ゴエモンのつぶやき

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「障害者差別禁止」「じん肺基金創設」 弱者支援2法案放置

2013年02月05日 12時22分57秒 | 障害者の自立

 政権交代による政治空白と安倍政権の発足で、社会的弱者を支援するための二法案がたなざらしになっている。障害者の社会参加を支援する法案と、トンネル工事でじん肺を患った労働者を救済する基金を創設する法案だ。民主党政権は両案の国会提出と成立を目指したが、安倍政権下では国会提出さえ見通せない。 


 障害者の社会的参加を支援する法案は「障害者差別禁止法案」。民主党政権が「国連障害者権利条約」の批准へ国内法を整備する一環として、この通常国会での成立に向けて準備していた。


 内閣府は昨年九月、法案の意見書をまとめた。障害のある人が障害のない人と同じ行動が取れるようにする「合理的配慮」をしないことなどを差別と定義。入り口に段差のある飲食店に対し、車いす利用者が一人でも入店できるようスロープを設けることなどを求める内容だ。


 民主党は惨敗した衆院選後の昨年十二月、与党時代の責任を果たそうと、意見書に基づき障害者差別禁止法の考え方を策定。公明、社民両党なども衆院選公約に「制定を目指す」と明記した。民主党政権時も参院は与野党が逆転していたが、他の野党の賛成も見込まれたため、民主党政権なら成立の公算が大きかった。


 しかし、自民党内には企業に負担を求める内容に対して異論があり、同党の衆院選公約には法案への記述は一切なかった。石破茂幹事長は与党復帰後「(障害者自立支援法などの)現行法で対応する」と明言。法案は棚上げ状態になった。


 もう一つのじん肺患者を救済する法案は、建設業界の資金拠出などで救済基金を創設する内容だ。


 トンネルじん肺をめぐっては二○○七年の第一次安倍内閣で、国を相手取った賠償請求訴訟の和解が多くの原告団と成立し、国が安全管理の徹底を約束した一方、原告側が賠償請求を放棄した。


 その後、自民、公明、民主三党などは原告側から要望を受け、企業の和解金支払いとは別に、党内で救済策を検討。昨夏、新たなじん肺の発症者が出た場合などに補償する基金の創設で三党実務者が大筋合意し、法案は成立すると思われた。


 しかし、衆院解散によって三党合意は事実上の白紙になった。自公政権の発足後、公明党は自民党に対して二党で法案を提出し、民主党に協力を呼び掛けるよう打診しているが、自民党内は「参院選を控え、建設業界から支援を受けている党内の議員が抵抗しており、法案を提出できる状態ではない」(党中堅議員)という。


 旧建設省出身で自民党の脇雅史参院国対委員長は本紙の取材に「建設会社がかつて原因者だったから資金を出せ、というのは論理に飛躍があり、現憲法下では(負担を求める)理屈にならない」と指摘した。民主党に比べ、財界や業界団体に近い自民党の姿勢が鮮明になりつつある。

東京新聞-2013年2月4日 朝刊

南房総の障害者施設入所者虐待:職員への暴行で元理事長追起訴 /千葉

2013年02月05日 12時19分38秒 | 障害者の自立
 南房総市の精神障害者10+件施設「ふるさとホーム白浜」の入所者虐待事件で、千葉地検木更津支部は4日、施設を運営する社会福祉法人「愛と光の会」(東京都荒川区)の元理事長、山下洋子(ひろこ)被告(71)=傷害罪で起訴=を、女性職員(39)に対する暴行罪で追起訴した。起訴内容を認めているという。

毎日新聞 2013年02月05日 地方版

障害者はいつまでも支援の対象? - 飯嶋茂

2013年02月05日 12時12分07秒 | 障害者の自立
・個別支援計画が義務付けられているけど

 NPO法人麦の会が運営する障害者支援事業所「コッペ」は、半年に1度「個別支援計画」の作成が義務付けられている。その都度、支援対象となっている障害メンバーに聞き取りをし、それに基づいて目標を決め、その実現に向けて支援計画を作り、それに沿って支援を行っていくというものだ。しかし、私はこの個別支援計画がどうにも好きになれない。

・普通は20才になったらとりあえず大人じゃないか

 何より、いつまでも障害者を一人前の大人として認めていないという発想が感じられて嫌なのだ。障害者はいくつになっても支援の対象なのか。何か成果がないといけないのか。学校時代ならともかく、卒業したらもういいではないか。できることがあろうとなかろうと、まずは一人の人間としてその人の現状を受け止めることからはじめればいいではないか。

 一般の人なら通常は求められないことを、必要以上に強要されるのは差別に他ならない。20才になっても30才になっても40才になっても50才になっても60才になっても「支援」の対象とされ、「成長」を求められるのは差別ではないのか。

 コッペには長年勤めてくれている60代の方がいる。この方の仕事内容はほぼ決まっている。毎日きちんとその仕事をこなしてくれている。もう、ありがとうとしかいいようがない。法で義務づけられている以上、半年に一度書くわけだが、この人の個別支援計画は毎回変わらず、これからもコッペで元気で働いてください、である。ほぼ同じことを書いているのだが、これ以上何を書けというのだろうか。

 パンとクッキーを作るという仕事があり、その仕事を通じて技術的な面でも人間的な面でも結果として成長する。長く働いている障害メンバーの中には、後から入ってくる人に仕事を教えてくれる人もいる。われわれよりも上手にシールをはる人がいる。6か月ごとの見直しは、そういえばそんなこともあったなとかできるようになったとか、どちらかというと確認の作業である。

・障害者は支援されるだけの存在か

 障害者が常に支援される、という発想も嫌いな理由の一つだ。コッペは誰もが共に生き、働ける場を作ろうと始めた。障害がある無しにかかわらず、共に働く仲間として互いの関係をつくろうとしてきた。職員・通所者などと区別することなく、できる人もできない人も、それぞれがその人なりの力を合わせて一つの商品を生み出そうとしてきた。障害者がいることにより、みんなの働き方は違わざるをえなくなり、支援する側がいつのまにか支援される側になっているときもある。障害者事業所は、既存の福祉施設とも一般企業とも違う価値観を生み出せる可能性がある場所だ。

 ちなみにコッペでは障害の重い軽いで給料に差は付けていない。コッペにいる時間×時給が基本であり、年数を加味しているだけである。障害者が働きづらい社会は効率が優先される社会であり、そんな社会と同様に能力によって区別することはしたくないからである。

 もう一つ付け加えると、「個別」の計画でいいのかという思いもある。人は関わりの中で生きているわけで、個で生活しているわけではない。個人にこだわるあまり、関係性の中での計画であることが忘れられがちなのではないかと思う。 

・特別な支援ではなく、当たり前の支援を

 コッペは開店から二十数年以上、おかげさまでコッペで働くメンバーの姿は地域に当たり前のように受け止められている。特別な支援をしたわけではなく、できないことがある人にはできる人が手伝うという、それこそ当たり前の必要な「支援」をしながら、地域でパンとクッキーを作って売ってきた成果だ。願わくば、個別支援計画などと特別なことをしなくとも、互いに、当たり前に、手助けができる社会になればと思う。

(仙台市・「NPO法人麦の会」代表理事 飯嶋茂)

BLOGOS-2013年02月04日 08:00