終戦直後、倉吉市の知的障害児施設で始まり、入所者と地元住民との交流で作り上げられた焼き物「一心焼」。施設職員の異動などで約15年前に制作が途絶えたが、住民有志たちが団体を設立し、復活に乗り出した。まずはワークショップで交流を深め、将来的には、市内の飲食店で使う陶器を共同で作る計画。関係者は「もう一度絆を深め、地域の活力を取り戻したい」と意気込んでいる。(浜畑知之)
◇倉吉・住民ら団体設立 飲食店提供や展示会検討
一心焼は1950年頃、障害児入所施設「県立皆成学園」(倉吉市みどり町)で、一度に約700もの作品を焼ける登り窯が造られたことで始まった。
入所する児童・生徒たちが地元で取れた土をこねる一方で、近くの住民たちが窯に使うまきの提供や、窯の火入れや火力の管理などの重労働を手伝うようになり、交流が生まれた。しかし、2000年に指導していた職員が異動したのを境に、窯は使われなくなり、途絶えた。
倉吉市魚町で山陰の民工芸品を扱う雑貨店を営む田中信宏さん(32)が昨秋、そんな一心焼の話を聞きつけた。「子どもたちに再び作陶をしてもらえれば、地域交流にもつながる」と、田中さんは住民や障害者を支援するNPO法人、学園の元職員らに呼びかけて、有志の団体「一心焼 再窯さいようプロジェクト」を設立。学園も「施設内ばかりで過ごすと、子供らの経験が狭まる。様々な刺激を与えてもらえるのは、うれしい」と快諾した。
かつて使っていた登り窯は老朽化が激しいため、市内の窯元に窯の使用などの協力を依頼。16日には、同市不入岡にある「国造焼」の窯元でワークショップを開催し、参加を希望した入所児童・生徒11人が陶器の作り方を教わる。
今後、入所者以外の地域の障害者にも作陶に参加してもらい、田中さんらはバックアップを行う。4月以降は、三朝町など市外の使われていない登り窯の使用、焼き上げた陶器を同市内の飲食店で活用してもらうことを計画。大型商業施設での販売や、学園に残る昔の作品と新作を並べる展示会などの開催も検討している。
田中さんは「作り上げた作品を地域で活用することで、色んな好循環が生まれる。焼き物を通じて、地域の一体感を高めたい」と話している。