車いすバスケットボール(車いすバスケ、イスバス)のアジアオセアニアチャンピオンと、2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックの出場チームを決める「三菱電機2015 IWBFアジアオセアニアチャンピオンシップ千葉」を特別協賛した三菱電機。同社は、なぜこの大会のスポンサーとなり、そこにどのような意義を見出していたのだろうか。
三菱電機が取り組む「2020プロジェクト」とは
車いすバスケットボール男子日本代表がリオデジャネイロ・パラリンピックへの切符を手にした「三菱電機2015 IWBFアジアオセアニアチャンピオンシップ千葉」。名称が示す通り、この大会は、総合電機メーカーの三菱電機がスポンサードして開催された。
三菱電機といえば、家電製品から人工衛星までを手掛ける、誰もが知っている大企業だが、同社がこの大会のスポンサーになったのは、2013年末に「2020プロジェクト」という社内プロジェクトを発足したことによる。このプロジェクトは、2020年度に三菱電機が創立100周年を迎えることと、東京オリンピック・パラリンピックの開催がリンクしていることから、100周年に向けた事業として、スポーツを通した社会貢献活動に取り組む気運が社内で高まってスタートした。
三菱電機2020プロジェクトの小峰即彦氏(右)と平山哲也氏(左)。 現在はこの2名が事務局となり同プロジェクトに取り組んでいる
だが、なぜスポーツの中でも「障害者スポーツ」に着目したのか。同プロジェクトの事務局を務める小峰即彦氏はこう語る。
「スポーツを通してどのように社会貢献をするかを考えるために、東京都や文部科学省、JOC(日本オリンピック委員会)や日本障がい者スポーツ協会日本パラリンピック委員会など、オリンピック・パラリンピックの招致に携わった方々の話を聞きました。その中で『オリンピックの成功はもちろんのこと、パラリンピックを成功させたい』という声を多く聞いたんです」
オリンピックは成功させて当然のものであり、パラリンピックを成功させてこそ、真の成功といえる——。スポーツの現場ではそういった意見は強く、実際、「史上最高のパラリンピック」といわれるほどの盛り上がりを見せた2012年のロンドン・パラリンピックは世界中から賞賛された。競技的な盛り上がりだけではなく、障害を抱えた選手や観客をうまく迎え入れられるかどうかは、開催国の評価を左右する。その点で、障害者スポーツの支援に取り組む意義は大きいといえるだろう。
さらに、個人的な体験も大きかったと語る。
「2014年のソチ・パラリンピックを視察し、ものすごい興奮と感動を味わいました。そして、視察の帰りに、あるアスリートの方と話す機会があり、『自分たちがパラリンピックやメダルを目指して頑張っているのは、障害を持っているためになかなか外に出られないような人たちが、外に出るきっかけをつくりたいからなんです。そうした思いを叶えるために支援をして欲しい』という話を聞きました。それがすごく印象的でした」
こうした背景によって、三菱電機は障害者スポーツの支援を行うことになった。現在、JPSA(日本障がい者スポーツ協会)とのオフィシャルパートナー契約の締結や、JOCが行っているトップアスリートの就職支援ナビゲーション「アスナビ」と連動したアスリートの採用活動(2015年現在、アーチェリーの上山 友裕選手を採用している)など、団体、個人をサポート。また、障害者スポーツの普及、認知拡大のため、ニッポン放送の『ニッポンチャレンジドアスリート』という番組の協賛や、障害者スポーツを知ってもらうためのイベントの開催などに取り組んでいる。
これらの支援活動の流れの中、IWBFアジアオセアニアチャンピオンシップが日本で開催されることが2014年夏に決定。障害者スポーツの積極的な支援を行っていること、健常のバスケットボールチーム(男子の三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ名古屋と、女子の三菱電機コアラーズ)を保有していたことなどから、三菱電機は大会スポンサーに就任することを決めたのだった。
単なるCSRではなく、営業的な側面も視野に入れたプロジェクト
企業がスポーツ、それも、日本ではまだ人気があるとは言い難い障害者スポーツを支援することは、CSR(企業の社会的責任)活動の一環のように思える。だが三菱電機の場合、それだけではなく、本業を活かし、また本業に活かすために、「2020プロジェクト」に取り組んでいる。小峰氏はこう語る。
「このプロジェクトが社会貢献、CSRとして見られるのは当然のことだと思います。実際、プロジェクトは、これまで三菱電機の事業を支えていただいた株主やお客様への恩返しというところから始まりました。ですが、民間企業である以上、自社の営業面に生かすことも考えています」
実際、障害者スポーツに関わる中で、小峰氏は自社の技術を生かせると感じた場面を何度も見かけたという。
「例えば、2014年の仁川アジアパラ競技大会でアーチェリーを見たのですが、会場での案内は十分とは言えず、観戦者向けにルールを説明する資料なども見かけませんでした。大型映像表示装置のようなものはあるけど、不鮮明で、的に矢が当たったかどうかもよく見えない。そうした課題解決に向けた機器の開発は三菱電機の本業です。我々ならデジタルサイネージを増やして、ルール説明や選手紹介のデーターベースを構築し、それを多言語で表示させる仕組みを提供できる。無線LAN環境なども整えて、観客をもっと楽しませることも可能でしょう。自分たちの得意分野を生かせる場はないかと、スポーツの現場をそんな目線でも見ています」
小峰氏は、ほかにもこんな例を挙げた。
「ブラインドサッカーは、ボールの音を聞く選手の邪魔にならないよう、試合中に観客席では静かにしていなければなりません。でも、初めて観戦に来る方は、試合を見ながら、ルールや流れを教えてもらった方がより楽しめますよね。そういう環境では、グループ会社の三菱電機エンジニアリングで開発している超指向性音響システムが使えるかもしれません。場内に音を拡散させるのではなく、特定の方向だけに音を出すシステムです。これを使えば、選手たちの邪魔にならないように、観客席だけを選んで解説音声を流すことができます。まだ実現段階には至っていませんが、こうした競技を盛り上げていくところに、エレクトロニクスメーカーのビジネスチャンスが転がっているんじゃないかと思っています」
ICT(情報通信技術)の力で観戦環境を整える「スマートスタジアム化」の取り組みは今、スポーツ業界で大きな注目を集めている。まだ日本では馴染みが薄く、観戦環境が整っているとは言い難い障害者スポーツだからこそ、こうしたインフラ面の環境整備は、企業にとっても大きなチャンスとなりそうだ。
日本代表をリオへと導いたスポンサーの力
今回のIWBFアジアオセアニアチャンピオンシップ千葉では、三菱電機はスポンサーとして、メディアへの露出など大会の周知に力を入れた。
「ニッポン放送の『ニッポンチャレンジドアスリート』の関連番組として、『三菱電機 車椅子バスケットボールスピリッツ』という番組を、大会に合わせて10月3日からスタートしました。ほかにも、新聞広告やトレインビジョン、千葉県内の駅にポスターの掲出、競技関連団体や三菱電機のグループ会社などへのチラシ配布など。車いすバスケを題材にした人気マンガ『リアル』とコラボレーションして、千葉モノレールのラッピング車両も出しました」
大会期間中、千葉モノレールで『リアル』とコラボしたラッピング車両が走り、大会の盛り上げにひと役買った
大会の注目度を上げることに尽力をしたが、KPI(重要業績評価指標)などは設けなかったという。
「なるべく多くの人に応援に来てもらって、大会を盛り上げ、選手の後押しをする。その上で、日本代表にリオへの出場権を獲得してもらえれば、それが私たちにとっても成功と考えていました」
広報活動の甲斐もあり、大会8日間を通して、会場である千葉ポートアリーナには、延べ1万2652名の観客が訪れた。「強制することで、車いすバスケにネガティブな印象を抱いてしまうようなことは避けたい」と、三菱電機の社員には動員を掛けずに届いた数字だ。
これは、大会主催者である日本車椅子バスケットボール連盟の予想を超えるものでもあった。会場の雰囲気も日本を後押しする空気が出来上がり、結果、日本男子代表はリオ出場権を獲得。選手やスタッフから聞かれた「応援のおかげで勝つことができた」という声は、三菱電機にとっての成功も示していたと言うことができるだろう。
2020だけでなく、その先の100年に向けた取り組み
三菱電機が2020プロジェクトを立ち上げて2年弱経つ。この間、小峰氏が感じた障害者スポーツの課題は、競技環境の問題だ。
「障害者がスポーツに取り組める場所はまだまだ少ないと聞いています。それが、認知の拡大や普及の壁となっている。競技を発展させるためには、頂点を高くすることと、裾野を広げることの二つが必要になります。頂点を高くすることは競技団体や指導者による取り組みが一番ですが、裾野を広げることは、我々のような民間企業だからこそできることがたくさんあると思っています」
この課題を解決し、さらに裾野を広げるために、三菱電機では自社が持つ体育館をバリアフリー化し、障害者スポーツの練習場所にすることを検討しているという。
さらに、こうも語る。
「多くの人が2020年という目標に向かって動いている。そこに少しでも貢献できるのは大きなやりがいを感じる」と語った小峰氏。試合中は、大きな声を出し、選手たちを後押しした
「障害者も利用できるアリーナを作ることができればいいな、とは思っています。デジタルサイネージや無線LANなどを導入して観戦環境を整えて大きな国際大会なども開催できるように。ホテルが隣接していて、多言語で案内できるシステムなども導入して…。行政と連携し防災拠点機能も備えて…。あくまでも夢としての話ですが」
確かに現時点では壮大な夢かもしれない。だが、もし実現することができれば、そこは障害者スポーツの聖地となるだろう。
最後に、2020プロジェクトの今後の展開について聞いた。
「社内では、このプロジェクトは2020年で完結するものではなく、その先も見据えて長い目で取り組んでいくべきものだと話しています。ただし、我々は、自分たちで『こうすべき』と考えて動くというよりも、競技団体などとコミュニケーションを取りながら、彼らがどういう活動をしていきたいか、どういう課題を抱えているか、そのために我々ができることは何なのか、ということを常に考え、支援をしています。だから今後も、障害者スポーツを発展させるための意見に耳を傾けながら、自分たちができることを、地道にコツコツとやり続けていきたいと思っています」
旗ふり役というよりも、あくまでもサポート役として。しかし、このように寄り添う存在こそが、現在の障害者スポーツには必要とされている。