◇発展の陰に見えたひずみ
障害者スポーツ発祥の地、英国で開かれた第14回夏季パラリンピック・ロンドン大会は9日、12日間の熱戦を終えた。164カ国・地域から選手約4300人を迎えた過去最大規模の大会を取材し、強く印象に残ったのは、先のロンドン五輪にも出場した義足ランナーのオスカー・ピストリウス(25)=南アフリカ=の「問題発言」。そこに加速度的に発展する祭典のひずみを見た気がした。
発言は、同じく両足義足のアラン・オリベイラ(20)=ブラジル=に敗れ、3連覇を逃した2日の男子200メートル決勝後に飛び出した。「彼の義足は信じられないほど長い。不公平だ」。身長などから、その長さを認める国際パラリンピック委員会(IPC)の規定をも批判した。
◇問題発言が示すメダル至上主義
ロンドン五輪に義足ランナーとして初出場を遂げるまで、義足の優位性への偏見に苦しんだピストリウス自身が他の選手の義足に注文をつけたことは波紋を呼んだ。5日、ピストリウスは報道陣の前で謝罪と釈明をした。だが、彼の発言は、スポンサーや広告代理店から障害者スポーツ界の広告塔として、速く、強くあり続けることを求められる、彼の切迫した心理状況や、メダル至上主義に傾く大会全体の空気を映し出していた。
IPCは01年、大会発展のため、財政力豊かな国際オリンピック委員会(IOC)との協力関係に合意した。IOCから財政援助を受ける代わりに、競技のエリート性を高めることを約束。組織委員会は08年北京大会から一体化され、今大会は、五輪の利益をパラリンピックの宣伝広告費に回すことで、初めて200万枚を超す入場券を売りさばいた。世界100カ国・地域以上に放映権を販売することにも成功した。
パラリンピックの露出拡大により、国の成熟度や福祉力を国際的にアピールできる場としての価値も高まり、3大会連続で最多の金メダルを獲得した中国をはじめ、障害者専用の強化施設を整える国も増えた。IPCは競技規則の「人のパフォーマンスが重要で科学技術や器具の性能を争う場でない」との原則を強調したが、メーカーも用器具の新商品開発を競い、今大会は実施503種目中200を超える種目で世界記録が出た。
義足や車いすで選手が疾走した五輪スタジアムは、約8万人収容の客席が連日、満員。日本パラリンピック委員会(JPC)の安岡由恵・国際調整係長は「北京大会も声援が大きかったが、主に自国の選手に向けられていた。今大会は他国の選手であろうが、記録や勝敗に沸いた。競技自体の魅力が伝わってきたんだと実感した」と話した。一方で、ハイレベル化は選手に覚悟を強いる。陸上車いす4種目でメダルなしに終わった北京大会車いすマラソン銀メダリストの上与那原寛和(41)=ネクスト=はこれまで仕事と競技を両立してきたが「競技だけに専念できる環境がないと、もうパラリンピックでメダルを取るのは無理。今後、どう進むか家族と相談しなければ、決められない」と悩ましげだった。
IPCはメダルの価値を高めるため、種目数の削減を図っている。4年後のリオデジャネイロ大会では、今より1割程度減る見込みだ。削減対象の選定は競技人口が重視され、障害の重いクラスの消滅や、軽いクラスとの統合は続くと見られる。手足の指先しか動かないような重度障害者も出場する「ボッチャ」(ボールを標的に近づける競技)の会場は、空席も目についたが、集客力が重視された時に存続できるだろうか。
◇商業化を急ぐと競技人口減少も
1948年、ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院で、アーチェリー大会が行われた。故ルートビヒ・グトマン医師の提唱で、戦傷者の社会復帰が目的だった。これがパラリンピックの起源となり、今回、IPCのフィリップ・クレーブン会長は閉会式で「不可能だと思われた速さや持久力、器用さ、技を選手たちは世界に披露した。世界中のメディアを引き寄せ、『歓声の壁』を築く何百万ものファンを残した。パラリンピックは里帰りし、そして、この先、進むべき道を見つけた」と語った。商業化路線推進の宣言だった。
発展する大会は、障害者のより高い可能性を発信し、同じ境遇にある者に希望を与える。だが急ぐあまり、重度障害者らを置き去りにしてはならない。それは競技人口の減少を意味し、障害者スポーツが自らの首を絞めることになる。「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ」。グトマン医師の言葉を、誰もが共有できる場であり続けてほしいと願う。
毎日新聞 2012年09月14日 00時27分(最終更新 09月14日 00時28分)
障害者スポーツ発祥の地、英国で開かれた第14回夏季パラリンピック・ロンドン大会は9日、12日間の熱戦を終えた。164カ国・地域から選手約4300人を迎えた過去最大規模の大会を取材し、強く印象に残ったのは、先のロンドン五輪にも出場した義足ランナーのオスカー・ピストリウス(25)=南アフリカ=の「問題発言」。そこに加速度的に発展する祭典のひずみを見た気がした。
発言は、同じく両足義足のアラン・オリベイラ(20)=ブラジル=に敗れ、3連覇を逃した2日の男子200メートル決勝後に飛び出した。「彼の義足は信じられないほど長い。不公平だ」。身長などから、その長さを認める国際パラリンピック委員会(IPC)の規定をも批判した。
◇問題発言が示すメダル至上主義
ロンドン五輪に義足ランナーとして初出場を遂げるまで、義足の優位性への偏見に苦しんだピストリウス自身が他の選手の義足に注文をつけたことは波紋を呼んだ。5日、ピストリウスは報道陣の前で謝罪と釈明をした。だが、彼の発言は、スポンサーや広告代理店から障害者スポーツ界の広告塔として、速く、強くあり続けることを求められる、彼の切迫した心理状況や、メダル至上主義に傾く大会全体の空気を映し出していた。
IPCは01年、大会発展のため、財政力豊かな国際オリンピック委員会(IOC)との協力関係に合意した。IOCから財政援助を受ける代わりに、競技のエリート性を高めることを約束。組織委員会は08年北京大会から一体化され、今大会は、五輪の利益をパラリンピックの宣伝広告費に回すことで、初めて200万枚を超す入場券を売りさばいた。世界100カ国・地域以上に放映権を販売することにも成功した。
パラリンピックの露出拡大により、国の成熟度や福祉力を国際的にアピールできる場としての価値も高まり、3大会連続で最多の金メダルを獲得した中国をはじめ、障害者専用の強化施設を整える国も増えた。IPCは競技規則の「人のパフォーマンスが重要で科学技術や器具の性能を争う場でない」との原則を強調したが、メーカーも用器具の新商品開発を競い、今大会は実施503種目中200を超える種目で世界記録が出た。
義足や車いすで選手が疾走した五輪スタジアムは、約8万人収容の客席が連日、満員。日本パラリンピック委員会(JPC)の安岡由恵・国際調整係長は「北京大会も声援が大きかったが、主に自国の選手に向けられていた。今大会は他国の選手であろうが、記録や勝敗に沸いた。競技自体の魅力が伝わってきたんだと実感した」と話した。一方で、ハイレベル化は選手に覚悟を強いる。陸上車いす4種目でメダルなしに終わった北京大会車いすマラソン銀メダリストの上与那原寛和(41)=ネクスト=はこれまで仕事と競技を両立してきたが「競技だけに専念できる環境がないと、もうパラリンピックでメダルを取るのは無理。今後、どう進むか家族と相談しなければ、決められない」と悩ましげだった。
IPCはメダルの価値を高めるため、種目数の削減を図っている。4年後のリオデジャネイロ大会では、今より1割程度減る見込みだ。削減対象の選定は競技人口が重視され、障害の重いクラスの消滅や、軽いクラスとの統合は続くと見られる。手足の指先しか動かないような重度障害者も出場する「ボッチャ」(ボールを標的に近づける競技)の会場は、空席も目についたが、集客力が重視された時に存続できるだろうか。
◇商業化を急ぐと競技人口減少も
1948年、ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院で、アーチェリー大会が行われた。故ルートビヒ・グトマン医師の提唱で、戦傷者の社会復帰が目的だった。これがパラリンピックの起源となり、今回、IPCのフィリップ・クレーブン会長は閉会式で「不可能だと思われた速さや持久力、器用さ、技を選手たちは世界に披露した。世界中のメディアを引き寄せ、『歓声の壁』を築く何百万ものファンを残した。パラリンピックは里帰りし、そして、この先、進むべき道を見つけた」と語った。商業化路線推進の宣言だった。
発展する大会は、障害者のより高い可能性を発信し、同じ境遇にある者に希望を与える。だが急ぐあまり、重度障害者らを置き去りにしてはならない。それは競技人口の減少を意味し、障害者スポーツが自らの首を絞めることになる。「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ」。グトマン医師の言葉を、誰もが共有できる場であり続けてほしいと願う。
毎日新聞 2012年09月14日 00時27分(最終更新 09月14日 00時28分)