事件前に福祉の空白 奈良保護観察所の報告で浮かぶ
【視点】触法の精神障害者に強制治療を行う心神喪失者等医療観察法が2005年7月に施行されてから丸10年が過ぎた。奈良県ではこの間、心の調子を乱しコントロール困難となり傷害などの事件に及び、刑事責任能力を問われなかった24人が対象になった。法務省奈良保護観察所(奈良市登大路町、荒慶一所長)の取りまとめによると、75%に当たる18人が事件前に福祉サービスを一度も利用したことがなかった。また、71%に当たる17人は事件前、最寄りの保健所などの関係機関に相談したことがなかった。
同観察所が2月18日、同法の指定病院や自治体などと開いた医療観察制度運営連絡協議会で報告した。
地域福祉や仲間づくりに縁がなく、孤立しがちな精神障害者が医療観察法の対象になる傾向があることは、以前から指摘されている。事件の発生は家庭内が多い。この取りまとめの数字から、どこに予算を投じれば、こうした事件を少しでも減らすことができるのか想定可能なはずだが、現実には隔離収容の入院予算に傾いている。
奈良保護観察所によると、法施行後に対象になった24人のうち、精神科で治療中だった人は10人、治療を中断していた人は9人、未治療の人は5人いた。医療中断や未治療の人たちについては貧困との因果関係があるのかもしれない。
一方、医療観察法の核心部である強制入院の病棟は全国に31カ所あり、本年1月1日現在、計808床になった。厚生労働省が当初に見込んでいた720床を上回っている。入院日数についても、同省が想定した18カ月を大幅に上回り、在院日数の長期化が各病棟で目立っている。事件への内省が深まらないと退院が難しくなることも、患者たちが長く留め置かれている一因だ。
連絡協議会では、本県大和郡山市小泉町のやまと精神医療センター医療観察法病棟の状況も報告された。近畿第1号の医療観察法病棟で、2010年に整備された。現在の入院患者は30人。退院した人たちの平均在院日数は988日に上る。
特徴的なのは、札幌保護観察所管内の対象者が2人、入院中であることだ。北海道内には専用病棟がなく、事件後、遠隔地の奈良県に送られてきた。
北海道のほか、京都府や兵庫県、四国4県など計19道府県は独自の考えなどにより、医療観察法の病棟を整備していない。また、通院命令を受けた人たちが通う医療機関も地域の偏りがあり、長時間の移動距離が負担になっている。
それでも国は施行を急いだ。背景には、多数の児童が犠牲になった2001年の大阪教育大学付属池田小学校事件があった。過熱した一部報道により、精神病と事件の因果関係が不正確に報じられた。しかし、逮捕された男は起訴後の精神鑑定の結果、情緒が著しく欠如し、人格障害に近いタイプであるとされた。薬物療法などに容易に反応しないことから、医療観察法が治療対象とする精神障害ではなかった。法制定の前提が揺らぐ。
法案に民主、共産、社民が反対し、国会での成立は強硬採決といわれた。法施行から2014年12月31日までの間、傷害致死や殺人未遂、放火などの容疑で検察官から強制治療の申し立てを受けた人は3462人いた。うち10人は地裁の審判の結果、容疑の事実が認められなかった。釈放されるまで、人々は2、3カ月もの間、鑑定入院のための強制入院をさせられていた。鑑定中は、通信や面会を制限する医療機関も少なくない。やっていないとしたら、冤罪(えんざい)に近いだろう。
自身にかけられた容疑を弁明するのが苦手で、反省の態度を示すことも困難な障害を負う人たちの治療強制を医療観察法の一つの特徴とみるならば、同法の入院命令を受けた2200人余りの人たちに、国連障害者権利条約の光が当たってよいはずだ。
2016年2月21日 フリージャーナリスト浅野詠子