ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

白菜も自作 キムチいい味

2015年12月04日 02時47分19秒 | 障害者の自立

◎栗原障害者施設の利用者ら生産

 宮城県栗原市築館の障害者就労支援事業所「NPOステップアップ」の利用者らが、自ら育てた野菜を使ったキムチ作りに励んでいる。利用者は企業の支援の下、食品製造の大変さと楽しさを体感している。

 男性利用者4人が11月30日、漬物「栗駒漬」の製造元、栗原市栗駒のワタナベ食品を訪問。社員の指導を受け、キムチを漬けた。白菜の葉を1枚ずつめくり、唐辛子やニンニク、調味料を合わせたキムチ種を塗り込んでいった。
 「白菜の葉をめくるのが大変だった。おいしく食べてほしい」と利用者の菅原勘地さん(19)。気仙沼市出身の佐藤英範さん(36)は「初めてだが、うまくできた。正月休みには、被災して仮設住宅にいる気仙沼の家族にキムチを持っていってあげたい」と話した。
 キムチ作りをしたのは同事業所の「あぐりチーム」。この日使った白菜約40個は、協力者の提供を受けた同市志波姫の畑で、利用者が栽培した。夏以降の長雨などで作柄は悪かったが、年末までに数回漬ける予定。同市築館の畑で栽培した大根でカクテキも漬けた。
 キムチ生産では、ワタナベ食品が野菜を買い上げ、利用者らが加工。製品をステップアップが仕入れ、販売する。渡辺淳社長は「利用者の手取りを増やすため、ノウハウはいくらでも教える」と応援する。
 ステップアップは今春、利用者の適性や希望に応じて作業分野を分けた。「あぐり」のほか、「食品パッケージ」、電子部品組み立ての「ハーネス」の各チームがあり、チーム分けで作業効率が上がったという。
 ステップアップの二階堂修一所長は「6次産業化を図ろうと休耕農地を生かしてキムチに合う野菜を作った。今後も栗原らしい取り組みを続けたい」と話す。
 キムチは、6日に栗原市役所である物産市「もってけ市」で扱う。協力企業に販売し、生産数量によって一般にも販売する。連絡先はステップアップ0228(24)7350。

指導を受けながら、塩漬けした白菜の葉をめくり、キムチ種を塗り込んでいく利用者ら

2015年12月03日    河北新報


熱々ラーメン施設で「開店」 氷見、利用者に160食ふるまう

2015年12月04日 02時40分59秒 | 障害者の自立

 氷見市鞍川の障害者支援施設「こもれびの里」で二日、高岡市戸出伊勢領のラーメン専門店「旭屋」のラーメン百六十食がふるまわれ、施設利用者らが熱々のラーメンを味わった。

 同店の堀彰店長(52)は二十九歳の時に脳出血で倒れ、右半身が不自由。入院中に隣接していた障害者施設で見た子どもの姿に元気をもらい、二年後にラーメン店を開業した。以来約二十年にわたり、障害にかかわらずラーメンを味わってもらおうと、県内の施設でボランティアに取り組んでいる。

 こもれびの里では普段、安全性に配慮して熱いラーメンを提供しておらず、出来たてを食べるのは貴重な機会。堀さんと従業員二人が利用者の目の前で調理し、赤色ののれんの前には行列ができた。しょうゆ味のラーメンで、おかわりをほしがる人もいる人気だった。

出来たてのラーメンを受け取る施設の利用者(右)

2015年12月3日    中日新聞


神戸ルミナリエゆっくり鑑賞 ハートフルデー

2015年12月04日 02時34分18秒 | 障害者の自立

 阪神・淡路大震災の犠牲者を悼む「神戸ルミナリエ」の開幕を前に、身体障害者らを招待する「ハートフルデー」が2日、神戸・三宮の東遊園地であった。車いす利用者ら約1万5千人が一足先に光の芸術を楽しんだ。

 障害のある人に混雑を避けてゆっくり鑑賞してもらおうと、1999年から毎年実施。光の壁が一帯を囲む「スパッリエーラ」が点灯し、発光ダイオード(LED)が描く鮮明な色に拍手と歓声が広がった。

 車いすで訪れた吉田睦美さん(62)=神戸市灘区=は震災当時、自宅マンションが全壊。「この光を見ると壊れた街の悲惨さも、ボランティアの優しさも、全て思い出します。今年は緑色が特にきれい」と目を潤ませた。

 会場では、東日本大震災発生時に東北楽天ゴールデンイーグルスに所属した米大リーグ・岩隈久志投手らのフリートークもあった。

 会期は4~13日。4日午後5時45分から点灯式がある。神戸市総合コールセンターTEL078・333・3330

LEDの鮮やかなイルミネーションに見入る来場者ら=2日夜、神戸市中央区加納町6、東遊園地

2015/12/2      神戸新聞


自動運転車、実現すれば自動車保有の時代に幕?

2015年12月04日 02時11分24秒 | 障害者の自立

 フォード・モーターの創業者、ヘンリー・フォード氏は賢い人物だったが、米国のすべての世帯に自動車を保有させたいと決意したとき、きちんと計算をしていなかった。

 フォード・モデルTの開発から一世紀余りがたち、世界は自動車問題を抱えている。調査会社IHSによると、米国と中国では2015年に約4000万台の小型乗用車が販売されるという。2020年には世界の販売台数が1億台に達する勢いとなっている。

 これはもはや多数という域を超え、先進諸国の海岸に車が波となって押し寄せているかのような状況だ。それでも、政策立案者や一般の国民は自動車の誘惑に屈してきた。世界で最も車で荒廃した都市であり、人体に有害な駐車場と化した北京でさえ、地位の象徴やぜいたく品としてや、植民地独立後のようなもろい考え方ならではの自己マスタリーの象徴としての自動車への欲求が、新車購入制限や高まりつつある政府の危機感にもかかわらず、販売台数とスモッグの深刻化に拍車をかけている。

 われわれの一世紀にわたる不条理、移動手段に対する場当たり的なアプローチはある統計に如実に表れている。米国における自動車の活用率は5%ほどでしかない。つまり、ただ放置されている時間が95%を占める自動車は、海岸に建つコンドミニアムのように徐々にだが確実に価値が目減りする不利な投資となっている。

 しかし、自動車がコンドミニアムのようにシェアできるとしたらどうだろう。おもちゃ、両親、部屋、感情の共有は人生で最初に学ぶことの1つである。ところが人は大人になると、無私無欲の喜びを忘れてしまうらしい。それも変わろうとしている。配車サービスのウーバーのような周囲でよく目にする協力的な消費者主義の話ではない。それは自動化が起こるまでしか続かない象徴的で一時的なものだ。自動化が起きた時点でウェットウェアは排除できる。ウェットウェアとはわれわれを意味する。

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PHOTO: PHOTOGRAPHY BY MITCH PAYNE

 今後一世代以内に自動車にはレベル4として知られる完全自動運転機能が備わることになる。これによってゲームは変わるが、カジノを潰してしまうほどの変化ではない。自動運転により、自分がいる場所にアプリを使って無人の自動車を呼び出すことが可能になる。近くを走っていた流しの車だけではない。そのときの用途にぴったりな車が清掃され、燃料を満タンにした状態でやって来るのだ。利用時間も思いのままである(条件は州によって異なるかもしれないが)。使い終わったら、その自動車はあっという間に去っていくだろう。

 自動車のレンタルではなく、走行距離に応じて料金を支払うことになる。走行距離だけに焦点を当てた全く新しい移動手段となるだろう。小規模なところから始めるとしよう。1年のうち3回の週末ではピックアップトラックが必要だが、残り49回の週末分まで代金を支払いたくないとする。運転自動化はトラックレンタルのUホールに行くことなく、それを簡単に実現してくれるだろう。母親を病院に連れて行く、配偶者を空港で出迎えるという場合も同様だ。今から10年後には、大手や中小の自動車メーカーが片道だけ、午後だけ、週末だけ、1カ月だけ利用したいという顧客に好みの車を配送するために熾烈な競争を繰り広げていることだろう。その料金の支払いはクレジットカード口座を通じて行われるので、利用者は負担をさほど感じないはずだ。

 米国人は運転自動化前の時代をカシオの計算機やDOSプロンプトの時代のように振り返ることだろう。タクシー運転手や渋滞、子供の交通事故死を心配する両親などを懐かしむはずだ。交通事故による死亡や大けがは劇的に減少するだろう。自動車のその他のコスト――生産性の低下や渋滞で無駄に消費された燃料など――も消えてなくなるだろう。米国の自動車業界を担当しているモルガン・スタンレーのアナリスト、ラビ・シャンカール氏は「実際的な恩恵に加えて、自動運転車は米国経済だけでも1兆3000億ドルの節約に貢献し得る」との見方を示す。世界的な節約額は5兆6000億ドル近くにもなるという。

 2015年ごろの自動車業界は、自動車のシェアについて懸念を抱かなかったのだろうか、と将来の人々は考えるかもしれない。抱いている可能性もあるが、米国のように成熟した市場での買替率はかなり安定した状態が続くだろう。変わるのは1台当たりに乗る人の数で、これには現在運転していない人々という未開拓市場も含まれている。米シンクタンクのランド研究所はこれに関するレポートで「自動車が運転手を必要としないレベル4の技術では盲人、障害者、運転するには若すぎる人などの移動が可能になる」と述べている。「そうしたグループが受ける恩恵には、自立、社会的孤立の軽減、不可欠なサービスへのアクセスなどがある」。

 そうした恩恵は、高齢者、低収入労働者、犯罪歴のせいで免許取り消しになった人など社会の周縁部に生きている数百万人を自動車移動に復帰させることにもなる(自動運転によって大量自宅軟禁の経済的弊害が軽減されるという関連性を見いたすことはさほど困難なことではない)。

2015 年 12 月 2 日    ウォール・ストリート・ジャーナル日本版


創立20周年を迎えた都筑区聴覚障害者協会の会長を務める 山下 智慎(ともちか)さん

2015年12月04日 02時02分03秒 | 障害者の自立

共生社会、築きたい

 ○…「聴覚障害者は音声情報が容易に得られない。会は情報交換の場」。賛助会員含め約40人で、協力し合い情報共有している。講演会の企画や区内の学校へ聴覚障害者を派遣し、手話の普及活動に尽力。「毎年行う交流会は飲み会。お酒が入ると普段話さないことも話せる」と、ざっくばらんな会の意義を語る。19日には、東京五輪を見越しアメリカのろう者に外国文化を学ぶ講演を都筑区で開催。手話サークルなどと連携して、「聞こえる人と聞こえない人が共に協力する社会を築きたい」。

 ○…愛知県名古屋市出身。3歳頃に高熱が原因で「音が聞こえなくなった」。両親の教育方針でろう学校には行かず、健常者と同じ学校に通った。「友達の口形の動きを見て何を話しているのか推測した」。いじめも少し経験したというが「嫌なことは忘れる性格」と笑い飛ばす。授業中は黒板に書かれた文字を必死で写し、理解できない言葉の意味を自宅で調べ直した。高校卒業後は、慶應義塾大学に進学した努力家だ。性格を考え、個性を伸ばせる環境で成長させてくれた両親に今は「感謝している」。

 ○…大学卒業後、大手電機メーカーに入社。若い時はソフトウェアの研究開発に従事。「入社時は健常者に負けたくなかった」。仕事に没頭するも、会話ができないもどかしさも感じた。会議に参加しても、全く内容が分からないこともあった。「ろう者だから限界がある。そういう見方が悔しい」。まだまだ聴覚障害者の昇格が困難な社会で約8年前、主任になった。会社人生で「一番うれしかった」と破顔する。

 ○…年明け1月、都筑公会堂で市の聴覚障害者協会が主催する「新年のつどい」では副実行委員長を務める。「聞こえる人も、聞こえない人も一緒に生活できる社会を作りたい」。人と人とのつながりを大切に、聴覚障害者のことを理解してもらう共生社会のために、今後も働きかけていく。

タウンニュース    2015年12月3日