよ。
延命策では次の山は越えられません。
食べ物一つを生かし切る事の出来ない文明です。
身の回りには何一つ自分で創ったものなど無いのです。
すべて、地球さんからの借り物ですよ。
全責任とすべての変化(素粒子レベル)を許されているのは地球だけです。
半減期が30万年なら、やはり30万年時間がかかるのです。
浅はかな知恵で形を換えれば、別の未知なる存在がまた生まれてしまう。
変化←変化を防ぐ蓋←それを防ぐ蓋←それを防ぐ蓋・・・∞。
永遠に蓋をし続ける事になってしまう・・・。
微生物(大量に)を利用すれば、今度はまた別の存在が生まれる。それが道理。
利用は利用で報いられる・・・。
どうすればいいか?
何もしないことです。
自然界の声なき声を感じられない段階の文明は、本来何も出来ないのです。
静かに立ち去る事です。不思議だが、それが最も効果的なのです。
人が手を加えなければ、60年もすれば環境が変化して自然になるようになるのです。
100年もすれば、ほとんどの毒素は環境が浄化してくれる。300年もすれば金属もほとんど跡形も無くなる・・・。
問題の物質の影響をもっとも強く受けるのはどんな生物でしょうか?
視点を変えれば見えてきます。
そんなことを言っても・・・永遠の平行線なのです。
だから、気づいた人から卒業だと申し上げているのです。
生活の源はやはり「食」からです。
時間が無いと言うのは機会も物理的な時間も現代社会では無いって事です。
・・・・。
考えれば考えるほど、よくよく考えられた社会です。
ありがたく受け入れて静かに生きるのも一つの道なのかもしれません。
本日の記事。長ーーーーーーーーーーーーーーーーーーい妄想ですからね。
何せ、社会生活もろくに送れない能無し親父の妄想ですから。
ここまで読んで下さったかた・・・ありがとうございました。
やはり時間の無駄でしたかね~?
よく言う心の豊かさとは少し違います。
停滞は必ず堕落する?
真実を教えない停滞は堕落を生みます。
また、利用するために真実を歪めた教育も堕落を生みます。
生かすとは?こうあるべきを教える事ではけっして無い。
もちろん最低限のマナーはあります。これさえも感じられなくなっているのが今の世界なのですがね・・・だから末法ですよ。
精神論と現実論・・・でも、やはり共通でわかりやすい事象で書きます。
食べ物です。結論から申し上げて、今の日本人はまったく食べ物を生かしていない。
生かしきっていないといっても良いでしょう。
食べ物を生かし切るためには、何世代にも渡る土地の命と、食べ物の命と、自分の命が共鳴する必要がある。
食べ物は、出来るだけ丸ごと食べてあげる。食べられない部分は、今、生活する土地へ埋めるか、その土地の微生物に分解していただくか・・・。
そして、排泄物はその土地へ返す。
そして、その土で育てたお野菜を頂く。
精一杯の感謝をお返しして・・・。
何が言いたいか? 循環なんですよ。 すべては循環で成り立っている。
人は本来「自然の番人」・・・。与えられた土地で循環するように生まれてきた存在。
丸ごと食べてあげると言う理由から、当然食べられる大きさが限られてくる。
そこが原点なのです。
世界の食材をいただくと言う事は、知ってか知らずか世界に責任が生まれる。
素粒子のレベルで見るとそうなる。
自分で何一つ作れない・・・。
真実を学ぶすべも、時間も与えられない・・・(経済の奴隷に成り果てた結果)。
おそらく気づいている人が増えてきているとは思います。
同時に、気づいた人が気づいた事を実践できないような社会環境が巧妙に作られているのも事実。
だから、小手先では無理だと言っているのですよ。
延命策では次の山は越えられません。
食べ物一つを生かし切る事の出来ない文明です。
身の回りには何一つ自分で創ったものなど無いのです。
すべて、地球さんからの借り物ですよ。
全責任とすべての変化(素粒子レベル)を許されているのは地球だけです。
半減期が30万年なら、やはり30万年時間がかかるのです。
浅はかな知恵で形を換えれば、別の未知なる存在がまた生まれてしまう。
変化←変化を防ぐ蓋←それを防ぐ蓋←それを防ぐ蓋・・・∞。
永遠に蓋をし続ける事になってしまう・・・。
微生物(大量に)を利用すれば、今度はまた別の存在が生まれる。それが道理。
利用は利用で報いられる・・・。
どうすればいいか?
何もしないことです。
自然界の声なき声を感じられない段階の文明は、本来何も出来ないのです。
静かに立ち去る事です。不思議だが、それが最も効果的なのです。
人が手を加えなければ、60年もすれば環境が変化して自然になるようになるのです。
100年もすれば、ほとんどの毒素は環境が浄化してくれる。300年もすれば金属もほとんど跡形も無くなる・・・。
問題の物質の影響をもっとも強く受けるのはどんな生物でしょうか?
視点を変えれば見えてきます。
そんなことを言っても・・・永遠の平行線なのです。
だから、気づいた人から卒業だと申し上げているのです。
生活の源はやはり「食」からです。
時間が無いと言うのは機会も物理的な時間も現代社会では無いって事です。
・・・・。
考えれば考えるほど、よくよく考えられた社会です。
ありがたく受け入れて静かに生きるのも一つの道なのかもしれません。
本日の記事。長ーーーーーーーーーーーーーーーーーーい妄想ですからね。
何せ、社会生活もろくに送れない能無し親父の妄想ですから。
ここまで読んで下さったかた・・・ありがとうございました。
やはり時間の無駄でしたかね~?