勤め人がちょいと一杯と集まる串カツ屋の軒先に、黄色いちょうちんがぶら下がっていた。
東京・大井町駅近くの飲み屋街。ちょうちんはサントリー「角ハイボール」の拡販商材である。昨年2月からのキャンペーン以降には全国の居酒屋に計2万5千個がぶら下がった。
製造したのは宇佐ランタン(大分県宇佐市)。年に25万個以上をつくるトップメーカーだ。2年前の夏、サザンオールスターズの復活コンサートでも、宇佐ランタンのちょうちんが雰囲気を盛り上げた。従業員14人の会社だが、業界では一目置かれる存在である。
短い納期で大量生産する態勢を築いたことだけが、評価されているのではない。14人のうち8人は知的障害者を雇う。障害者の法定雇用率2%を大きく上回り、60%に迫る。
会長の谷川忠洋さん(77)がちょうちん製造を始めたのは1973年。妻と2人の家内工業だった。仕事が波に乗ってきた81年、福祉施設で働く知人に、障害者を雇わないかと打診されたのが転機となった。
谷川さんには障害者雇用で地域貢献するという気概があったが、ことは簡単ではなかった。
ちょうちんづくりは(1)型組み(2)生地張り(3)乾燥の3工程を、普通は一人でこなすので、覚える仕事は多い。ただ障害者を職場に受け入れると、一つの仕事に短時間、集中できることが分かった。谷川さんは3工程を分業し、流れ作業の製造ラインをつくった。
職人技が必要な型組みでは、作業が簡単にできる器具を、大分大学とともに開発した。自動化も進めた。仕掛かり品を楽に運べる装置を自社開発した。
今では健常者と障害者が同じ仕事をし、大量生産できるようになった。黒字が定着するまでに十数年の時間を要した。
「受け入れると決めたからには、意地でも黒字を実現したかった」と谷川さん。赤字の穴埋めに投じた私費が、一時は年間売上高を上回ることもあった。
障害者は正社員として働き、健常者とほぼ同等の給料を得て自立した。一方、障害者が働きやすい工場は、健常者にとっても楽に働ける職場だった。全体の生産性は上がっていった。
〈面倒だが雇ってあげる。仕事を教えてあげる〉。そんな思いが、知らぬうちに谷川さんに芽生えた時期もある。笑顔を見せていても、不良品が多い、とイライラしていたのだろう。
そんな時、「おっちゃん、こわい」と彼らに内面を見透かされ、「私の方に傲慢(ごうまん)さがあった」と気がついた。
「困難な現実は、よりよいシステムを考える力の源泉です」と谷川さんは話す。一人ひとりに個性があり、能力も違う。それらを包み込む仕組みは、新しい価値を生み出すと信じたい。
2015年11月29日 asahi.com