あたらしい年度になり、日常生活する上でも様々なものが終わったり始まったり、あたらしく動き出したりとしています。
そんなそわそわとした中、このご時世・情勢もあって食品・飲食の値上がりが顕著に表れてきました。(昨年あたりからじわじわと来ていましたが…)
普段からちょこちょこと食料品を買い物をしていますし、外食をメインにしているのですが、この「値上げ」というものが今一ピンときません。
と、いうのは「お金」「小銭」つまりお財布からとりだす「お金」そのものがないんですよね。スマホ・カードを利用してのキャッシュレス・電子マネーでの支払いが当たり前になっていて
100円が110円になろうとも、財布から10円余計に支払う…なんてことがないので、金銭感覚が素通りしてしまって、お財布からお金がだんだん無くなるという切実な感覚がなく
支払うことに対しては、無頓着でマヒしちゃっているかのようなんです。だから値上げをしたとしても、その場では“痛み”を伴わないので、世間があ~だこ~だと騒ぐほどのもんでもないんですよね。
販売する側もなんとか「値上げ」をめだたないようにしたりして、見えにくくなっている“企業努力”もあるだろうし、でもやはり最後にはじわじわといつのまにか実感してのしかかってくるはずです。
いつのまにか・・・。
そんなそわそわとした中、このご時世・情勢もあって食品・飲食の値上がりが顕著に表れてきました。(昨年あたりからじわじわと来ていましたが…)
普段からちょこちょこと食料品を買い物をしていますし、外食をメインにしているのですが、この「値上げ」というものが今一ピンときません。
と、いうのは「お金」「小銭」つまりお財布からとりだす「お金」そのものがないんですよね。スマホ・カードを利用してのキャッシュレス・電子マネーでの支払いが当たり前になっていて
100円が110円になろうとも、財布から10円余計に支払う…なんてことがないので、金銭感覚が素通りしてしまって、お財布からお金がだんだん無くなるという切実な感覚がなく
支払うことに対しては、無頓着でマヒしちゃっているかのようなんです。だから値上げをしたとしても、その場では“痛み”を伴わないので、世間があ~だこ~だと騒ぐほどのもんでもないんですよね。
販売する側もなんとか「値上げ」をめだたないようにしたりして、見えにくくなっている“企業努力”もあるだろうし、でもやはり最後にはじわじわといつのまにか実感してのしかかってくるはずです。
いつのまにか・・・。
今年ちょっとしたことなんだけど、自分の生活習慣上の「リズム」というのを意識している。
正直いつもというわけではないけど、何かしようとするときに“ちょっと”間を置くような気持ちで。
たとえば「歩くスピード」「歩くテンポ」とか・・・、ちょこまか、ちょこまか、とんとんと歩く性分なのだが、たまには歩幅を大きくとってゆったりと歩くのもいいんじゃないかと・・・
「せっかち」とか「あわてる」とか人に見られる立ち振る舞いは人それぞれで、自分(その人)はあまり意識していないものなので、「良い悪い」でくくれるものではないのですが、
なにか動こうとするとき、なにか考えているときに、ちょっと一拍おいて動き出すのもいいのかなぁ・・・(人から「遅い」と言われない程度)
そんな今まで持ち合わせていない(ゆったり)(あわてず)テンポ・リズムを意識して、動いてみたらどうだろうか・・・これが功を奏するかどうかは別ですけど。
そこで日常の生活の中で、わかりやすいのは一歩一歩の歩くテンポ・リズムを意識して変えてみるとどうなるのかなぁと思っています。(意識と無意識の狭間で、日常常にはできないけど)
またなにごとも一拍、間を置くことも忘れずに・・・(人から変に見られない程度にね・・・)
正直いつもというわけではないけど、何かしようとするときに“ちょっと”間を置くような気持ちで。
たとえば「歩くスピード」「歩くテンポ」とか・・・、ちょこまか、ちょこまか、とんとんと歩く性分なのだが、たまには歩幅を大きくとってゆったりと歩くのもいいんじゃないかと・・・
「せっかち」とか「あわてる」とか人に見られる立ち振る舞いは人それぞれで、自分(その人)はあまり意識していないものなので、「良い悪い」でくくれるものではないのですが、
なにか動こうとするとき、なにか考えているときに、ちょっと一拍おいて動き出すのもいいのかなぁ・・・(人から「遅い」と言われない程度)
そんな今まで持ち合わせていない(ゆったり)(あわてず)テンポ・リズムを意識して、動いてみたらどうだろうか・・・これが功を奏するかどうかは別ですけど。
そこで日常の生活の中で、わかりやすいのは一歩一歩の歩くテンポ・リズムを意識して変えてみるとどうなるのかなぁと思っています。(意識と無意識の狭間で、日常常にはできないけど)
またなにごとも一拍、間を置くことも忘れずに・・・(人から変に見られない程度にね・・・)
「六曜」
先勝:先んずれば勝つ 午前中「吉」午後2時から6時くらいまでは「凶」
友引:勝負事で共に引き分ける 凶事に友を引くことも 朝「吉」昼「凶」夕方「大吉」
先負:先んずれば即ち負ける 午前「凶」午後「小吉」
仏滅:物事が滅び終わる 一日縁起わるい
大安:なにをするにも「吉」大いに安し
赤口:陰陽道で縁起わるい赤下日 すべてが滅びる凶日 正午だけは「吉」
ただの迷信とか、気にするしないは人それぞれ。
今日は先勝の日
毎朝、六曜を自分に対して暗示としてかけて、その日の気分を奮い立たせようと確認をしています。
今日は「先勝」なんで、例えば抱えている仕事は早めに済ませて終わらせようという気構えになり、ほんとにそのようにするとうまくいっちゃったりします。
そんなことが続くと、ついつい迷信だろうが暗示だろうがのっかっちゃって、毎日毎日気にするように・・・
たとえ「仏滅」の日でも「物事が滅び終わる」ということは見方を変えると、
「今までのおこないは一度リセットされて、新たにそこから何かが始まる、生まれ変わる」・・・と、とらえることができます。
仏滅という縁起わるい言葉でも、解釈次第では前向きにとらえることができるのです。
日々の生活のなかで、これを信じる信じない、当たる当たらないではなく、アタマの片隅にちょっとこの言葉を入れておいて、それを日々の行動規範としてうまく活用するのもいいんじゃないかと思うのです。
今日は「先勝かぁ・・・よし!!」
先勝:先んずれば勝つ 午前中「吉」午後2時から6時くらいまでは「凶」
友引:勝負事で共に引き分ける 凶事に友を引くことも 朝「吉」昼「凶」夕方「大吉」
先負:先んずれば即ち負ける 午前「凶」午後「小吉」
仏滅:物事が滅び終わる 一日縁起わるい
大安:なにをするにも「吉」大いに安し
赤口:陰陽道で縁起わるい赤下日 すべてが滅びる凶日 正午だけは「吉」
ただの迷信とか、気にするしないは人それぞれ。
今日は先勝の日
毎朝、六曜を自分に対して暗示としてかけて、その日の気分を奮い立たせようと確認をしています。
今日は「先勝」なんで、例えば抱えている仕事は早めに済ませて終わらせようという気構えになり、ほんとにそのようにするとうまくいっちゃったりします。
そんなことが続くと、ついつい迷信だろうが暗示だろうがのっかっちゃって、毎日毎日気にするように・・・
たとえ「仏滅」の日でも「物事が滅び終わる」ということは見方を変えると、
「今までのおこないは一度リセットされて、新たにそこから何かが始まる、生まれ変わる」・・・と、とらえることができます。
仏滅という縁起わるい言葉でも、解釈次第では前向きにとらえることができるのです。
日々の生活のなかで、これを信じる信じない、当たる当たらないではなく、アタマの片隅にちょっとこの言葉を入れておいて、それを日々の行動規範としてうまく活用するのもいいんじゃないかと思うのです。
今日は「先勝かぁ・・・よし!!」
電車の車内から、移りゆく車窓をぼんやり眺めるのが好きです。
移動手段としての電車の車内での滞在時間に“なにをするか”というのは人さまざまなようで…。
車窓をのんびり眺めるのも良し、いい気分で揺られて寝込んでも良し、目をつむって瞑想に更けこむのもアリ、本を読む、勉学に励む、音楽を聴く・・・でも一番多いのは下向いて・他人には干渉されずにスマホですね。
自分は車窓をながめたり、車内の雰囲気を感じたり、人間観察ですかね(ちょっといやらしいですか?)人間模様を見ちゃうんですよね・・・そして、
それからさまざまなインスピレーションが浮かんだりひらめいたりして、ひょいと「発想」が思いついたりします。
こうして電車に揺られて“ポカ~ン”とリラックスしたアタマになると、じぶんでも思いつかない「なにか」を急にひらめいたりするんです。まさに貴重な時間・空間です。
そういえば、最近電車内での通り魔的な事件が起きて、一見平穏無事な電車車内でもなにが起きるかわかりませんよね。
いままでの「安全」「安心」という誰もが疑わなかった社会通念・常識そのものが崩れ去っています。もう近くで何が起こってもおかしくない嫌な世の中ですから。
このままでは、乗客ひとりひとりの危険物持ち込みチェックなんていうこと・・・さすがにそれはできないでしょ。とても危惧しています。
・・・・・・・なんてことをアタマの中で考えながらも、となりに座っているおばさんがスマホを連打しています!!(なにしてんですかね…チラ見したら“オチゲー”みたいでしたが…)
もう気になって気になってしょうがない!! これ、なんとかならんのですかね…ホントいい歳こいてさあ…みっともない!!
いま、この時間、この空間が「発想・ひらめきの宝庫」なんですがね…。
移動手段としての電車の車内での滞在時間に“なにをするか”というのは人さまざまなようで…。
車窓をのんびり眺めるのも良し、いい気分で揺られて寝込んでも良し、目をつむって瞑想に更けこむのもアリ、本を読む、勉学に励む、音楽を聴く・・・でも一番多いのは下向いて・他人には干渉されずにスマホですね。
自分は車窓をながめたり、車内の雰囲気を感じたり、人間観察ですかね(ちょっといやらしいですか?)人間模様を見ちゃうんですよね・・・そして、
それからさまざまなインスピレーションが浮かんだりひらめいたりして、ひょいと「発想」が思いついたりします。
こうして電車に揺られて“ポカ~ン”とリラックスしたアタマになると、じぶんでも思いつかない「なにか」を急にひらめいたりするんです。まさに貴重な時間・空間です。
そういえば、最近電車内での通り魔的な事件が起きて、一見平穏無事な電車車内でもなにが起きるかわかりませんよね。
いままでの「安全」「安心」という誰もが疑わなかった社会通念・常識そのものが崩れ去っています。もう近くで何が起こってもおかしくない嫌な世の中ですから。
このままでは、乗客ひとりひとりの危険物持ち込みチェックなんていうこと・・・さすがにそれはできないでしょ。とても危惧しています。
・・・・・・・なんてことをアタマの中で考えながらも、となりに座っているおばさんがスマホを連打しています!!(なにしてんですかね…チラ見したら“オチゲー”みたいでしたが…)
もう気になって気になってしょうがない!! これ、なんとかならんのですかね…ホントいい歳こいてさあ…みっともない!!
いま、この時間、この空間が「発想・ひらめきの宝庫」なんですがね…。
カラダがだるいとか、ちょっと熱が・・・とかで休む人いるよね。
「あ~あ、俺も休みたいよなぁ、熱出たくらいで休めんだもの…」なんてぼやいちゃうんだけど。(「昔の人間」ですから…)
そんな“あやうい”職場での人間関係。
まあ、その人しかわからない「なにか」があるんでしょう・・・。
でもそのとばっちり(突発の休み)を受ける身になったら、そのやりきれないこと(しょうがないじゃん・・・と言ったらそれまでだけど)
熱が出て風邪ひいて人に移しちゃいけないし、仕事もはかどらない・・・なんていう考え方もわからないでもない。
でも、要はその人の「気」の持ちようみたいなもんで、自己管理・体調管理・生活習慣、日常生活での緊張感・気の張り方・・・いろいろ要因が身の回りにあるんじゃないかと、
やはり自分自身の事は自分でどうするか、どう考えるか・・・「自己」というものに対する考え方・他人からの見え方(どうみられるか)を常に心得て身につけておかなければならないんじゃないかなぁ。(オトナの人間として)
「たかが熱出たくらいで休むなぁ・・・」と、心の中でぼやいている自分もやはり「自己管理」が必要かぁ!!(そうだよなぁ)
「あ~あ、俺も休みたいよなぁ、熱出たくらいで休めんだもの…」なんてぼやいちゃうんだけど。(「昔の人間」ですから…)
そんな“あやうい”職場での人間関係。
まあ、その人しかわからない「なにか」があるんでしょう・・・。
でもそのとばっちり(突発の休み)を受ける身になったら、そのやりきれないこと(しょうがないじゃん・・・と言ったらそれまでだけど)
熱が出て風邪ひいて人に移しちゃいけないし、仕事もはかどらない・・・なんていう考え方もわからないでもない。
でも、要はその人の「気」の持ちようみたいなもんで、自己管理・体調管理・生活習慣、日常生活での緊張感・気の張り方・・・いろいろ要因が身の回りにあるんじゃないかと、
やはり自分自身の事は自分でどうするか、どう考えるか・・・「自己」というものに対する考え方・他人からの見え方(どうみられるか)を常に心得て身につけておかなければならないんじゃないかなぁ。(オトナの人間として)
「たかが熱出たくらいで休むなぁ・・・」と、心の中でぼやいている自分もやはり「自己管理」が必要かぁ!!(そうだよなぁ)
そういえば……そういえば昨夜ひさびさ聴いた、渡辺美里「ribbon」(1988年作)
CDディスクとともにライナーノーツが入っていて・・・その巻頭に本人からこのCDアルバムに寄せた一文が載っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私には手紙を通じての友だちがたくさんいます。
レコードを出す前からの友だち
真夜中のラジオの生放送にハガキを送ってくれた友だち
外国からのエアメールをくれる友だち・・・・・・・・・・・・・・・。
そんな人たちの現在を想いながら
いくつかの歌をつくってみました。
みんなとの結び目になればそしてありがとうの想いをこめて
このレコード「ribbon」を捧げます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とってもピュアな一文が寄せられていて、このライナーノーツがCDアルバムとして作品の完成度を高め、よりメッセージ性の高いものになっています。
最近の音楽配信・ダウンロード楽曲が当たり前になってきた現代、こういった「ライナーノーツ」とよばれる歌詞カード・楽曲解説・曲への想いが記載されている冊子の存在感が薄れてきています。
ミュージシャン・楽曲・ジャケットとともにライナーノーツにもオリジナリティーがあって、これらがアルバムとして、まとまって1つの作品として出来上がっていました。
それに比べるといろんなそれらの情報はいつでも手に入る・・・なんて軽々しい想いでただ単に音楽に接する、音楽を聴くだけというのはどうなんでしょう。
ジャケット写真をながめながら・・・ライナーノーツの歌詞カードを読みながら・・・音楽に聴き惚れる、音楽に接する、音を楽しむ、歌詞を覚え、歌詞をアタマに刻み込む・・・そんな時代が昔ありました。
CDディスクとともにライナーノーツが入っていて・・・その巻頭に本人からこのCDアルバムに寄せた一文が載っています。
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私には手紙を通じての友だちがたくさんいます。
レコードを出す前からの友だち
真夜中のラジオの生放送にハガキを送ってくれた友だち
外国からのエアメールをくれる友だち・・・・・・・・・・・・・・・。
そんな人たちの現在を想いながら
いくつかの歌をつくってみました。
みんなとの結び目になればそしてありがとうの想いをこめて
このレコード「ribbon」を捧げます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とってもピュアな一文が寄せられていて、このライナーノーツがCDアルバムとして作品の完成度を高め、よりメッセージ性の高いものになっています。
最近の音楽配信・ダウンロード楽曲が当たり前になってきた現代、こういった「ライナーノーツ」とよばれる歌詞カード・楽曲解説・曲への想いが記載されている冊子の存在感が薄れてきています。
ミュージシャン・楽曲・ジャケットとともにライナーノーツにもオリジナリティーがあって、これらがアルバムとして、まとまって1つの作品として出来上がっていました。
それに比べるといろんなそれらの情報はいつでも手に入る・・・なんて軽々しい想いでただ単に音楽に接する、音楽を聴くだけというのはどうなんでしょう。
ジャケット写真をながめながら・・・ライナーノーツの歌詞カードを読みながら・・・音楽に聴き惚れる、音楽に接する、音を楽しむ、歌詞を覚え、歌詞をアタマに刻み込む・・・そんな時代が昔ありました。
大盛・特盛・特大・倍盛・爆盛・まんが盛・ガッツ盛・・・・・と、巷で店先で店内で、またテレビでおもしろおかしく目を引くようなキャッチフレーズとともに使われているが・・・。
以前だったら、そんな言葉に魅かれてわざわざその店に行ったり、いつも行く店でもついつい頼んじゃったのだが、なんかここ最近そんな言葉やアピールがあっても“スルー”しちゃうんだよね。
カラダの事考えてとか、体調、気分の問題も多少あるかもしれないけど、「見た目」でココロ踊らすとか、「たくさん食べられる」でオナカを満たして満足感を得るとか、そんな考えがなんか冷めてきちゃって
「量」を追うより「質」「味」で満足するって気分になるんですよ。オナカ満杯にする満足感より、おいしくオナカを満たしたい気分ってとこです。
けっして“おしゃれに・・・”とか“上品に”なんていうのは好きじゃなくて、自分の普段食べなれている好きな食べ物をおいしく食べたいだけなのです。
たとえば、ラーメン食べるときも「大盛無料」なんて言葉にのらずに「味玉」追加するとか、牛丼「大盛」にするんだったら、一緒につく味噌汁を豚汁にするとか・・・食べなれたものを単純にグレードアップしたいのです。
今日食べたラーメンも「ライス」つけるとか「大盛」にするよりも、「味玉」と「青ねぎ」を追加して、普通のいつものラーメンを“ゴージャス”なものにして、ココロもオナカも満足した一杯にしました。
最近の食生活に対する考えが、徐々に徐々に最近見方が変わってきた、今日この頃です。
以前だったら、そんな言葉に魅かれてわざわざその店に行ったり、いつも行く店でもついつい頼んじゃったのだが、なんかここ最近そんな言葉やアピールがあっても“スルー”しちゃうんだよね。
カラダの事考えてとか、体調、気分の問題も多少あるかもしれないけど、「見た目」でココロ踊らすとか、「たくさん食べられる」でオナカを満たして満足感を得るとか、そんな考えがなんか冷めてきちゃって
「量」を追うより「質」「味」で満足するって気分になるんですよ。オナカ満杯にする満足感より、おいしくオナカを満たしたい気分ってとこです。
けっして“おしゃれに・・・”とか“上品に”なんていうのは好きじゃなくて、自分の普段食べなれている好きな食べ物をおいしく食べたいだけなのです。
たとえば、ラーメン食べるときも「大盛無料」なんて言葉にのらずに「味玉」追加するとか、牛丼「大盛」にするんだったら、一緒につく味噌汁を豚汁にするとか・・・食べなれたものを単純にグレードアップしたいのです。
今日食べたラーメンも「ライス」つけるとか「大盛」にするよりも、「味玉」と「青ねぎ」を追加して、普通のいつものラーメンを“ゴージャス”なものにして、ココロもオナカも満足した一杯にしました。
最近の食生活に対する考えが、徐々に徐々に最近見方が変わってきた、今日この頃です。
「あれっ今日休み!!」
今日は「建国記念日」
初代天皇 神武天皇の即位した日とされて制定されたそうな・・・。
最近祝日というと週末に重なって「連休」になっているケースが多くて、平日の合間にポツンと祝日があるのって珍しくない?
近年「休みの日」がコロコロ変わったり、成人の日・体育の日みたいにむりやり土・日曜日とつなげっちゃったり・・・。
挙句はやるかやらないかしらないオリンピックがらみで、ホントむりやり動かしっちゃったり・・・
もともと何かを記念する日とか由緒ある歴史ある祝日だったのが、その理念がうすれてまさに「商業化」してしまったような、なんとも文化もくそもないものに。
成人の日は1月15日なんだよ、体育の日(いまではスポーツの日だって)は10月10日なんだよ・・・庶民の生活に慣れ親しんだ日をなにを考えて勝手に変えちゃうかな…。
「あれっ今日休み!! 今日は何の日だっけ??」
今日は「建国記念日」
初代天皇 神武天皇の即位した日とされて制定されたそうな・・・。
最近祝日というと週末に重なって「連休」になっているケースが多くて、平日の合間にポツンと祝日があるのって珍しくない?
近年「休みの日」がコロコロ変わったり、成人の日・体育の日みたいにむりやり土・日曜日とつなげっちゃったり・・・。
挙句はやるかやらないかしらないオリンピックがらみで、ホントむりやり動かしっちゃったり・・・
もともと何かを記念する日とか由緒ある歴史ある祝日だったのが、その理念がうすれてまさに「商業化」してしまったような、なんとも文化もくそもないものに。
成人の日は1月15日なんだよ、体育の日(いまではスポーツの日だって)は10月10日なんだよ・・・庶民の生活に慣れ親しんだ日をなにを考えて勝手に変えちゃうかな…。
「あれっ今日休み!! 今日は何の日だっけ??」
きょうは・・・
大安吉日
中秋の名月 十五夜 満月
彼岸花が咲き
金木犀の香り
そして「さんりんぼう」???
カレンダーを見たら、なんか“よさそうな事”ばかりがあるなかで「さんりんぼう」だって。
「さんりんぼう」って、家を建てることに関しては大凶日で、大火をおこし隣近所、三つ隣までを滅ぼす、そんな暦の日なんだそうな。
その意味もわからず、カレンダーに記載されているくらいだから、昔からの習わしだろうけど「よっぽど!!」のものなんかなぁ・・・。
大安吉日
中秋の名月 十五夜 満月
彼岸花が咲き
金木犀の香り
そして「さんりんぼう」???
カレンダーを見たら、なんか“よさそうな事”ばかりがあるなかで「さんりんぼう」だって。
「さんりんぼう」って、家を建てることに関しては大凶日で、大火をおこし隣近所、三つ隣までを滅ぼす、そんな暦の日なんだそうな。
その意味もわからず、カレンダーに記載されているくらいだから、昔からの習わしだろうけど「よっぽど!!」のものなんかなぁ・・・。