ゴエモンのつぶやき

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ドコモ、Android端末の「エリアメール」で「緊急地震速報」「津波警報」のイラスト表示を開始 3月13日から

2017年03月12日 01時42分03秒 | 障害者の自立

 NTTドコモは3月13日から、Android 4.1以降を搭載するスマートフォン・タブレット用の「エリアメール」アプリのアップデートを実施する。このアップデートにより、「緊急地震速報」「(大)津波警報」受信時に、地震や津波をイメージした画像が表示されるようになる。
 ドコモでは、多言語対応化と津波警報の音声ガイダンス搭載、緊急地震速報と津波警報の「やさしい日本語」での表示、災害・避難情報のクラウド翻訳対応など、今までもエリアメールアプリの機能強化を図ってきた。今回の画像表示対応もその一環で、聴覚障害者や日本語の理解が難しい外国人が速報・警報の意味をより直感的に理解できるようにするために行う。

 

アプリバージョンアップ後の緊急地震速報の表示イメージ

ITmedia Mobile    3月10日


アメ車、男たちの絆、この惑星最後の美しき自由な魂〜『バニシング・ポイント』

2017年03月12日 01時14分43秒 | 障害者の自立

チャレンジャーはサツの車に追われながら進んでいく。悪徳交通警察隊が、我らが孤独なドライバーの後をつけてくる。最後のアメリカンヒーロー、電気のケンタウルス、半神、黄金の西部を行くスーパードライバーだ。いやらしい2台のナチの車が美しい孤独なドライバーに迫る。ソウルモビールに乗った我らがソウルヒーローにサツどもがどんどん、どんどん、どんどん近づく。そうさ、ベイビー! ヤツらは打ちかかる。ヤツらはつかまえる。ヤツらはこの惑星最後の美しき自由な魂をとっ捕まえ、ブチ壊し、レイプするんだ。(『バニシング・ポイント』よりスーパー・ソウルの台詞)

 これは1971年のリチャード・サラフィアン監督による映画『バニシング・ポイント』(Vanishing Point)の中で、盲目のアフリカ系DJ、スーパー・ソウル(クリーヴォン・リトル)が主人公コワルスキー(バリー・ニューマン)を描写する台詞です。主人公は白の1970年型ダッジ・チャレンジャーに乗っていますが、これは強くてスタイリッシュなアメ車の代表的な存在です。「この惑星最後の美しき自由な魂」コワルスキーはこの車でひたすら警察から逃げています。警察は大量の人員を投入してしつこく追うのですが、コワルスキーがどんな重罪を犯したかというと……スピード違反や停止違反です。そんなことにやっきになる警察がスーパー・ソウルにバカにされるのも当たり前ですね。今回はこの映画を取り上げ、以前にバズ・ラーマン論や『わたしを離さないで』分析で少し紹介したクィア批評を用いて分析します。

アメリカン・ニューシネマの傑作

 コワルスキーはコロラド州デンバーからサンフランシスコまでダッジ・チャレンジャーを運転して配送する仕事で、友人と翌日午後3時までに目的地に着けるか賭けをします。結果、スピード違反で警察に目を付けられますが、振り切ることに成功。面目丸つぶれの警察は州をまたいで連携し、執念深くコワルスキーを追います。警察無線の傍受で事件を知った人気DJスーパー・ソウルはラジオでコワルスキーの反抗心溢れる逃走を称賛します。リスナーの間で有名になったコワルスキーは、行く先々で人に助けてもらいつつカリフォルニアへ向かいます。警察はブルドーザーを道路に据えてブロックしようとしますが、コワルスキーは野次馬が見守る中、2台のブルドーザーの隙間に突っ込み、車は炎上します。

 『バニシング・ポイント』は、1960年代末から1970年代にかけての反体制的な若者文化をやや暗いタッチで描くアメリカン・ニューシネマと呼ばれる潮流の代表的作品です。カーアクションの古典である一方、非常に哲学的な作品でもあります。コワルスキーが警察という権威を拒み、死が訪れるとしても自分の進路を自由意志で決めようとするという結末は、人生における自由な選択とは何かという問いを追求するものです。

 この映画は後世に大きな影響を与えており、スコットランドのロックバンド、プライマル・スクリームはその名もずばり『バニシング・ポイント』(1997)というアルバムを作っていて、「コワルスキー」という曲も収録されています。クエンティン・タランティーノの『デス・プルーフ in グラインドハウス』(Death Proof, 2007)には『バニシング・ポイント』へのオマージュがありますし、リドリー・スコット監督『テルマ&ルイーズ』(Thelma and Louise, 1991)やジョージ・ミラー監督『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(Mad Max: Fury Road, 2015)にも影響を与えているでしょう。単純なプロットなのに全く飽きさせず、アメリカの風景をとらえた映像も綺麗で、今見ても古くなっていない映画だと思います。

一方、腐女子的には…

 『バニシング・ポイント』は実はすごく腐女子向けの映画です。それはコワルスキーとスーパー・ソウルの間に男同士の強い精神的な絆が生まれるからです。腐女子の大好物ですね。

 この2人は一度も会ったことがなく、スーパー・ソウルはラジオを通してコワルスキーに話しかけることができますが、コワルスキーには返答する手段がありません。突然ラジオで自分の話を始めるスーパー・ソウルに対してコワルスキーは最初嫌そうな反応を示すものの、同僚から呆れられるほどコワルスキーのことばかり考えているスーパー・ソウルの熱意にほだされたのか、だんだん同志的な連帯を感じるようになります。終盤では、ラジオでスーパー・ソウルが警察の警戒網に注意を促すのに対して車内のコワルスキーがひとりごとで返事をし、まるでテレパシーのように奇跡的に会話が成立してしまう場面があります。2人は遠く離れていて、会ったことがないのになぜか同じ自由への欲求により通じ合ってしまうのです。

 この後、ラジオ局が人種差別主義者の襲撃に遭い、ボコボコにされたスーパー・ソウルはコワルスキーを罠にかけるためのニセの情報を無理矢理放送させられます。ところがスーパー・ソウルの声を聞いたコワルスキーは何かおかしいと思い、罠を感知します。この時にコワルスキーを助けてくれたバイカーのエンジェルは「ヤツが君を売ったんだ」(‘He sold you out.’)とスーパー・ソウルを疑っているようですが、コワルスキーはこれに何も答えず、スーパー・ソウルがひどいめにあって嘘の放送を強要されていることをなんとなく察知しているような描き方になっていると思います。声の調子だけでスーパー・ソウルの心の動きがわかるコワルスキー、口には出しませんがよっぽど元気づけられていたのですね。

 またコワルスキーは、女性に対しては相当禁欲的です。コワルスキーには死別してしまったヴェラという最愛の女性がいたことがフラッシュバックで描かれています。コワルスキーは、いまもなおその悲嘆を抱えているようで、終盤に全裸でバイクに乗る心優しい美女からセックスのお誘いを受けても、これを断ります。コワルスキーは自由を求めるヒーローですが、女性を征服して伝統的な男らしさを誇示することには興味がありません。

 さらにコワルスキーを伝統的な男らしさから少しズレた存在にしているのが、この映画における性暴力の描き方です。コワルスキーはヴェトナム戦争に従軍し、カーレースやバイクレースの選手としてケガをするなど、さまざまな傷を負ってきました。その中で大きな痛手として描かれているのが、警官時代のコワルスキーが、権力をかさに若い女性をレイプしようとした同僚を制止したせいで、警察を辞めさせられたというエピソードです。

 冒頭の引用からわかるように、スーパー・ソウルはコワルスキーを強姦の危機にある美しい存在、悪漢に追われて理不尽な暴力を受けるお姫様のように表現します。この映画においては男性の性暴力と警察の権力乱用が重ねられ、コワルスキーは自身が救った女性同様、警察の性的ともいえる暴力にさらされる存在になります。性欲がなく、象徴的な性暴力の被害者として描かれるコワルスキーは、伝統的な男らしさとは微妙にズレた人物であると言っていいでしょう。以前のバズ・ラーマン論の記事で、伝統的に「正常」とされるセクシュアリティから逸脱していることを「クィア」と言うと述べましたが、コワルスキーはこの点、いくぶんクィアと見なしうる人物かもしれません。

ホモソーシャルとホモフォビア

 自由意志、そして腐女子の観点からみて非常に面白い『バニシング・ポイント』ですが、作品の中に見受けられる同性愛嫌悪(ホモフォビア)の問題が立ちはだかります。

 これだけ男同士の絆を強調し、伝統的な男らしさからズレた主人公を描いているにもかかわらず、この映画には非常にステレオタイプなゲイが登場します。コワルスキーが途中で出会う2人組のヒッチハイカーなのですが、テカテカした服に派手なメガネをかけ、わざとらしい話し方をするなよなよした男たちで、コワルスキーに銃をつきつけて強盗行為を働こうとします。コワルスキーが象徴的な意味で性暴力にさらされていることは既に指摘しましたが、このゲイたちは表情からしてなにか嫌らしいことを考えているようにも見えます。せっかく親切にした相手から性的なものも含めた暴力をふるわれそうになったコワルスキーが怒って2人をボコボコにしても、お客は全くかわいそうだとは思わず、当然の自衛だと思うだけです。今の感覚ではゲイをこんなに薄っぺらく極悪な性的脅威として扱うのは差別的すぎてちょっとあり得ないのですが、おそらく封切り時の観客は気持ちの悪いオカマがやられていい気味だったのでしょう。

 この同性愛差別描写はロブ・エプスタインとジェフリー・フリードマンが監督したハリウッドのセクシュアルマイノリティ描写に関するドキュメンタリー映画『セルロイド・クローゼット』(The Celluloid Closet、1995)でもとりあげられています。ハリウッドのメジャーな映画としては初めてゲイとエイズを扱ったジョナサン・デミ監督作『フィラデルフィア』(Philadelphia、1993)で主人公を演じてアカデミー賞に輝いたトム・ハンクスが『バニシング・ポイント』について、アメリカ映画で初めて見たゲイキャラクターで、この時かなりネガティヴな先入観を持ったと述べています。『バニシング・ポイント』ではコワルスキー自身が伝統的な男性性から逸脱した人物なのに、より露骨に伝統的男っぽさに反逆する派手なゲイは悪役なのですね。

 この一見、唐突で不可解な展開を読み解くには、クィア批評の代表的な研究者であるイヴ・K・セジウィックの『男同士の絆−イギリス文学とホモソーシャルな欲望』(上原早苗、亀澤美由紀訳、名古屋大学出版会、2001)がヒントを与えてくれます。本書でセジウィックは「ホモソーシャル」という概念を探求し、こう述べています。

「ホモソーシャル」という用語は(中略)同性間の社会的絆を表す。またこの用語は、明らかに「ホモセクシュアル」との類似を、しかし「ホモセクシュアル」との区別をも意図してつくられた新語である。実際この語は、「男同士の絆」を結ぶ行為を指すのに使用されているが、その行為の特徴は、私たちの社会と同じく強烈なホモフォビア、つまり同性愛に対する恐怖と嫌悪と言えるかもしれない(p. 2)。

 これに続いてセジウィックは、「ホモセクシュアル」は「男を愛する男」、「ホモソーシャル」は「男の利益を促進する男」の絆であると解説します(p. 4)。ホモソーシャルな場では男同士の連帯が重視されますが、ホモセクシュアルな関係は強く断罪され、ホモソーシャルとホモセクシュアルの連続性が否定されます。男の利益を促進しようとする男たちは、自分たちはホモセクシュアルではないということをアイデンティティの礎にすらしています。ホモセクシュアルであることは伝統的な男らしさから離れて女のようになること、道徳的に堕落することと結びつけられやすくなります。

 『バニシング・ポイント』においても、このホモソーシャルがホモセクシュアルを排撃する論理が働いていると考えてよいでしょう。伝統的な男らしさにはまれないコワルスキーと人種差別や障害者差別の対象になるスーパー・ソウルは、白人男性健常者社会からはつまはじきにされる男たちであり、互いを思う純粋な心で結びついています。しかしながらこの2人の絆はあくまでもホモソーシャルなものにとどまります。型破りなコワルスキーも、ホモセクシュアルであることだけは受け入れられないのです。コワルスキーとスーパー・ソウルがテレパシー的な会話をする場面が、このゲイキャラクターをボコボコにした場面の直後だというのは示唆的です。ホモセクシュアルの性的脅威から逃れたコワルスキーは、男性間のセックスが一切介在しないスーパー・ソウルとの心の絆に慰めを見いだすのです。邪悪なものというレッテルを貼られたホモセクシュアリティを排除することにより、コワルスキーとスーパー・ソウルは完全にスピリチュアルなものとしてのホモソーシャルな絆を確立できるのです。

 『バニシング・ポイント』はとても哲学的で、人生における自由意志という一生かけて考えるべき問題を深く探求していると思います。しかしながら、その普遍的なテーマの探求が同性愛者の観客に及んでいないというのは、時代の限界はあれ悲しいことだと思います。私はこの映画をこの後何度でも見たいと思うでしょうが、素晴らしい映画だと思うからこそ、欠点も忘れずにいたいと思います。

 

『バニシング・ポイント』(20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント)

messy   3月10日


遠州綿紬の端切れで特製しおり 浜松修学舎高生が製作

2017年03月12日 01時01分05秒 | 障害者の自立

 浜松市中区の浜松修学舎高ビジネス科の1年生が9日、家庭科の授業で、遠州綿紬(つむぎ)の端切れと牛乳パックの再生紙を使って特製しおりを作った。
 地域の特産品を理解し、環境への配慮やもったいない精神を育む狙いで実施した。地元との共生を目的に、同区南浅田の障害者就労支援事業所「くるみ作業所」で作られたしおりの台紙を使用した。
 生徒はさまざまな端切れの中から好みの柄の生地を選び、富士山や花、リボンの形にはさみで切った。しおりの台紙にのりで貼り合わせてオリジナルしおりを完成させた。同科では10日もしおり作りを行い、2日間で1年生全員約150人がしおりを完成させる。

 

遠州綿紬の端切れを使って特製しおりを作る生徒

2017/3/10      47NEWS