ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者雇用 ちょうちん製造、工夫輝く

2015年12月01日 02時41分51秒 | 障害者の自立

 勤め人がちょいと一杯と集まる串カツ屋の軒先に、黄色いちょうちんがぶら下がっていた。

 東京・大井町駅近くの飲み屋街。ちょうちんはサントリー「角ハイボール」の拡販商材である。昨年2月からのキャンペーン以降には全国の居酒屋に計2万5千個がぶら下がった。

 製造したのは宇佐ランタン(大分県宇佐市)。年にログイン前の続き25万個以上をつくるトップメーカーだ。2年前の夏、サザンオールスターズの復活コンサートでも、宇佐ランタンのちょうちんが雰囲気を盛り上げた。従業員14人の会社だが、業界では一目置かれる存在である。

 短い納期で大量生産する態勢を築いたことだけが、評価されているのではない。14人のうち8人は知的障害者を雇う。障害者の法定雇用率2%を大きく上回り、60%に迫る。

 会長の谷川忠洋さん(77)がちょうちん製造を始めたのは1973年。妻と2人の家内工業だった。仕事が波に乗ってきた81年、福祉施設で働く知人に、障害者を雇わないかと打診されたのが転機となった。

 谷川さんには障害者雇用で地域貢献するという気概があったが、ことは簡単ではなかった。

 ちょうちんづくりは(1)型組み(2)生地張り(3)乾燥の3工程を、普通は一人でこなすので、覚える仕事は多い。ただ障害者を職場に受け入れると、一つの仕事に短時間、集中できることが分かった。谷川さんは3工程を分業し、流れ作業の製造ラインをつくった。

 職人技が必要な型組みでは、作業が簡単にできる器具を、大分大学とともに開発した。自動化も進めた。仕掛かり品を楽に運べる装置を自社開発した。

 今では健常者と障害者が同じ仕事をし、大量生産できるようになった。黒字が定着するまでに十数年の時間を要した。

 「受け入れると決めたからには、意地でも黒字を実現したかった」と谷川さん。赤字の穴埋めに投じた私費が、一時は年間売上高を上回ることもあった。

 障害者は正社員として働き、健常者とほぼ同等の給料を得て自立した。一方、障害者が働きやすい工場は、健常者にとっても楽に働ける職場だった。全体の生産性は上がっていった。

 〈面倒だが雇ってあげる。仕事を教えてあげる〉。そんな思いが、知らぬうちに谷川さんに芽生えた時期もある。笑顔を見せていても、不良品が多い、とイライラしていたのだろう。

 そんな時、「おっちゃん、こわい」と彼らに内面を見透かされ、「私の方に傲慢(ごうまん)さがあった」と気がついた。

 「困難な現実は、よりよいシステムを考える力の源泉です」と谷川さんは話す。一人ひとりに個性があり、能力も違う。それらを包み込む仕組みは、新しい価値を生み出すと信じたい。

2015年11月29日    asahi.com


「パラ駅伝」開催 障害者と健常者のランナーがたすきつなぐ

2015年12月01日 02時34分50秒 | 障害者の自立

障害者と健常者のランナーが、たすきをつなぐ「パラ駅伝」が東京都内で行われ、およそ1万5,000人が声援を送った。
駒沢オリンピック公園で行われた「パラ駅伝 in TOKYO 2015」は、2020年東京パラリンピックに向け、競技団体を支援するために設立された「日本財団パラリンピックサポートセンター」が初めて開いた大規模イベント。
開会式には、舛添知事や、遠藤オリンピック担当相、パラリンピックを応援するSMAPのメンバーも駆けつけた。
競技は、11都県から障害者と健常者のランナー8人で作った19チームが参加し、1周2.5kmのコースをあわせて20km、たすきをつないだ。
「SMAP」の中居正広さんは「高みを目指して、頑張っていただきたいと思います」と話した。
表彰式では、SMAPが歌を披露し、会場に詰めかけたおよそ1万5,000人とともに、出場者の健闘をたたえた。

11/29     fnn-news.com


障害者と健常者がたすきつなぎパラ駅伝 1万4000人の前で快走

2015年12月01日 02時28分03秒 | 障害者の自立

 2020年東京パラリンピックに向け、日本財団パラリンピックサポートセンターが29日、東京都世田谷区の駒沢オリンピック公園で「パラ駅伝 in TOKYO 2015」を初めて開催した。

 この日は、11都県19チーム計152人の選手が出場。障害者と健常者のランナー8人がチームとなり、約20キロをたすきでつないだ。

 約1万4000人の観客からは大きな拍手が起きたほか、人気グループ「SMAP」の5人やタカラジェンヌらも応援に駆け付け、会場を盛り上げた。

 優勝した「神奈川スターズ」の車椅子走者、鈴木百萌子(ももこ)さん(27)は「大勢の前で走ることができ、とても気持ちがよかった」と話した。

初開催されたパラ駅伝で、たすきをつなぐ障害者と健常者の選手=29日、東京・駒沢陸上競技場

初開催されたパラ駅伝で、たすきをつなぐ障害者と健常者の選手

2015.11.29    産経ニュース


障害者の技能大会、88人が技競う 近江八幡で

2015年12月01日 02時22分04秒 | 障害者の自立

 障害者が仕事の技を競う県障害者技能競技大会(アビリンピック滋賀)が29日、近江八幡市の滋賀職業能力開発短期大学校であった。障害者の社会参加や雇用促進を目指す取り組みで、88人が電子機器の組み立てや縫製などの12種目に分かれて競技に挑んだ。

 模擬喫茶店であった「喫茶サービス」の競技には16人が出場。選手たちは、訪れた客に「いらっしゃいませ」「ご注文はお決まりでしょうか」と声をかけ、丁寧に注文を聞いて、飲み物をテーブルへ運んでいた。

 約3週間前から練習を積んで臨んだという県立甲南高等養護学校3年の犬井理乃さん(18)は「お客さんがまた来たいと思えるように、笑顔でスムーズな接客を心がけました」。中村美友季さん(18)は「緊張したけれど、自分なりにいい接客ができたと思う」とほほえんだ。

写真・図版

「喫茶サービス」の競技。選手たちが模擬喫茶店で接客に挑んだ

2015年11月30日     朝日新聞デジタル

 

障害者HELPカード 緊急時用、名前や連絡先「石川発」先進例と注目 /石川

2015年12月01日 02時12分47秒 | 障害者の自立

 災害時に障害者が適切な支援を受けられるよう、障害者の家族らでつくる県肢体不自由児協会が2008年度に導入を始めた「HELPカード」への注目が集まっている。名前や緊急連絡先などの情報を、意思の伝達が難しい障害者本人に代わって周囲に伝えるカードで、県内で約1900人が利用する。「石川発」の取り組みに、関心を示す他の自治体から問い合わせが相次いでいる。【金志尚】

 ■親の思いが原点

 HELPカードは、二つ折りになった名刺大で、名前▽生年月日▽血液型▽緊急連絡先▽アレルギーの有無▽投与薬の種類−などを記載する。緊急時に周囲の人に適切な支援を受けられるよう対処方法を明記した欄もあり、「5分以上発作が続いたら救急車を呼んで医療機関に搬送してください」などと文章で呼びかける。

 取り組みの背景には保護者の切実な思いがあった。県内では04年ごろから子供を特別支援学校に通わせる親同士の交流が盛んになり子供への支援について話し合ってきた。当時、参加していた金沢市の金子聡子さん(52)は、長女美琴さん(23)に四肢まひと重度の知的障害がある。「緊急時に子供をどう守るのかが、みんなに共通していた」と振り返る。議論を重ね、障害の特徴などを記載したカードを作成することにした。

 ■地震で必要性痛感

 新潟県中越地震(04年10月)など他の被災地の状況を参考にしていたさなかの07年3月25日、能登半島地震が発生した。実際に地元で災害が起きたことで、障害のある子供への対応はより現実的な問題となった。金子さんは「伝えたい時にすぐに情報を伝えられるカードの必要性を痛感した」と話す。

 同地震の前後から、賛同する保護者が特別支援学校ごとに作成を開始。普及を促すため、08年度、作成主体を協会に一元化した。その後、行政も協力するようになり、現在は金沢市が協会への発行申請を受け付け、1枚500円の発行費用を負担する他、かほく、津幡、内灘の3市町は役場が無料配布している。

 ■災害事例集で紹介

 各地で関心も高まり、協会には12〜14年度、東京都、長野県松本市などの自治体や障害者施設から計33件の問い合わせがあった。東日本大震災を教訓に宮城県の医師らが障害児への対応をまとめた事例集でもHELPカードが取り上げられ、先進例として注目されている。

 金子さんは「障害者や家族には『助けてもらって当たり前』という意識が少なからずある。してもらうだけでなく、自分たちが何かをしていくことも大切。カードの普及はありがたい」と、さらなる広がりに期待する。

 協会では関心のある自治体や団体に資料を送付している。問い合わせは協会(076・224・6126)。

名前や緊急時の対処方法などを記すHELPカード(見本)

毎日新聞 2015年11月30日 地方版