ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

共に生きる:障害者差別をなくす条例/3 雇用環境 /熊本

2010年12月03日 01時20分04秒 | 障害者の自立
 ◇「互いが歩み寄りを」

 「まつもっちゃん、調子はどげんね」。益城町にある第三セクターのパソコンプログラム開発会社「熊本ソフトウェア」。足立国功社長(65)が、社員で車椅子生活の松本克実さん(50)=南阿蘇村=に親しく声を掛ける。

 特に松本さんが入社した94年は、どんなに忙しくても毎日30分以上、足立さんは松本さんの話に耳を傾けた。職場は働きやすい環境か、配慮してほしいことは何か。「障害者のよりよい働き方」を絶えず模索する。

 足立さんが経営にかかわった90年、社員は健常者だけだった。当時、知人に頼まれ障害者も出品したCGデザインコンテストの審査員に。自由に体を動かしにくい人たちが、手先から鮮やかで細かな図形などを組み合わせた作品を生み出すことに感銘を受けた。骨折で入院して障害のある人がリハビリに励む姿を見たこともあり、「彼らの仕事の場を増やせたら」と障害者雇用を考えるようになった。

 そのころ、知人の紹介で頸椎(けいつい)に障害のある松本さんと知り合った。勤勉な人柄にほれ込み、足立さんは採用を決めた。松本さんの意見を聴いて新社屋をバリアフリーに改造。車椅子から乗り移りやすいよう便座が高い位置にあるトイレを設置し、ケーブルを床下に収納してつまずきにくいよう改善した。

 従業員26人の同社は、法的には障害者の雇用は求められていないが、最大4人を雇用した時期もあった。県の委託事業で毎年、障害者の研修生10人も受け入れる。

 検討中の条例案では、障害者から雇用環境の改善などで申し出があれば、「相談員」が職場との仲介をする。だが松本さんは「職場内の問題を当事者同士でとことんまで話し合わず、部外の相談員が解決するのは難しいのではないか」という思いが消えない。

 条例案の検討委員でもある足立さんは「法定雇用率の数字だけでなく、障害を理由に健常者とは異なる待遇を認めないと記している」と意義を認める。一方で「ただ雇用主に一方的に負担を求めたり、雇用主も障害者への配慮を全くしないのではいけない。経営者と障害者のお互いが歩みよるべきところもある」と話す。

毎日新聞 2010年12月2日 地方版


親亡き後もサポートを、障害者の生活記録普及へシンポジウム/横浜

2010年12月03日 01時18分21秒 | 障害者の自立
 障害のある子どもを持つ親たちが「親亡き後」に向け必要な生活情報をまとめた「記録」の作成を広めようというシンポジウムが2日、横浜市港北区鳥山町の横浜ラポールで開かれた。横浜市内のNPO法人や母親グループが取り組み事例を紹介。専門家も「今の生活実態を支援者らに知ってもらうためにも有効」と作成を呼び掛けた。

 シンポは、横浜市内の障害福祉関係団体でつくる「セイフティーネットプロジェクト横浜」などの主催で、障害者453件の親や関係者約220人が参加した。

 「親心の記録」として全国で初めて「記録」を作成した「船橋市手をつなぐ育成会」の赤津保子さんが基調講演。親が急逝し子どもの生活状況が全く分からなくなったケースの相談を受けたことから、記録作りに取り組み2008年1月に完成、全国に広がっているという。

 続いて行われたパネルディスカッションで、船橋版を基に改良を加え独自に「あんしんノート」を作ったNPO法人「ゆうの風」の石野えり子さんと「三人会」の根岸満恵さんは、それぞれ「本人と親の思いをつなぐ意味でも大事」「書くことで自分の頭の中が整理できた」と強調した。

 コーディネーターを務めた県立保健福祉大学の谷口政隆名誉教授は、「記録は障害者453件の生活を第三者に知ってもらう道具になり、『親亡き後』にとどまらず、地域社会で暮らすための懸け橋になる」と話した。

カナロコ(神奈川新聞)

神戸ルミナリエ:ハートフルデー、障害者ら感嘆 /兵庫

2010年12月03日 01時16分43秒 | 障害者の自立
 「神戸ルミナリエ」を前に一部を点灯し、障害を持った人らに混雑を避けて観賞してもらう「ハートフルデー」が1日夜、神戸市中央区の東遊園地であった。

 障害者ら約1万3000人が参加。午後6時半に同遊園地の広場に設けられた全長約160メートルの「スパッリエーラ(光の壁掛け)」が点灯すると、暗闇に浮かび上がった温かな光に感嘆の声が上がった。

 会場では、震災で西宮市の自宅が全壊し、姉の伍鳴(ウーミン)さん(当時27歳)を失った中国民族楽器・古箏(こそう)の演奏家、伍芳(ウーファン)さんのコンサートも開かれ、参加者は師走の神戸に響く優しい音色を楽しんでいた。

 参加した神戸市西区の石山沙貴子さん(24)は「足が不自由で、震災の時は外の状況が分からず不安だったことを思い出します。何度も訪れているが、点灯の際には感動しました」と話した。

毎日新聞 2010年12月2日 地方版