日本選手権7連覇中の車いすバスケットボールチーム「宮城マックス」に、青森市から参加する選手がいる。24歳のとき、病気で車いすの生活となったフォワードの田中大地選手(32)だ。青森市職員として図書館に勤務しながら、強豪チームのスタメンを守り、2020年東京パラリンピックの日本代表を目指す。
田中選手は青森県野辺地町出身で、小学3年から器械体操を続けてきた。大学卒業後、07年春から母校の光星学院野辺地西高(現八戸学院野辺地西高)で保健体育の教師をしていたが、その年の冬に突然、脊髄疾患を発症。両脚が動かせなくなり、車いすを使い始めた。
高校を辞職して就職活動を始めた際は「障害者雇用をうたっている会社でも、エレベーターやスロープがないところがあり戸惑った」と苦労が多かった。
車いすバスケに出会ったのはそのころ。「スピード感があり、激しくぶつかり合うプレーに魅力を感じた」と振り返る。県内のチーム「青森ジョップス」に4年在籍した後、レベルアップを図りたいと宮城マックスに入団した。
週に2~3回、青森市などで個人練習に励み、月に2回、車で4時間以上かけて仙台に通い、チームに合流する。「移動は大変だが、それ以上に価値がある」と田中選手は言い切る。
今季の公式戦22試合の半数以上で先発を務めた。日本選手権は途中出場し、チームの勝利に貢献。宮城マックスの岩佐義明ヘッドコーチは「腕の長さを生かし、トップ選手を目指してほしい」とエールを送る。
田中選手は、次代の日本代表という位置付けのジャネックスメンバーに入っている。来春の8連覇と次期日本代表を目指し「ゲームコントロール力を身に付け、ミドルシュートの得点を増やしたい」と意気込む。
[車いすバスケットボール]障害の程度に応じて1~4.5点の持ち点が与えられ、コート内でプレーする5人の合計は14点以内。1点が最も障害が重く、4.5点が最も軽い。田中大地選手の持ち点は3.5。スピードや持久力に加えて、車いすの操作技術がゲームの鍵を握る。日本代表は来年のリオデジャネイロ・パラリンピックに、11大会連続の出場が決まっている。
20年東京パラリンピック出場を目指す田中選手=青森市内の体育館
2015年12月03日木曜日 河北新報