◇民間団体が記事チェックや啓発、政策提言
彼の身柄をアメリカに引き渡さないよう議員に頼んでください--。イギリス自閉症協会(NAS)のホームページにゲーリー・マッキノンという青年の顔写真付きでこのような呼びかけ文が掲載されている。この青年は米国防総省のコンピューターシステムに侵入した容疑で米政府から身柄引き渡しを要求されているが、08年8月に発達障害の一つであるアスペルガー症候群と診断された。
アスペルガー症候群の特性として、強迫観念に駆られたように興味を注いで行ったことが、周囲にどのような影響を及ぼすのかわからない場合がある。そのような人に刑罰を科しても意味がないとして、イギリスでは医療や心理的ケアに基づいた矯正プログラムが行われている。ところが、米国にはそのような考えが希薄なため、最高で懲役70年の刑を受ける可能性があるというのだ。
日本でも発達障害の人が事件を起こすと悪質さや猟奇性を強調した報道が行われ、厳罰を求める世論が高まる。そうした事情はイギリスでも同じという。センセーショナルな記事が紙面にあふれ、この青年の事件でもイギリス政府の内相は「アスペルガー症候群は事件とは関係ない」と主張して身柄引き渡しを進めようとした。それに対抗してNASが身柄引き渡しを阻止するキャンペーンを張っているのだという。
NASは発達障害に関するさまざまな調査研究を行い、議会へのロビー活動や政策提言にも積極的に取り組む。発達障害児者の特性に合った学校教育や福祉サービス、矯正施設なども直接運営してきた。職員は約3000人。ほんの数人が事務局にいる日本の自閉症協会とは違う。
メディア対策班もあり、10人の専従職員がいる。メディアからの問い合わせに答えるだけでなく、NASの取り組んでいるキャンペーンを積極的にPRしている。毎日7種類の全国紙を隅々まで読み、発達障害に関する報道で不適切な内容があると記者や編集責任者に抗議したり、発達障害の特性などを説明した協会作成の「メディアガイド」を渡して啓発に努めている。
「すぐに反応することが大事です。何か事件があったときには24時間体制で臨み、できれば記事が出る前に記者から連絡が来るような関係づくりにも心がけている」とメディア対策班のスージー・ブラウンさん(26)は語る。フランスのある閣僚がイギリス保守党の政策を「自閉症みたいだ」と非難した際、ブラウンさんらメディア対策班は不適切な比喩(ひゆ)表現だとして抗議した。それがイギリスの新聞に掲載され、閣僚の事務所から謝罪の手紙が届いた。また、フランス自閉症協会からも感謝の意向が伝えられた。
全国紙だけでなく地方で発行されている計約1000紙に対し、毎週10~15種類のニュースリリースを出してNASの活動のPRなどに努めている。イギリス全土で600~700家族が地方紙の報道をチェックして連絡してくれる体制も築いている。
ブラウンさんは話す。「毎日モニターしていると良い記事もたくさんあり、自閉症に関心のある記者はとても多い。しかし同時にセンセーショナルな記事も書きたがるので『バランスを取って』と言っている。彼らが理解したいと思っていることは間違いないが、マスコミはあまりにもスピードが速く、記事のスペースも限られており、簡単にまとめたがる。こちらは簡単には説明できず、ジレンマを感じます」。フリーの記者はじっくり取材する傾向があるが、新聞社やテレビ局に勤めている記者はいつも急いでいるという。
*
触法障害者のケアや地域生活支援に多額の予算を投入する社会的土壌の形成に努めているのは、NASだけではない。ロンドンに本部のあるNGO「プリズン・リフォーム・トラスト」は、スタッフが毎週テレビやラジオに出演し、刑務所庁や保健省、財務省などとも定期的会合を持って刑務所改革をはたらきかけている。「専門スタッフが16人しかいない小さな組織だが、財源を政府に頼らない独立機関として政策決定に影響力を持っている」と代表の女性は胸を張る。
メディアによるセンセーショナルな報道は多いが、それに対抗するように民間団体は活発に行動し、国を動かしているのだ。
毎日新聞 2010年4月24日 東京朝刊
彼の身柄をアメリカに引き渡さないよう議員に頼んでください--。イギリス自閉症協会(NAS)のホームページにゲーリー・マッキノンという青年の顔写真付きでこのような呼びかけ文が掲載されている。この青年は米国防総省のコンピューターシステムに侵入した容疑で米政府から身柄引き渡しを要求されているが、08年8月に発達障害の一つであるアスペルガー症候群と診断された。
アスペルガー症候群の特性として、強迫観念に駆られたように興味を注いで行ったことが、周囲にどのような影響を及ぼすのかわからない場合がある。そのような人に刑罰を科しても意味がないとして、イギリスでは医療や心理的ケアに基づいた矯正プログラムが行われている。ところが、米国にはそのような考えが希薄なため、最高で懲役70年の刑を受ける可能性があるというのだ。
日本でも発達障害の人が事件を起こすと悪質さや猟奇性を強調した報道が行われ、厳罰を求める世論が高まる。そうした事情はイギリスでも同じという。センセーショナルな記事が紙面にあふれ、この青年の事件でもイギリス政府の内相は「アスペルガー症候群は事件とは関係ない」と主張して身柄引き渡しを進めようとした。それに対抗してNASが身柄引き渡しを阻止するキャンペーンを張っているのだという。
NASは発達障害に関するさまざまな調査研究を行い、議会へのロビー活動や政策提言にも積極的に取り組む。発達障害児者の特性に合った学校教育や福祉サービス、矯正施設なども直接運営してきた。職員は約3000人。ほんの数人が事務局にいる日本の自閉症協会とは違う。
メディア対策班もあり、10人の専従職員がいる。メディアからの問い合わせに答えるだけでなく、NASの取り組んでいるキャンペーンを積極的にPRしている。毎日7種類の全国紙を隅々まで読み、発達障害に関する報道で不適切な内容があると記者や編集責任者に抗議したり、発達障害の特性などを説明した協会作成の「メディアガイド」を渡して啓発に努めている。
「すぐに反応することが大事です。何か事件があったときには24時間体制で臨み、できれば記事が出る前に記者から連絡が来るような関係づくりにも心がけている」とメディア対策班のスージー・ブラウンさん(26)は語る。フランスのある閣僚がイギリス保守党の政策を「自閉症みたいだ」と非難した際、ブラウンさんらメディア対策班は不適切な比喩(ひゆ)表現だとして抗議した。それがイギリスの新聞に掲載され、閣僚の事務所から謝罪の手紙が届いた。また、フランス自閉症協会からも感謝の意向が伝えられた。
全国紙だけでなく地方で発行されている計約1000紙に対し、毎週10~15種類のニュースリリースを出してNASの活動のPRなどに努めている。イギリス全土で600~700家族が地方紙の報道をチェックして連絡してくれる体制も築いている。
ブラウンさんは話す。「毎日モニターしていると良い記事もたくさんあり、自閉症に関心のある記者はとても多い。しかし同時にセンセーショナルな記事も書きたがるので『バランスを取って』と言っている。彼らが理解したいと思っていることは間違いないが、マスコミはあまりにもスピードが速く、記事のスペースも限られており、簡単にまとめたがる。こちらは簡単には説明できず、ジレンマを感じます」。フリーの記者はじっくり取材する傾向があるが、新聞社やテレビ局に勤めている記者はいつも急いでいるという。
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触法障害者のケアや地域生活支援に多額の予算を投入する社会的土壌の形成に努めているのは、NASだけではない。ロンドンに本部のあるNGO「プリズン・リフォーム・トラスト」は、スタッフが毎週テレビやラジオに出演し、刑務所庁や保健省、財務省などとも定期的会合を持って刑務所改革をはたらきかけている。「専門スタッフが16人しかいない小さな組織だが、財源を政府に頼らない独立機関として政策決定に影響力を持っている」と代表の女性は胸を張る。
メディアによるセンセーショナルな報道は多いが、それに対抗するように民間団体は活発に行動し、国を動かしているのだ。
毎日新聞 2010年4月24日 東京朝刊