ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者歯科診療所開設へ

2016年02月21日 03時51分12秒 | 障害者の自立

口腔ケア行える医療環境を提供/休日夜間歯科診療所の一角個室に区切る/豊橋市

 豊橋市は4月から、障害者の歯科診療を始める。市保健所・保健センター内の施設に専用の診療スペースを設け、障害者でも安心して口腔ケアを行える医療環境を提供する。事業費として新年度当初予算案に4083万円を盛り込んだ。

 市によると、特に知的障害者は診療中に暴れてしまう場合があり、市内で障害者を受け入れている歯科医院は3カ所だけと限られる。豊橋市の近隣でみると、豊川市歯科医師会が第1、2、4木曜日の午前9時~正午に、蒲郡市が第2、3、4木曜日の午前9時~午後1時まで障害者の歯科診療を受け付けていて、豊橋市からわざわざそちらに通う患者もいるという。

 豊橋市は4月、同市中野町の市保健所・保健センターの中に障害者歯科診療所を開設する。休日夜間歯科診療所の一角を個室に区切り、車いすから乗り移りやすい診察台を導入する。

 診療日時は基本的に毎週木曜日の午後1時30分~4時30分。専用ダイヤルを設け、事前予約を受け付ける。

 

 

2016/02/20     東海日日新聞


視覚障害者が警察署で講演 現状や注意点訴える

2016年02月21日 03時45分57秒 | 障害者の自立

 京都府視覚障害者協会副会長で、阿久根市出身の松永信也さん(59)(京都市)が19日、鹿児島中央署と鹿児島南署で、「視覚障害者からのメッセージ」と題して講演した=写真、鹿児島中央署で=。

 松永さんは、佛教大を卒業後、児童福祉施設へ就職。40歳の時、網膜色素変性症が悪化して全盲となった。両署では市民を守る警察官は障害者への理解を深める必要があるとして、講演を依頼した。

 鹿児島中央署では約150人の署員が聴講。松永さんは、全国約31万人の視覚障害者のうち盲導犬と生活している人が0・3%に満たない現状や、先導する際の注意点などを話し、「歩きやすい社会」の実現を訴えた。

 会場で松永さんを先導する体験をした同署地域課の藺牟田舞巡査(20)は「貴重な経験だった。今後は視覚障害者の方への親切な対応を意識したい」と話していた。

2016年2月20日    読売新聞


「息子に金メダルかけたい」 聴覚障害の夫と全盲の妻

2016年02月21日 03時36分44秒 | 障害者の自立

 夫は妻の目となり、妻は夫の耳となった。聴覚に障害がある高田裕士さん(31)と全盲の千明さん(31)。互いに助け合いながら陸上の世界大会で活躍する。2人の夢は、長男諭樹(さとき)君(7)に金メダルをかけてあげること。世界の頂点を目指して走り続ける。

 「出場できたら最高のパフォーマンスを見せたい」。1月31日、地元・東京であった支援者らとの食事会。千明さんは約80人を前に、「リオパラでメダル!」と書いた色紙を手に意気込みを語った。

 全盲の日本女子短距離初の世界大会メダリスト(200メートルなど)だ。この夏のリオデジャネイロ・パラリンピックへの出場を狙っている。一緒に壇上に立った夫裕士さんは、聴覚障害者のオリンピック「デフリンピック」日本代表(400メートルなど)。パラリンピックには聴覚障害者の競技がないが、世界で戦う2人に温かい拍手が送られた。

 千明さんは生まれつき弱視で18歳の頃に両目が見えなくなった。幼いころから足が速く、高校生で全国大会に出場。本格的に競技に取り組もうと、21歳のときに都内の健常者と障害者が混成の陸上クラブに入った。

 裕士さんは、生まれつき耳が聞こえない。それでも「将来困らぬように」と母親の徹底した発声練習で、言葉をはっきりと話せるようになった。大学入学と同時に陸上を始めた。

 2人の出会いは2006年の全国障害者スポーツ大会。裕士さんは千明さんの第一印象を「人の助けが必要な人かと思っていたら、自分のことは自分でやる。驚いた」。千明さんは裕士さんの印象を「とにかくよくしゃべる人だった」と笑う。翌年、裕士さんが千明さんの所属する陸上クラブに入部。千明さんと一緒に練習したり、目の見えない千明さんの手をとって手話を教えたりするなかで、2人の距離は縮まっていった。

 08年に結婚。買い物では千明さんが欲しい食材を手話で伝え、裕士さんが探す。千明さんは夫婦への問いかけなどを手話で裕士さんに伝える。「僕らはお互いにできることをやっているだけ。自然なこと」と裕士さんは言う。

 この年、妊娠がわかった。子に障害があった時のことを心配する周囲からは出産を反対された。2人に迷いはなかった。障害がなく生まれてきた諭樹君を抱きしめ、誓った。「自慢のパパ、ママになる」

 ログイン前の続き裕士さんは競技に専念できる環境を求めて、プロの道を模索した。500社以上の企業にメールを送り自らを売り込んだ。10年に大手レコード会社のエイベックス・グループ・ホールディングスに採用され、聴覚障害者初のプロ選手になった。12年には世界ろう者選手権1600メートルリレーで3位に。千明さんは出産後も競技を続け、11年の視覚障害者の世界大会「ワールドゲームズ」200メートルで銀メダルを獲得した。現在は保険代理店を全国展開するほけんの窓口グループに所属している。

 両親の姿をスタンドから見続けてきた諭樹君は「すごく格好いい。もっと頑張って欲しい」とエールを送る。俊足のパパとママは憧れの存在だ。

 自宅には2人が国内外で獲得したメダルがたくさんあるが、世界大会での「金」がない。千明さんはリオで、裕士さんは6月の世界ろう者選手権、来年のデフリンピックでの獲得を狙う。「息子の要求は世界一のパパとママ。必ず金をとります」と裕士さん。千明さんも夫の言葉にうなずいた。「さっ君(諭樹)に一番輝いているメダルをかけてあげたい」

写真・図版

支援者たちにあいさつする高田裕士さん、千明さんと諭樹君。2人は世界大会でのメダル獲得を目標に掲げ

2016年2月20日     朝日新聞デジタル


借り上げ復興住宅 継続入居不可で再判定申し立て

2016年02月21日 03時30分00秒 | 障害者の自立

 兵庫県が都市再生機構から借り、阪神・淡路大震災の被災者らに提供してきた「借り上げ復興住宅」が2016年12月以降に順次期限を迎える問題で、継続入居ができるかどうかの判定に申し込み、「不可」とされた神戸市中央区の沖銀波(ぎんぱ)さん(64)が19日、県に再判定を申し立てた。申し立ては初めてで、今後、専門家らが再判定することになる。

 県営借り上げ住宅には1303世帯(昨年11月末時点)が入居。県は16年度に期限となる入居世帯を対象に、入居継続の申し込みを受け付けた。135世帯(同)のうち87世帯が申し込み、医師や弁護士らでつくる判定委員会は85世帯の継続を認めた一方、2世帯は「不可」とした。

 沖さんは「不可」とされた1人で、今年12月19日が期限。13年に脳梗塞で倒れ、腰の病気も患い、要支援2の認定を受ける。部屋の掃除や入浴が1人でできず、週2回の訪問介護を受けている。判定結果が出た後、身体障害者6級の認定を受け、要介護度の再調査も受けた。

 沖さんは「病院のスタッフやヘルパーと顔なじみになったのに、転居すれば全て一からやり直さなければならない」と困難さを訴える。借上復興住宅弁護団の吉田維一弁護士は「75歳未満でも地域への依存度が高い人はいる。一人一人の事情を検討してほしい」と話している。

再判定を申し立て、転居の難しさを説明する沖銀波さん(中央)と借上復興住宅弁護団の弁護士

2016/2/19     神戸新聞NEXT


政治が子育て層を簡単に無視できる、投票率以外の大きな理由

2016年02月21日 03時23分31秒 | 障害者の自立

 こんにちは、12年前から子育て支援活動をし続けておっさんになってしまったため、もう誰もかつてのように青年実業家扱いしてくれない駒崎です。

 
 数日前のこの記事(「保育園落ちた日本死ね」と叫んだ人に伝えたい、保育園が増えない理由http://bit.ly/1U62fOM)がヤフトピ砲のお陰でバズったのですが、大切なことを一つ言い忘れたな、と思って書きます。
 
 政治は子育て層を基本的に軽視しています。しかしこれは悪意ではなく、合理性からです。
 
【子育て層が無視されやすい要因① 投票率】
 
スクリーンショット 2013-07-21 0.29.39-thumb-600x483-580.png
 
 このグラフ( http://p.tl/2BNR )を見て頂くと分かる通り、60代・70代の投票率は、20代・30代の1.5倍です。
あなたがスーパーの店長で、客単価が1000円の人たちと、1500円の人たち、どっちに合わせて商品棚をつくりますか?
答えは明らかですよね。
 
 しかし、政治への影響力って、投票率だけじゃないんです。
何か?
 
それが「如何に長期間に渡って、たくさんのコミュニケーションをとり続けられるか」です。
 
【子育て層が無視されやすい要因② コミュニケーション量】
 
 例えば日本医師会。政治に大きな影響があります。でも、医師の数って人口の0.24%しかいないんです。
ではなぜ大きな影響力があるのか。それは医師会としてまとまって、政治家とたくさんコミュニケーションを取るからです。
 
 時に要求し、時に感謝し、時に説明し、時に応援する。そうやって仲良くなっていくと、政治家にとっては信頼できるパートナーになるし、彼らは基本的に正しいことを言っているし、何とかしてあげないとダメだ、となるわけです。
 
 また例えば、障害者団体。障害者は全人口の6.2%です。マイノリティです。ということもあり、つい40年前は、市バスに車椅子で乗れませんでした。駅も階段しかなかったし、駅員も手伝わなかったので、車椅子での移動は至難を極めました。
 
 しかし、青い芝の会を始めとした各種障害者団体の方々が、粘り強く市や国鉄と交渉し続けた結果、バスに乗れるようになり、駅にはエレベーターが設置され、駅員たちも業務として手伝うようなルールになっていったのです。( http://bit.ly/212H4Tj )
 
 今では、そんな時代があったことさえ、誰にも信じられないことだと思いますが。
 
 そう、粘り強く、継続的に、要望したり交渉したりコミュニケーションを取る人々が、社会運動には必要なのです。

【子育て層だけは、「当事者」期間が非常に短い】
 
 しかし、子育て層は、この側面において、決定的に弱い。
 
 保育園に入れない!という悩みも、入れてしまったら、もう過去の話になります。
子どもが熱を出して会社に行けない、困る!という悩みも、子どもが4歳を過ぎた辺りから、徐々になくなっていきます。
学童に入れない!という悩みも、高学年になったら塾に行けるし、まあいっか、となる。
 
 そう、当事者が当事者であり続けるということが、ないのです。
喉元過ぎれば、課題は遠のく。だから、「今頑張れば、まあ良いか」となる。
過去味わった課題については「そういうことも、あったよね」となる。
 
 怒りは持続せず、よって運動は継続しない。
 
 一方、高齢者はどうでしょうか。65歳以降、少なくとも平均的には15年は高齢者であり続けます。
障害者は、障害によりますが、一生障害と付き合いを続けることになります。
 
 彼らは、継続的に課題を抱え続け、そして継続的に当事者であるのです。
だから、継続的に社会運動を行っていくことになり、その継続性は成果を生みやすいのです。
2、3回要望されるのと、10年間継続して要望されるのでは、要望される方に与えるインパクトは、全くもって違うのです。

【ではどうする?】
 ならば我々の取る戦略はクリアです。2つあります。
まず、
①「当事者でなくなっても、自分の味わった痛みを感じる人のために、動く」
ということです。
 
 これは短期的には非合理です。自分の課題と関係無いのだから。
でも中長期的には合理的です。それによって他者が助かり、より良い社会になり、自分たちの子どもたちは自分たちと同じ目にあわずに済むからです。
 
 そして
②「当事者じゃなくても、共感した人が動く」
自分に子どもがいなくても、直接子育てしていなくても、当事者のために運動に手を貸すこと。
 
 ちなみに僕は自分が子どものいない、結婚すらしていない時に、保育業界の難問中の難問と言われた、病児保育サービスを始めました。今では全国最大の病児保育団体です。
 
 当事者たちが数年で喉元すぎることも、非当事者の僕は何年も取り組み続けられました。常に新たな当事者たちの苦しみを、見続けたからです。
 
 僕は願います。あなたが、自分の苦しみ以外も苦しみと感じ、動き続けることを。
 
それが「保育園落ちた日本死ね」と言われる我々の母国、日本を変える、ひとつの鍵なのです。
 
2016年02月19日    BLOGOS