ゴエモンのつぶやき

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視覚障害者生活の場、グループホーム開所 青森、入居者募集

2015年05月04日 02時30分27秒 | 障害者の自立

 視覚障害者のためのグループホーム「きぼう」(青森市古館)が1日、開所し、入居者を募集している。県内で、視覚障害者に限ったグループホームは珍しいという。

 ホームは手すりを壁に沿うように付けたり、音声ガイド付きのクッキングヒーターがあったりと、視覚障害者が快適に暮らせるような工夫が施されている。6畳ほどの個室があり、風呂場とトイレ、リビングなどは共有で、定員は4人。月額の利用料は家賃3万2千円、食費4万5千円など。

 ホームの向かいには、今年4月に開所したばかりのデイサービス「みんなの架け橋」がある。今月中に作業所も始まるという。ホームもデイサービスも、NPO職員らが集まって立ち上げたという株式会社「みんなの架け橋」が運営する。

 同社のデイサービス管理者で、県視覚障害者情報センターに約15年勤務した経験がある黒沢幸子さんは「視覚障害者の方でも、やりたいことをできる環境を提供したいという思いがあった」と、開所のきっかけを話す。

 見学の問い合わせなどは「きぼう」(017・757・9090)まで。

 

個室の入り口にある突起は、視覚障害者の人も分かるように部屋番号を示している=1日、青森市古館

(朝日新聞 2015年5月2日掲載)


供用開始、目標は17年度 高齢者と障がい者の避難・交流施設

2015年05月04日 02時21分56秒 | 障害者の自立

 高齢者や障がい者らの避難施設と交流施設の機能を併せ持つ、福祉避難所兼ふれあい交流施設の整備事業で、石垣市は2015年度に実施設計を行う予定だ。福祉総務課によると、一括交付金の交付が決定し次第、実施設計に入る。建設場所は、おおかわ幼稚園西側の市有地1363平方㍍(現県八重山農村青少年教育センター)。16年度の着工、17年度の供用開始を目指す。

 市はこれまで台風時などの避難先として市健康福祉センター内のこどもセンターを使用してきたが、高齢者や障がい者ら要援護者が安全・迅速に避難できる福祉避難所が必要として整備することになった。八重山で初めて。平常時は交流施設として使用される。

 市が13年3月にまとめた基本計画によると、施設は2階建てを想定、▽災害時の避難所としての機能▽人々が気軽に集える居場所としての機能▽イベント・催事も可能となる機能—を持たせる。

 これらの機能に対応するため、備蓄・保管庫、浴室・更衣室、身障者用トイレ、保健室、相談室、研修室、和室、にぎわい広場、多目的ホール、調理室、食堂、非常用発電機などを完備する計画だ。

 市は14年度に障がい者団体などの意見を聞きながら基本設計を行った。

 八重山身体障害者福祉協会の比嘉玉子会長は「各団体には集まる場所がないので、そういう場所や、子どもから大人まで使える場所も造ってほしいと基本設計の段階で要望した。実施設計でも図面ができあがるまでに各団体が関われるようにしてもらいたい」と話している。

 市は当初、大川公民館東側の県八重山家畜保健所跡地の市有地で計画したが、将来的には建設地に隣接するおおかわ幼稚園の市有地との一体的な利用を想定して場所を変更した経緯がある。

 

基本計画で示された福祉避難所兼ふれあい交流施設のイメージ

2015年05月03日      八重山毎日オンライン


子宮頸がんワクチン 苦しむ19歳 希望へ命のバイオリン

2015年05月04日 02時09分42秒 | 障害者の自立

 子宮頸(けい)がんワクチンの副作用が疑われる手足の痛みに苦しみながらバイオリニストを目指す女性がいる。桐朋学園大学音楽学部(東京都調布市)二年の伊藤維(ゆい)さん(19)。世界的な指揮者、小林研一郎さん(75)に誘われ、障害者を含むプロとアマのボランティアオーケストラに参加し、五月末にステージに立つ。「人のためになるバイオリニストという夢に一歩近づいた。つらくてもあきらめない」 

 三月二日、維さんは東京・赤坂のサントリーホールで小林さん指揮のコンサートを鑑賞後、小林さんに面会した。知人が維さんのことを小林さんサイドに伝えていた。小林さんと妻の桜(よう)子さんから「五月に調布で『コバケンとその仲間たちオーケストラ』のコンサートがある。維ちゃんも出てみない」と誘われた。驚いたが「ぜひ出たいです」と答えると「いやあ、良かった」と小林さんは笑顔になった。

 小林さんは「仲間オケには健常者も障害者もいて心の叫びのような演奏が生まれる。共に生きる仲間とあきらめないことの大切さを維さんにも感じてもらいたい」と話す。

 維さんは二〇一一年四月、桐朋女子高等学校音楽科に入学。両親と兄と住む横浜市中区の自宅から通学に片道約二時間かかるが、存分にバイオリンに取り組めるのがうれしかった。

 同月に子宮頸がんワクチンの三回目の接種をすると、原因不明の腕や膝の痛みが続いた。二年生の夏からは激痛となり学校も休みがちに。三年生に進級した一三年春、副作用に関する報道を見て被害者連絡会に相談。紹介を受けて受診した医師に「副作用の典型的な症状だ」と告げられた。

 母親の綾季(あき)子さんが運転する車で病院と学校へ通う日々。薬は効かず、授業やコンテストで満足ゆく演奏ができない。そんな時は帰りの車で大声で叫び、涙を流した。「友だちや先生の前では見せなかった姿です」と綾季子さんは思いやる。維さんは「どうして私がこんな目に遭うのか、思うように弾けないのが悔しい」。

 大学に進学できたが症状は好転しない。昨年九月から調布市内に住む。週三日は綾季子さんが泊まりに来るが痛みが強い時にも駆け付ける。「感謝しています」と維さん。

 四歳でバイオリンを始めたが練習嫌いだった。それが小五の夏に「バイオリニストになりたい」と宣言した。フィリピンの貧困に苦しむ子どもたちの支援活動の報告会で現地の様子を写真で見て決意した。「チャリティー公演をして貧しい人の役に立ちたい」。その時から本格的な練習に打ち込んだ。

 ボランティアでチャリティー公演を続けるコバケンとその仲間たちオーケストラは、その夢に近づくことだと思う。それだけではない。子宮頸がんワクチン接種の問題点を広く理解してもらい被害者救済の役に立ちたい。「あの時、抱いた夢をなくすどころか、さらに増えた感じです」と維さんは前向きだ。

<コバケンとその仲間たちオーケストラ> 2005年3月に長野県で開催のスペシャルオリンピックスでのコンサートを機に設立。10年3月からは健常者と障害者の共生社会の実現を願って知的障害者や視覚障害者を含む編成に。31回のコンサートをボランティアで続け、東日本大震災以後は被災地応援コンサートや学校に楽器を贈るなどチャリティーも。コバケンは小林研一郎さんの愛称。

 31日午後3時から「コバケンとその仲間たちオーケストラin調布」を調布市グリーンホールで開催。歌劇「アイーダ」から「凱旋(がいせん)行進曲」、「チゴイネルワイゼン」など演奏。入場料金2000円。知的障害者の招待もある。問い合わせは、事務局=電03(6804)7981。

<子宮頸がんワクチンの副作用> ワクチンは2010年から各自治体で接種への補助が始まり、13年4月に小学6年から高校1年相当の女子を対象に定期接種となった。しかし副作用の報告が相次ぎ、厚生労働省は同年6月、ワクチンの積極的な勧奨を差し控えるよう全国の自治体に勧告した。同省によると14年3月までの副作用報告は2475件で、重篤は617件。

3月2日に面会した小林研一郎さん(後ろ)と伊藤維さん

 


亡き長男に姿重ね子ども支援 三重の女性、通学バス添乗員4年目

2015年05月04日 01時51分10秒 | 障害者の自立

 生まれつき体が不自由で、知的障害があった24歳の長男をみとった母親が、お世話になった特別支援学校でスクールバスの添乗員として働いている。在りし日の長男の姿を感じながら、笑顔で子どもたちと接する日々は4年目を迎えた。

 三重県四日市市の県立特別支援学校「北勢きらら学園」。小中高の児童生徒約130人が通う。同県いなべ市の広谷さつきさん(54)は平日の週5日、送迎バスの添乗員として登下校に付き添い、給食や着替えの手助けもする。

 長男の直大(なおひろ)さんは小学5年生から8年間、車いすに乗って通った。「でんしゃ」「ぎゅうにゅう」など好きな単語は話せ、相手の言葉は理解できたが、思いを伝えることは難しかった。食事や入浴には介助が必要で、1日に2、3回の発作が襲う日もあった。さつきさんは夫(57)と世話にかかりきりだった。

 「長女(29)と次男(24)に十分に目をかけることができたか、自信がない」。さつきさんは子どもたちが、ほかの家庭のようにきょうだいで一緒に遊べない悲しさがあるのではないかと不安を抱いていた。

 1998年3月。長女は小学校の卒業式で、壇上に立ち、しっかりした口調で思い出を発表した。

 「私の弟は障害者で、私には弟が差別されているように感じます。みんな人間なのだから、障害者だけでなく友達にも差別をしてはいけないと思います」

 成長を感じた瞬間。何より直大さんのことを理解してくれていたのがうれしかった。うるんだ目に、長女がぼんやりと映った。

 2008年9月、一家に危機が襲った。学園を卒業し、地元の社会福祉協議会の作業所に通っていた直大さんが、作業所の慰安旅行で発作と肺炎を併発し、ほぼ寝たきりの状態になった。「意思表示ができなくなり、別人のようになってしまった。見ていてつらかった」。その後は入退院を繰り返し、11年夏に容体が急変。息を引き取った。

 「沈んだ気持ちから抜け出せなかった」。さつきさんは直大さんを思い出して涙を流し、気持ちを抑えるため毎晩お経を唱えた。

 死去から半年以上たった12年2月。友人から「スクールバスの添乗員さんが定年退職で辞めるけど、後釜にどう?」と誘われた。「私に出来るかな。思い出して落ち込むかも」。直大さんの担任だった前山祥子(さちこ)さん(49)に相談すると、「障害がある子どもたちの立場を考えられる広谷さんになら安心して任せられる。前に進みませんか」と、背中を押してくれた。

 12年4月から出勤したが、最初の数カ月は直大さんが通っていたころを思い出してつらかった。

 しかし、子どもたちと接するうちに変化が現れ始めた。スプーンを持って食べさせていたのに、1年後には自分でスプーンを持って食べている。あまり話せない子が、接しているうちに名前を覚えて「ひろたにさん」と呼んでくれた……。成長を目の当たりにし、「なおと一緒にいるようで楽しい。できることが増えるのを見るとうれしい」と思えるようになった。今では毎日の仕事にやりがいを感じる。

 さつきさんは時間があれば、直大さんのお墓参りをしている。畑で夫が育てた菊や金魚草などの花々を手向け、そっと語りかける。「みんな元気にやってます。なおも見守ってね」

広谷直大さん(手前)と家族=広谷さつきさん提供

朝日新聞 2015年5月1日掲載


涌谷に放送字幕制作センターが開所

2015年05月04日 01時41分42秒 | 障害者の自立

 テレビ番組などの聴覚障害者用字幕を作る「涌谷・放送字幕制作センター」が、涌谷町涌谷に開所した。障害者が字幕作りを担う就労支援施設で、ウォルト・ディズニー・ジャパンと契約し、「ディズニーチャンネル」で放送するアニメ番組などの字幕を作り始めている。
 センターは鉄骨平屋で建築面積414平方メートル。同町の企業「まちの豆腐屋プロジェクト」が町有地を借りて運営する。技術習熟のため、昨年秋にスタッフ10人が字幕制作を開始し、ことし4月から大崎地方などに住む障害者6人が働く。
 職場では、職員一人一人が画面の的確な位置にパソコンで字幕を挿入していく。それぞれが30分番組の字幕を1日で仕上げられるようになるのが目標という。
 現地で4月24日にあった開所式には、町幹部ら約50人が出席。プロジェクトの森新一専務は「映像コンテンツの魅力が、障害の克服にもつながると実感している。今後、40人の障害者を雇い入れていきたい」とあいさつした。
 ウォルト・ディズニー・ジャパンのヴィルヌーヴ理沙エグゼクティブディレクターは「字幕制作のルールは複雑だが、関係者の熱意のおかげで3月からセンター制作の字幕放送が始まった。ここを新たな躍進のスタートにしてほしい」と話した。

センターの職員がパソコンを使い、丁寧に字幕を打ち込んでいく

2015年05月03日   河北新報