ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

記者の目:パラリンピック・ロンドン大会=藤野智成

2012年09月14日 02時03分13秒 | 障害者の自立
 ◇発展の陰に見えたひずみ

 障害者スポーツ発祥の地、英国で開かれた第14回夏季パラリンピック・ロンドン大会は9日、12日間の熱戦を終えた。164カ国・地域から選手約4300人を迎えた過去最大規模の大会を取材し、強く印象に残ったのは、先のロンドン五輪にも出場した義足ランナーのオスカー・ピストリウス(25)=南アフリカ=の「問題発言」。そこに加速度的に発展する祭典のひずみを見た気がした。

 発言は、同じく両足義足のアラン・オリベイラ(20)=ブラジル=に敗れ、3連覇を逃した2日の男子200メートル決勝後に飛び出した。「彼の義足は信じられないほど長い。不公平だ」。身長などから、その長さを認める国際パラリンピック委員会(IPC)の規定をも批判した。

 ◇問題発言が示すメダル至上主義

 ロンドン五輪に義足ランナーとして初出場を遂げるまで、義足の優位性への偏見に苦しんだピストリウス自身が他の選手の義足に注文をつけたことは波紋を呼んだ。5日、ピストリウスは報道陣の前で謝罪と釈明をした。だが、彼の発言は、スポンサーや広告代理店から障害者スポーツ界の広告塔として、速く、強くあり続けることを求められる、彼の切迫した心理状況や、メダル至上主義に傾く大会全体の空気を映し出していた。

 IPCは01年、大会発展のため、財政力豊かな国際オリンピック委員会(IOC)との協力関係に合意した。IOCから財政援助を受ける代わりに、競技のエリート性を高めることを約束。組織委員会は08年北京大会から一体化され、今大会は、五輪の利益をパラリンピックの宣伝広告費に回すことで、初めて200万枚を超す入場券を売りさばいた。世界100カ国・地域以上に放映権を販売することにも成功した。

 パラリンピックの露出拡大により、国の成熟度や福祉力を国際的にアピールできる場としての価値も高まり、3大会連続で最多の金メダルを獲得した中国をはじめ、障害者専用の強化施設を整える国も増えた。IPCは競技規則の「人のパフォーマンスが重要で科学技術や器具の性能を争う場でない」との原則を強調したが、メーカーも用器具の新商品開発を競い、今大会は実施503種目中200を超える種目で世界記録が出た。

 義足や車いすで選手が疾走した五輪スタジアムは、約8万人収容の客席が連日、満員。日本パラリンピック委員会(JPC)の安岡由恵・国際調整係長は「北京大会も声援が大きかったが、主に自国の選手に向けられていた。今大会は他国の選手であろうが、記録や勝敗に沸いた。競技自体の魅力が伝わってきたんだと実感した」と話した。一方で、ハイレベル化は選手に覚悟を強いる。陸上車いす4種目でメダルなしに終わった北京大会車いすマラソン銀メダリストの上与那原寛和(41)=ネクスト=はこれまで仕事と競技を両立してきたが「競技だけに専念できる環境がないと、もうパラリンピックでメダルを取るのは無理。今後、どう進むか家族と相談しなければ、決められない」と悩ましげだった。

 IPCはメダルの価値を高めるため、種目数の削減を図っている。4年後のリオデジャネイロ大会では、今より1割程度減る見込みだ。削減対象の選定は競技人口が重視され、障害の重いクラスの消滅や、軽いクラスとの統合は続くと見られる。手足の指先しか動かないような重度障害者も出場する「ボッチャ」(ボールを標的に近づける競技)の会場は、空席も目についたが、集客力が重視された時に存続できるだろうか。

 ◇商業化を急ぐと競技人口減少も

 1948年、ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院で、アーチェリー大会が行われた。故ルートビヒ・グトマン医師の提唱で、戦傷者の社会復帰が目的だった。これがパラリンピックの起源となり、今回、IPCのフィリップ・クレーブン会長は閉会式で「不可能だと思われた速さや持久力、器用さ、技を選手たちは世界に披露した。世界中のメディアを引き寄せ、『歓声の壁』を築く何百万ものファンを残した。パラリンピックは里帰りし、そして、この先、進むべき道を見つけた」と語った。商業化路線推進の宣言だった。

 発展する大会は、障害者のより高い可能性を発信し、同じ境遇にある者に希望を与える。だが急ぐあまり、重度障害者らを置き去りにしてはならない。それは競技人口の減少を意味し、障害者スポーツが自らの首を絞めることになる。「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ」。グトマン医師の言葉を、誰もが共有できる場であり続けてほしいと願う。

毎日新聞 2012年09月14日 00時27分(最終更新 09月14日 00時28分)

「可能性の豊かさ教わった」 辻井いつ子さんが講演

2012年09月14日 01時59分36秒 | 障害者の自立
 川崎市健康福祉局は9月3日、高津市民館で「第5回川崎市障害者雇用促進シンポジウム」を開いた。「共に働き、共に生きる」をテーマに、障害のある人の雇用環境の改善などを目指して開催し、約200人が来場した。

 当日は、ピアニスト辻井伸行さんの母親の辻井いつ子さんを講師に、「子どもの才能の見つけ方、伸ばし方」と題した特別講演を実施。辻井さんは「音楽でつながって会話ができると感じて嬉しかった。人間が持っている可能性の素晴らしさをわが子から教わった」とし、子育ての苦労話や伸行さんの国内外での活躍などについて語り、会場は大きな拍手に包まれた。

 パネルディスカッションでは、市内で障害のある人を積極的に採用している企業の代表者ら3人が登場し、雇用促進などについて意見を交換した。

タウンニュース -2012年9月14日号

【孤立死 どう防ぐ】<上>民生委員が見守るまち

2012年09月14日 01時56分50秒 | 障害者の自立
 周囲との交流がないまま自宅で誰にも気付かれず亡くなる孤立死(孤独死)。今年に入ってからは、独居高齢者だけでなく、同居人が急死し残された認知症高齢者や障害者20+ 件が亡くなる悲劇的なケースも相次いでいる。孤立死をどう防ぐべきか。2005~07年に生活保護費の不支給に伴う孤立死が相次いだ反省から、官民を挙げて対策に取り組む北九州市の現場を取材した。

 8月半ば、夏休みというのに、遊具がそろった公園に子どもの姿はない。北九州市八幡西区小嶺台。この地区は、全国20の政令市で最も高齢化が進んでいる北九州市でも、抜きんでて高齢者が多い。中でも小嶺台2丁目の高齢化率(65歳以上の人口の割合)は54・4%(11年9月現在)。まさしく、高齢者の町だ。

 小嶺台は、北九州市が産業都市として発展を続けていた昭和40年代に開発されたベッドタウン。市営団地やマイホームが立ち並ぶ。高度成長が終わると、大人になった子どもたちは家を出て、親たちだけが残された。75歳以上の住民が4人に1人で、コミュニティーの維持は危機的状況だ。

 そんな現場で奮闘するのが民生委員だ。寺島美佐子さん(72)は民生委員になって27年。福祉協力員と手分けし、月1回程度の高齢者宅訪問を続けている。

 地区の独居高齢者に好評なのが月に1度の食事会。「やよい会」と名付けて不定期で始めたが、せがまれて定期化し、もう26年が過ぎた。「『お母さんはやよい会の世話ばっかり』と文句を言っていた息子もとっくに大人になり、福祉の仕事に進みました」

 2年前、地域の高齢者で開いた新年会。カラオケ好きの独居男性が姿を見せない。「どうしたんやか」と自宅を見に行くと、病気で1日前に亡くなっていた。やっとのことで遠い親戚を捜し出し、説得して葬儀を出してもらった。80代の女性宅で市政だよりが投函(とうかん)されたままなのに町内会長が気付き、急病で動けなくなっていた女性を病院に収容したこともある。

 「病気や異変にいかに気付けるか。日ごろから、洗濯物は干してあるか、電気はついているか、と気配りが大事」と寺島さん。

 一方で、民生委員の負担軽減が、市の大きな課題になっている。委員は特別職の地方公務員とみなされ、高齢者の見守り活動などを一手に担う。それなのに無報酬で、活動費が年7万5千円支給されるだけ。北九州市で孤立死が問題化した際には、批判の矛先が民生委員にも向いた。

 市いのちをつなぐネットワーク推進課の清田啓子課長は「委員の皆さんは、善意から地域に尽くしてくださる普通の市民。待遇改善が、高齢者の見守り活動を維持する鍵になる」と語る。市は本年度から委員定数を30人増員した。表彰制度を見直し、委員への情報提供の充実や区役所の支援態勢の強化に取り組む。

 ただ、見守り活動で厄介なのが、どうしても他人に心を開かない人だ。特に男性に多い。寺島さんも、ある男性から「俺が死んどるか確認に来たんやろ。帰れ」と怒鳴られた。「それでも私たちは、行かないわけにはいかない」

 8月中旬、89歳の独居女性宅を訪れた寺島さん。「暑さはまだ続くけん、一日に何度も水分を取らないかんよ」と何度も念を押した後、女性にマップを手渡した。外出が不自由な高齢者が電話一本で生活必需品を調達できるように、民生委員や社会福祉協議会が協力して製作したものだ。商店の電話番号や住所、営業時間を記載している。

 「孤立死を完全になくすことはできません。それでも私たち民生委員は、何でも打ち明けてもらえる関係を1人でも多くの人と築けるよう心の目を開いてやっていくだけです」。額の玉のような汗をぬぐって、寺島さんが言った。

    ×      ×

 ●ワードBOX=孤独死

 周囲との交流がなく、地域や社会から孤立して必要な支援を受けられない状況の中で、誰にもみとられず亡くなること。孤独死とも呼ぶが、孤立の度合いにより、孤立死と孤独死を区別することもある。近年は過疎地より大都市で発生しやすい傾向にある。核家族化やマンション・団地住まいの増加など、居住形態や家族構成の変化が背景にあるとみられる。

 今年に入ってからは、札幌市で1月、生活保護を受けられずに姉(42)が病死し、同居していた知的障害がある妹(40)も凍死しているのが見つかった。その後も東京都や埼玉県などで複数の家族の孤立死が続発。8月には東京都多摩市で、寝たきりで要介護の母親(80)と娘(49)が亡くなっていた。

 北九州市では05年に八幡東区、06年に門司区、07年に小倉北区で、50~60代の男性計3人が生活保護を受けられず孤立死したことが発覚し、生活保護支給の適正化が図られた。


=2012/09/13付 西日本新聞朝刊= 2012年09月13日 11:38

船橋の福祉作業所運営者、「障害者施設開設」ノウハウ本出版

2012年09月14日 01時50分24秒 | 障害者の自立
 船橋市内で福祉作業所を営む友野剛行さん(43)が9月22日、6人の仲間との開設から4年余りで職員数70人、事業所数20以上まで拡大したノウハウを一冊の本にまとめて出版する。

 友野さんは、船橋市内に本拠地を構えるふくしねっと工房(船橋市滝台町)を中心に習志野市や八千代市、浦安市にも事業所を構え、3つの法人で20以上の作業所や店舗を経営する「ぐらすグループ」の代表。

 組織が大きくなるにつれ、裏腹に課題も湧き出てくる。「組織を大きくするのには限界がある。一方で居場所の無い人をこれまでに一度も断ったことがなかったので、これから先も断らずに受け入れていきたい」と、自身の心情と実際の運営のはざまで友野さんは矛盾を抱えていたという。

 悩んだ末、自身の組織ぐらすグループを拡大するのではなく「これからは他の事業所を支援してゆくことで、間接的に居場所のない人を支援していこう」と、これまでに蓄えてきたノウハウ全てをまとめて出版する事を決めたという。

 同書には、友野さんが1997年に福祉作業所に入社した時からこれまでの経験や思いに加え、2008年に自身で仲間6人と作業所を立ち上げてから、これまでの経営者としての経験という約15年分の友野さんの思いが詰まっている。

 「福祉の業界で働きたいという方はまずこれを読んでほしい」と、友野さんは同書を福祉業界の入門書として位置付ける。「福祉作業所を立ち上げてみたいけど、現在の福祉業界に矛盾を感じているという方が最初に手にするには最適な本。本当にやりたいのか、できるのかを自分自身に問いかけるきっかけになるはず」とも。

 体裁はB6判サイズで224ページ。初版は1100部発行。価格は1,470円。全国の書店店頭に並ぶ。津田沼駅の丸善には多少多めに並ぶ予定だという。


独立から4年で20以上の施設を開設したノウハウを一冊の本にまとめた友野さん

秋田経済新聞 - (2012年09月13日)

県:原発災害時の「住民避難計画」概要 高齢者など要援護者に配慮 /鳥取

2012年09月14日 01時46分07秒 | 障害者の自立
 県の「原子力安全対策プロジェクトチーム」は12日、原発災害発生時の「住民避難計画」の概要を発表した。高齢者や障害者など災害時要援護者や児童生徒の避難方法、避難者の受け入れ地域など、災害発生時の行政の対応などを盛り込んだ。県議会や各市町村などの意見をもとに修正し、来年1月に予定される島根県との原発事故の想定訓練までに、計画を取りまとめる。

 計画案は「何らかの事故によって、半径30キロ圏の緊急防護措置区域(UPZ)の住民避難が必要になった」場合を想定。住民の被ばくを防止するため、住民の一斉避難による大渋滞の発生や要援護者への配慮などを計画に規定している。

 要援護者について、重度者は社会福祉施設や医療機関に直接搬送。その他は一時避難施設に移送した後で、必要に応じて医療機関に搬送するなど、優先順位を付けるとした。また一斉避難による混乱を避けるため、(1)境港市の原発15キロ圏内(2)同市の原発20キロ圏内(3)米子市の原発25キロ圏内(4)同市の原発30キロ圏内−−の順に避難誘導を行う。乳児や未就学児、妊婦などは優先的に避難させることなどを、計画している。

 同計画は、今年度中に策定を目指している県の地域防災計画内の柱となる計画。原発事故に重点的に備える防災対策区域が半径8〜10キロ圏から同30キロ圏に拡大されることに伴って、県は国から原子力対策を盛り込んだ地域防災計画を策定するよう求められている。住民避難計画はその一環で、策定を急いでいる。

毎日新聞 2012年09月13日 地方版