ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

「死んでは保護でない」取り押さえ死審判で父親訴え

2010年12月18日 01時30分08秒 | 障害者の自立
 佐賀市内で2007年9月、知的障害者の安永健太さん(当時25歳)が警察官に取り押さえられた直後に死亡した問題で、特別公務員暴行陵虐致傷罪に問われた県警の松雪大地巡査長(30)に対する審判の第8回公判が7日、佐賀地裁(若宮利信裁判長)で開かれた。健太さんの父孝行さん(49)が情状証人として出廷した。

 孝行さんは、健太さんについて「純粋無垢(むく)でおとなしい性格。けんかをしているのは見たことがない。善悪の判断はできた」と証言。取り押さえられた状況に関して「パニックになり、人から触られることを極端に嫌がったのではないだろうか」との見方を示した。

 さらに、「薬物中毒者かなにかと思いこんで取り押さえ、死亡させたのではないか。警察は保護と言うが、死んでしまっては保護ではない」と述べ、「暴行の有無が争点になっているが、殺されたと思っているので致死事件として裁判をしてほしい」と訴えた。

 この日は、松雪被告の弁護人が申請した目撃者の女性も証人として出廷。車で取り押さえの現場付近を通過したという女性は「警察官は殴るような余裕がなかったように見えた」と証言した。第9回公判は16日に開かれる。

(2010年12月8日 読売新聞)

被告、公判で暴行否定 保護行為の正当性訴え

2010年12月18日 01時28分17秒 | 障害者の自立
障害者取り押さえ死
 佐賀市内で2007年9月、知的障害者の安永健太さん(当時25歳)が警察官に取り押さえられた直後に死亡した問題で、特別公務員暴行陵虐致傷罪に問われた県警の松雪大地巡査長(30)に対する審判の第9回公判が16日、佐賀地裁(若宮利信裁判長)で開かれた。被告人質問が行われ、松雪被告は、取り押さえ時の暴行を否定した。

 松雪被告は、当時の状況について、「暴行を加えたり、傷害を負わせたりしていない」と主張し、安永さんの様子に関しては「精神錯乱の状態と感じた」と証言。取り押さえ行為の正当性を問われると、「(安永さんの)一連の行動は、今でも保護すべき内容だったと思う。保護行為が違法だったとは考えておらず、やり過ぎだったと考えたこともない。知的障害者と知っていたとしても対応に変わりはない」と述べた。

 また、安永さんの死亡については「とても残念に思っている。ご遺族の方にお悔やみ申し上げる」と語った。審判に付されていることに対しては、「被告人は厳格な証拠に基づいて認定されるべきだと思っている。被告人とされるのは納得いかない。(審判で)氏名や容姿が報道され、公私で生活が一変した。家族や親類にも不安感を与え、やるせない気持ち」と述べた。

 第10回公判は21日に開かれる。

(2010年12月17日 読売新聞)

出発点<下>「宮城方式」風化の危機

2010年12月18日 01時26分40秒 | 障害者の自立
 宮城県が1973年に創設した「遷延性意識障害者治療研究事業」には、どのような時代的背景があったのか。
 福島県立医大名誉教授の児玉南海雄さん(68)が2008年、医学雑誌に「宮城方式とは」という文章を寄せている。  <遷延性意識障害の患者さんに、地方行政庁の宮城県が日本で初めて実施した救済策である>

 児玉さんは東北大医学部出身の脳神経外科医。同学部助教授、福島県立医大教授を歴任した。1971年から2年間、仙台市立病院に勤務している。
 「1960年代後半から車が一気に増え、交通事故が多発して、交通戦争と呼ばれてね」。児玉さんは語り始めた。
 市立病院では、事故で運び込まれる頭部外傷患者の手術に明け暮れた。そこで、遷延性意識障害の患者と周辺に絡む問題に向き合うことになる。
 「医療の進歩がもたらした側面もあった。当時、公的救済制度がほとんどないから、医療費負担が重くのしかかり、家庭が崩壊した。本当に悲惨な状況だった」
 児玉さんの恩師で、当時、東北大医学部教授だった故鈴木二郎氏が問題の打開に動く。河北新報は73年、鈴木教授の問題提起に応じて、患者と家族の様子を取材した連載を展開した。
 県内各地から義援金が集まったり、ボランティアの募金活動が始まったりして、記事は反響を呼んだ。
 圧倒的な世論の後押しもあり、県は73年、遷延性意識障害者治療研究事業をスタートさせる。この制度は画期的と評価され、全国各地で導入する自治体が続いた。
 宮城県が88年、制度縮小の方針を打ち出したこともあった。しかし、これを契機に家族会「宮城県ゆずり葉の会」が発足する。制度維持を求める3万人以上の署名を集めたことによって、県は方針を改めた。
 ゆずり葉の会は94年、専門施設の設置運動にも取り組み、6万人以上の署名を集めて、県に提出した。県議会と仙台市議会は施設設置の請願を採択している。

 私たちは、社会に秘めた「問題に共鳴する力」の大きさを思い知った。一方で、73年の連載記事を契機に出来上がった「宮城方式」の現状はどうなっているのだろう。
 児玉さんによると、導入した自治体は東北6県を含め一時、15以上を数えた。しかし、37年を経て、制度を確認できたのは5県しかない。
 山形県も既にない。担当者にいつ廃止したのか聞くと、「2000年ごろにはあったようだが、終了年度を含めて資料が残っていない」と、素っ気なかった。
 児玉さんは医学雑誌の文章をこう結んでいる。
 <救済策は人が少しでも他の人の役に立ちたいという心を引き出し、それを実行力のある施策に結びつけた点で異彩を放っている。時の流れとともに人のこころはうつろうものかもしれないが、残されたわれわれも力を尽くし、今の時代の人々に問い続ける努力が必要と考えている>

河北新報

出発点<上>「支え合い」問い直す/救済先進地に孤立感

2010年12月18日 01時24分01秒 | 障害者の自立
 全国に先駆けた支援の仕組み。支え合いの世の中を目指して仕上げた果実の行方を、私たちは見守り、その先の新たな道を探ってきただろうか。
 「どんなに重い障害があっても、生きていい。そういう社会であってほしい」
 仙台市青葉区の自営業沼田孝市さん(53)はそう力を込める。遷延(せんえん)性意識障害の人々と家族の会「宮城県ゆずり葉の会」会長を2002年から務めてきた。
 沼田さんの妻律子さん(47)が不整脈による心肺停止で倒れたのは、1993年4月。律子さんはその後17年、2度の心肺停止の危機を乗り越え、仙台市立病院のベッドで生活している。
 遷延性意識障害の人たちへの対応で、宮城県は「先進地」と呼ばれる。73年、患者への救済制度「遷延性意識障害者治療研究事業」を全国に先駆けて県が創設、88年には全国で初めて家族会が発足した。
 取材班は9月、ゆずり葉の会の月例会を訪ねた。「先進地」の現状を聞きたかったからだ。
 「病院から転院を促された。まだ治っていないのに」「リハビリ施設を探したが、どこからも断られた」「介護サービスを打ち切られそうだ」。家族が置かれた状況に耳を疑った。
 「せっかく命を取り留めても、その後、病院や施設、福祉サービスから見放され、孤立する人たちが多すぎる」。沼田さんは憤りを隠さない。
 症状が安定すると、病院からは「治療が終わった」と退院を促される。たんの吸引など医療的ケアが必要な場合には、福祉施設の多くから「障害が重くて受け入れられない」と拒絶される。
 「患者」と「障害者」の境界で漂い、さまよう。そんな現実が横たわっていた。
 沼田さんが副会長を務める全国家族会は、国や自治体に実態調査の実施を求めている。施策を展開する上で基本となる患者の数さえ、ほとんど把握されていない。
 脳神経外科医の1人は「高齢化に伴って脳卒中で意識障害になる例が目立つ。全体の数字も増加しているのではないか」とみる。1980年代の調査では全国で7000人とされた患者数はいま、2万人以上との推計もある。
 宮城県も一時、救済制度を見直しの対象にしたことがある。「県の財政難で制度はいつ廃止されてもおかしくない。ただ、家庭の事情で在宅に移れない人もいる」と沼田さんは訴え、こう続ける。
 「入院ありき、在宅ありきではなく、その人が、その人らしく生きるための新しい仕組み、アイデアが必要だ」

 河北新報は1973年、連載「植物人間」を掲載した。それから37年。「植物状態」という言葉には「治療の対象ではない」と線引きする響きがあり、家族たちはこの言葉を忌避し、使用されることに反発している。当然だと思う。あえて連載の副題にしたのは、当時から何が変わり、何が変わらないのかを検証し、固定化した見方を一緒に乗り越えたいという意図を込めたからだ。
 医療、福祉のあり方、生命の価値観、地域社会...。重い脳損傷を負った人々と支える家族の視点に立つと、さまざまな「地平」が見える。私たち取材班も地平の一つ一つに向かって歩み、ともに生きるということの意味を考えてみたい。

河北新報

福岡地区障害者雇用促進面談会、2月に開催‎

2010年12月18日 01時21分20秒 | 障害者の自立
一人でも多くの雇用を確保
福岡労働局とハローワークが、事業主の障がい者雇用に対する見識を高め、また一人でも多くの障がい者が就職し、自立への道を歩んでいくことを目的として、雇用促進面談会を開催する。

開催日時は平成23年2月23日(水)12:00~16:00、場所は福岡国際会議場 2階 多目的ホール。(福岡市博多区石城町2-1)

45の事業所が参加当日は参加
予定求職者400名を予定しているほか、45あまりの求人事業所が参加する。

当日は企業受付ののち企業ガイダンスが行われ、その後求職者を受け付けたあとで面談が3時間にわたって行われる。

障がい者の働く場ニュース