あの時はよかったね
と 言い合える仲に
*「無縁坂」と私の母の人生
* 早逝したプレスリーのこと
* 語りの名手・武田真一アナのこと
( 玄関先に咲く椿の花 3/4 )
グレープ の「無縁坂」が
(さだまさし・作詞作曲)
ラジオから流れて来た
( NHKラジオ らじるラボ
2023.2.28 am.11:45?)
久しぶりに聞く曲だ
散歩中に
イヤフォンから聞こえてくる
今 あらためてよく聴くと
言葉の一つ一つが
心に沁みて来る
🎵運がいいとか 悪いとか
人は時々口にするけど
そうゆうことって確かにあると
あなたをみててそう思う
母は
多感な少女時代が 戦時中
やっと終戦を迎えた直後には
女学校進学も諦めて
10代半ばで
親が勧める相手と結婚
そして
初めて授かった子どもは
病弱のために
戦後の貧困の食糧事情もあって
幼少期に命果ててしまい
両親は 雨の中で
泣く泣く長男の骨を拾ったそうだ
それからは
次男、三男と
子どもに恵まれる?も
結局
男ばかりの四人を授かる
(他界した長男を加えると5人)
年が若く
学歴や資格も取得できず
ささやかな農作業の合間に
季節に合わせた日雇いの仕事に
精を出して生活を支えた母親
その後
家電の大手松下(現パナソニック)に
パートで採用され
他の若い正社員さんと
和気藹々の作業に従事する
当時の母は
大変そうだったが
そのパナ社で働けることに
感謝して その仕事を
誇りとしていた
( 仕事の改善提案で表彰を
されたこともある )
また 家にいて
ちょっと時間が空くと
広告紙の白い裏紙に
漢字などを書いて
高卒や大卒の子どもたちに
足を引っ張る? 負けられない?と
一人学びをしていた
それでも 母の人生は
🎵忍ぶ 不忍無縁坂 かみしめる様な
ささやかな僕の 母の人生
だったと思う(8年前 85歳で他界)
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
エルブィス・プレスリー
エターナル ナンバーズ
好きにならずにいられない
LOVE ME TENDER
ラヴミーテンダー
HERT BREAK HOTEL
42歳の若さで亡くなるプレスリー
惜しい早逝の歌手兼俳優であった
nhkラジオ 2/25 pm.7:20-
武田(たけた)真一アナの
静かな語りで 心に沁みてきた
( ※ところで 武田アナは
今春2月NHKを退局したとか
東日本大地震の時の冷静に
的確な情報を伝える姿が今でも
ありありと目に耳に残っている
ちなみに武田アナは
当地熊本の出身だということを
震災の後で知った
(阿蘇生まれの熊本市育ち、
高校は娘たちの先輩になるようだ)
私は そんな素晴らしい人が
郷土出身であることに
些か誇りを覚える
NHKを去るのは
ちょっと残念な気持ちだが
新天地でも
武田さんの持ち味を生かして
活躍してほしいと思う)
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
歌:グレープ
作詞:さだまさし
作曲:さだまさし
母がまだ若い頃 僕の手をひいて
この坂を登る度 いつもため息をついた
ため息つけば それで済む
後ろだけは見ちゃだめと
笑ってた白い手は とてもやわらかだった
運がいいとか 悪いとか
人は時々口にするけど
そうゆうことって確かにあると
あなたをみててそう思う
忍ぶ 不忍無縁坂 かみしめる様な
ささやかな僕の 母の人生
いつかしら僕よりも 母は小さくなった
知らぬまに 白い手はとても小さくなった
母はすべてを暦に刻んで
流してきたんだろう
悲しさや苦しさは きっとあったはずなのに
運がいいとか 悪いとか
人は時々口にするけど
めぐる暦は季節の中で
漂い乍ら過ぎてゆく
忍ぶ 不忍無縁坂 かみしめる様な
ささやかな僕の 母の人生
※下記のネットより引用