ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

<ひと物語>心のバリアフリーを 茨城大非常勤講師 有賀 絵理さん

2015年05月18日 01時20分18秒 | 障害者の自立

 障害者や高齢者、妊産婦ら災害時の避難が難しい「災害時要援護者」の研究に取り組んでいる。自身も重度身体障害者であり、電動車いすを使用。障害者とそれ以外の「非障害者」が互いを理解し、等しい関係になる「心のバリアフリー」が大切だと語る。

 もともとは環境汚染の問題などを研究しようと茨城大に入学し、野外実習にも熱心に打ち込んだ。今のテーマに至ったのは、社会の中にあるさまざまなバリアーに大学生活で気付かされたから。「スロープの前に自転車が置いてあったり、エレベーターがない建物の受付が二階だったり。環境汚染も大事だが、身近な生活環境は最も大事だと思うようになった」

 入学した一九九九年に東海村で発生したJCO臨界事故は、要援護者対策を考える転機になった。自宅は現場から五~十キロ圏。避難が現実味を帯びる一方、障害者を受け入れる設備のある避難所は近くになく、「避難所を調査しよう」と方向性を定めた。

 被災した障害者の思いを知ろうと、大地震のあった地域で聞き取り調査もした。ある県では、当初は障害者も行政も「問題ない」との返答。しかし「問題がないはずがない」と粘るうちに、困難な体験や諦めを口にする人も現れた。「災害で死んだら本望」「親子で死ねるのなら…」。本音を聞き、「死んだら何にもならない。皆の思いを変えることができる研究をしたい」と強く思った。

 避難には、障害者と非障害者の協力が不可欠だと考えている。キーワードは心のバリアフリーだ。「物理的、制度的、情報、意識(心)、この四つのバリアーを解決して、初めてバリアフリーは成立する。中でも土台になるのが心のバリアフリー」と説く。

 ただ、それがすぐに実現するわけではない。必要なのはまず障害を知り、違いを認め合うこと。「学生たちは私と関わることで、それまで見えなかったものに気付く。雨の日に傘を差してくれたり、スロープの前の自転車を動かしてくれたり。困っている人に自然に声を掛けられるようにもなる」と実感する。

 障害者側の歩み寄りも促したい。「差別されたという思いばかりが募り、激しい言葉を投げ掛けてしまう人もいる。ただ、非障害者も差別したいわけではなく、関わりがないから分からないだけ。日ごろから何でも言い合える関係を築くことが、災害時には何より大切です」 

<ありが・えり> 1980年4月生まれ、日立市在住。茨城大教育学部卒。茨城大非常勤講師、県地方自治研究センター研究員などを務める。著書に「災害時要援護者支援対策-こころのバリアフリーをひろげよう」など。自身の障害は「障害とは社会の中に生じた障壁や課題。障害名に注目するべきではない」などの理由で公開していない。

2015年5月17日    東京新聞


「実力で評価される社会に」 発達障害告白「偏見解消を」

2015年05月18日 01時13分50秒 | 障害者の自立

 今まで表舞台に出ることのなかった人気ゲームの開発者が、自身の発達障害を告白し、障害者への偏見を解消しようと動き始めた。会社員の時にゲームセンターの音楽ゲーム「ビートマニア」を企画製作し、現在はITベンチャー「ユードー」(横浜市西区)の社長、南雲玲生(なぐもれお)さん(41)は「クリエーターが実力で評価される社会を実現したい」と話す。 (志村彰太)

 横浜で生まれ育った南雲さんは、大人になって「アスペルガー症候群と注意欠陥多動性障害(ADHD)の中間」と診断され、障害を自覚した。「確かに、小さいころから話を合わせるのが苦手だった」。子どものころ、相手の表情の変化を理解できず、場面にそぐわない発言をするなど苦労が絶えず、いじめに遭ったこともある。

 創造性は豊かで中学生で作曲を学び、南高校(港南区)卒業後に広告制作会社に就職。しかし、営業先とコミュニケーションがうまく取れず、転職を経験。二十一歳でコナミ(現コナミデジタルエンタテインメント)に入り、人生が開けた。「若手に自由に任せてくれる環境だった」。ディスクジョッキー(DJ)気分を味わえるビートマニアを少人数のチームで一九九七年に開発。旋風を巻き起こした。

 〇三年にユードーを設立。この年、初めて障害の診断を受けた。クリエーターとして成功を収めたが、人間関係には苦労した原因が分かり「楽になった」。同時に、新しいものを生み出す「自分の才能をあらためて自覚した」。

 現在は十三人を雇用している。自身の経験を基に、障害や精神疾患で病院にかかるまでの「ハードルの高さ」を解決するため、臨床心理士らに気軽に相談できる携帯アプリ(応用ソフト)「メンタ」を一三年に開発。利用者数は少なめだが、「採算度外視で続けたい」と語る。

 ほかにも、一一年に作ったアマチュア無線のように多くの人と対話できるアプリ「斉藤さん」は、千二百万ダウンロードを超えるなどヒットを多く出す。これまでは裏方の仕事に徹していたが、成功体験や苦労を積極的に明かすことで、過度に気を使ったり、差別するなどの「障害者に対するレッテル貼りをなくしたい」という。

 まずは、学識者や著名人と対談し、本を出版して外部への露出度を増やす。今年七月には、フランスで開かれる展示会「ジャパンエキスポ」にも初めて出展する。南雲さんは「自分の二十四時間の生活全てを見せるくらいの気概で臨む」と意気込んでいる。

人気ゲームの開発を続ける南雲さん=横浜市西区で

2015年5月17日   東京新聞


輝く汗 障害を超えて 富山で450人「スポーツ広場」

2015年05月18日 01時08分55秒 | 障害者の自立

 障害者と健常者が一緒にスポーツを楽しむ「ナイスハート・ふれあいのスポーツ広場富山大会」が十六日、富山市八尾町井田の市八尾スポーツアリーナで開かれた。

 大会は社会福祉活動の一環として、自動車総連と国際障害者年記念ナイスハート基金が一九九二年から全国で開催。富山では二〇一一年から毎年開かれている。この日は県内の福祉施設の障害者や職員、総連富山地方協議会の会員ら約四百五十人が参加した。

 開会式では、立山町道源寺の「わくわくファームきらり」のメンバー三人が「みんなで仲良く助け合って一生懸命頑張ります」と宣誓。参加者は四チームに分かれ、風船を相手の陣地に入れる風船バレーや大玉転がしなど六競技を歓声を上げながら楽しんでいた。

 協議会の上野友行議長(59)は「スポーツを通じ、参加者に思いやりや自立心を育んでほしい」と期待した。

風船バレーを楽しむ参加者=富山市八尾スポーツアリーナで

2015年5月17日      中日新聞


自転車の街つくば盛り上げよう サイクリストら市長表敬

2015年05月18日 00時56分52秒 | 障害者の自立
 2019年に行われる茨城国体の自転車競技(ロードレース)の会場となっているつくば市で、同競技への機運を高めようとする動きが起きている。16日には、「つくばサイクルフェスタ」が同市御幸が丘の科学万博記念公園で初開催。14日には、自転車競技で将来を注目されている多田れおん君(並木中3年)や、パラリンピックメダリストの藤田征樹さん(日立建機)らが市原健一つくば市長を表敬訪問した。

 これらを好機と捉え、サイクルスポーツのムーブメントを起こしたいと、つくば青年会議所のOBらが発起人となって「2019茨城ゆめ国体の自転車競技つくば開催を応援する会」(飯島太郎代表)を設立。茨城国体での自転車競技を応援するだけでなく、障害者も楽しめるサイクリング環境の整備や、安全で快適な自転車ライフを実現させるための交通安全啓蒙活動を行っていきたいとしている。

 同会が主催する16日のサイクルフェスタは障害者も健常者も楽しめるレース。科学万博記念公園内に1周1㌔のコースを作りタイムを競う。すでに参加申し込みは締め切ったが、観戦は自由だ。飯島代表は「どんな人でも楽しめる大会にしたい」と成功を誓っていた。

障害者スポーツ拠点となる場に

 市原健一市長は14日の表敬訪問で「総合運動公園は障害者スポーツの拠点となるような場所にしたい」と説明。障害者スポーツのあり方などについて、理解を深めた。

 両足ひざ下義足ながら北京、ロンドンの両パラリンピックでメダルを獲得した藤田さんと健常者の多田君が師弟関係にありトレーニングを続けていると聞いた市原市長は「子どもたちには、スポーツを通じていろいろなことを感じてもらいたい」とたたえた。

東京五輪で金目指す 並木中3年の多田れおん君

 多田れおん君は、20年の東京五輪で金メダルを目指す自転車競技界のホープ。19年の茨城国体では19歳のため少年の部には出られないが「成年の部でも勝つつもり」と力強く目標を掲げた。

 小学校4年生で自転車競技を始め、昨年は「ツール・ド・つくば」の中学生の部で2位、ジュニアオリンピックで全国7位などの実績を残した。2月には高石杯関東地域道路競技大会で優勝、6月には全日本選手権が控えている。

 自転車競技の名門、取手第一高校の選手らと練習を積むようになり体力も技術も向上。多い時は1日で250㌔を走るというハードトレーニングで、3㌔のベストタイムは昨年の4分20秒から、4分9秒に向上した。茨城国体に向けて「うれしいし、勝つしかない」と気合を入れている。

自転車 多田

自転車 表敬

市原健一市長を表敬訪問したサイクリストや、自転車競技支援団体のメンバーら=つくば市役所

2015年05月16日    常陽新聞スマートフォン版