ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者の差別禁止、企業に義務づけ 差別解消法案成立へ

2013年06月19日 01時36分52秒 | 障害者の自立
障害者に対する「差別的取り扱いの禁止」や「合理的配慮」を行政機関や民間事業者に求める障害者差別解消法案が18日、参院内閣委員会で全会一致で可決された。19日の参院本会議で可決、成立する見通しだ。国連の障害者権利条約を批准する環境が整う。

 法案は(1)障害を理由とした差別的取り扱いの禁止(2)障害者が壁を感じずに生活できるように合理的な配慮をすること――の義務づけが柱。国・自治体は2点とも法的義務だ。民間事業者は(1)を法的義務とし、(2)は努力義務にとどめる。合理的配慮の義務が生じるのは、障害者らから求めがあり、負担が重すぎない場合に限る。

 対象は教育、公共交通、医療など幅広い分野にわたる。2016年4月の施行までに政府が分野別に指針を定め、どんな行為が差別に当たるかなどを示す。実効性を確保するために、民間事業者を指導・勧告する権限を国に与え、事業者が従わなかったり、虚偽の報告をしたりした場合は、20万円以下の過料を科す。

 政府は、障害者の差別を禁じた障害者権利条約の批准に向けて、障害者基本法や障害者総合支援法などの整備を進めてきた。障害者差別解消法が成立すれば準備が整うことになる。

asahi.com-2013年6月18日18時22分

花の苗植え:障害者と児童たち交流−−大村市の福重小 /長崎

2013年06月19日 01時34分59秒 | 障害者の自立
 大村市身体障害者団体連合会のメンバーがこのほど、同市の福重小で4年生50人と一緒に花の苗を植えた。障害者と小学生が交流することでお互いの理解を深めようと毎年学校や施設で花を植えている。

 肢体や視・聴覚などに障害がある約30人とサポーター15人が同小を訪れ、サルビア、マリーゴールド、ポーチュラカの苗計300本を子供たちとプランターに植えた。

 子供たちは、目の不自由な人の手を取ってエスコートしたり、自分の名前を表す手話を習って交流。「どんな花が咲くか楽しみ」「きちんと水やりをして育てます」などと楽しそうだった。

 同連合会の田中弘仁会長は「障害者のなかには外に出ることが少ない人も多い。子供と接して元気になってもらえれば」と話していた。

毎日新聞 2013年06月18日 〔長崎版〕

わがこと防災減災 障害者 避難行動、ハンディ多大

2013年06月19日 01時26分58秒 | 障害者の自立
 東日本大震災では、自力避難が難しいお年寄りや障害者が多く亡くなった。一方で、災害弱者を救おうとした町内会役員や民生委員、消防団員の犠牲も目立った。あの日の証言とともに、要援護者の避難と支援の課題を探る。(「いのちと地域を守る」取材班)

◎人の力や誘導不可欠

 障害者は日常生活だけでなく、被災時の避難行動でも大きなハンディを負う。津波が迫る中、生と死は紙一重だった。
 訪問入浴サービスの直後だった。突然の激しい揺れ。石巻市松並の主婦阿部由美子さん(53)はスタッフとともに、重度の障害で寝たきりの次男弘樹さん(23)のベッドに駆け寄った。
 弘樹さんは自力で移動できず、会話も困難。食事をはじめ、日常生活の全てに介助が必要だ。由美子さんは弘樹さんの体に覆いかぶさり、上から落ちてくる物から守ろうとした。
 揺れが収まって約10分後、夫が市内の勤務先から血相を変えて戻ってきた。「津波だ。逃げろ」
 夫とスタッフ、2人がかりで弘樹さんを抱え、車に乗せた。由美子さんは弘樹さんの生活に欠かせない栄養剤、たん吸引器、車椅子、毛布を積み込んだ。

 自宅は海から500メートル。海と逆方向に車を発車させて間もなく、道路の両端を泥水が流れてきた。渋滞に遭うことなく、スーパー屋上の駐車場に乗り入れた。周辺は既に波にのみ込まれ、濁流の中から「助けて」と叫ぶ声が聞こえた。
 災害時、弘樹さんを安全に移動させるには、3人以上の人手が必要だ。普段は自宅で由美子さんと弘樹さんが二人きりのことも多い。
 夫の帰りが、あと1分遅かったら。訪問入浴のスタッフがいなかったら。道が混んでいたら。思い返すたび、由美子さんは不安になる。

 名取市閖上の渡辺征二さん(72)、勝子さん(68)の夫婦は、海から1キロ離れた自宅で地震に遭った。ともに耳が聞こえない。揺れで落ちてきた蛍光灯や食器が床に散乱した。テレビのスイッチを入れたが、停電で映らない。普段はメールの利用で重宝している携帯電話も通信できなかった。取りあえず、2人は自宅の片付けを始めた。
 そのころ、家の周辺では消防団と消防署員が車を走らせながら避難を呼び掛け、逃げる人々で騒然としていた。夫婦には避難誘導も、外の様子も届かない。
 午後3時半すぎ、夫婦の身を案じて兄敏正さん(76)が駆け付けると、地域に人影はなかった。ごう音が聞こえる。慌てて家の中に飛び込み、2人を見つけ、身ぶり手ぶりで訴えた。「津波が来てる」
 3人で家から出た。黒い波が500メートル先の住宅街に迫っていた。敏正さんの車に飛び乗り、津波に追い掛けられながら内陸へ急いだ。仙台東部道路にたどり着くと、水にのまれた人や車が流されて来るのが見えた。
 「自分たち聴覚障害者は動けるのだから、揺れたら逃げないといけなかった」と征二さんは反省する。
 内閣府の調査によると、東日本大震災では、障害者1702人が犠牲となった。死亡率は1.47%で住民全体の死亡率0.75%の2倍に達した。


両親と訪問入浴スタッフの3人がかりで、障害のある弘樹さんを避難させた(イラスト・栗城みちの)

◎体験者が実情訴え/避難の課題、地域と共有

 東日本大震災を経験した障害者が、避難の課題を地域と共有し、被災時の避難支援に結び付けようという取り組みが進んでいる。
 視覚障害者の団体でつくる日本盲人会連合は本年度、「語り部プロジェクト」に乗り出した。
 話し手は、岩手、宮城、福島各県の視覚障害者。震災の教訓を語り継ぐ一方、震災発生後の情報収集や避難行動に、周囲の手助けが欠かせない実情を知ってもらうのが狙い。これまで3県の18人が登録した。

 釜石市で5月24日、初めての語り部活動が行われた。釜石に住む中村亮さん(59)が、花巻市南城中の1年生約90人に被災体験を語った。
 あの日、全盲の中村さんは揺れが収まった後、一人で避難場所に行くのは難しいと判断し、同居する妹の帰りを待った。心配して訪ねてきた近所の住民に手を引かれ、津波が迫る中、高台に避難したという。「自分の力だけでは避難できない人がいることを心に留めてほしい」と強調した。
 今後、秋田市や名古屋市での開催を予定する。日本盲人会連合東北ブロック理事の及川清隆さん(60)=奥州市=は「自分たちの体験や教訓を風化させないために、障害者が能動的に取り組む必要がある。活動を通じ、避難の課題を広く社会に訴えたい」と説明する。

 障害者が自ら身を守る方法を学ぶ試みも始まった。宮城県ろうあ協会などの県内5団体で作る「みやぎ被災聴覚障害者情報支援センター」は本年度、聴覚障害者の防災力向上を目指し、相談会や講習会を始める。
 震災後、障害者から「防災無線の情報が得られなくて不安だった」「周りの人とコミュニケーションが取れず、困った」などの声が寄せられた。
 相談会では地域の避難場所や、海の近くで揺れを感じたら高台や内陸部に逃げる避難の基本を確かめる。自治体が防災無線の内容をメール配信するサービスの登録や、要援護者の避難支援の計画を学ぶ機会も設ける。
 宮城県ろうあ協会の小泉正寿会長(63)は「震災時は、情報を得られず逃げ遅れたり、どうしたらいいか分からなかったりした人たちが多かった。障害者自ら、震災の教訓を次の備えに生かす努力をしていく」と話す。


当時の避難経路を歩きながら中学生らに体験を語る中村さん(左端)=5月24日、釜石市

河北新報-2013年06月18日火曜日

県障害者スポーツ賞 出来島さん受賞

2013年06月19日 01時22分53秒 | 障害者の自立
 障害者のスポーツ大会で優秀な成績を収めた選手を表彰する県障害者スポーツ賞に新発田市の出来島桃子さん(38)(右上肢不自由)、同奨励賞に上越市の蓑和忠文さん(66)(右下肢不自由)が選ばれ、11日、県庁で表彰式が行われた。出来島さんは2014年3月に行われるソチ冬季パラリンピック代表に内定している。

 出来島さんは、1月に米ウィスコンシン州で開かれた障害者ノルディックスキーワールドカップのバイアスロン・ミドルで2位に輝いた。蓑和さんは、2月に秋田県で開かれた全国身体障害者スキー大会の男子回転座位で優勝した。

 泉田知事は2人に、「努力をすれば結果が出せることを身をもって発信し、社会に明るい話題を届けていただいた」と話した。

 蓑和さんは2000年、勤務中の交通事故で右足の膝から下を失った。1年間の入院後、リハビリの担当医の勧めでチェアスキーを始めた。現在は、入院中に同部屋だった仲間から教わった養蜂をしながら、全日本スキー連盟(SAJ)の指導員の資格を取得し、健常者にもスキーを教えている。シーズンごとに100日は滑ると言い、「何歳まで滑れるか挑戦していきたい」と意気込む。

 出来島さんはパラリンピックに2大会連続出場しており、ソチ大会に向けて「冬まで限られた時間の中でできることをしていきたい」と語った。


泉田知事から表彰を受ける出来島さんと蓑和さん(左、県庁で)

(2013年6月18日 読売新聞)