初冬の上野公園でしばし「書」の世界にひたります。
上野の森美術館にて、貞政少登遺墨展 -墨彩の軌跡-
この展示会に行くまでこの方のお名前も功績も知らないまま、ただ「書」「字」というものに関心があり、あくまでも“興味本位”の軽い気持ちで拝見することに・・・。
たぶん(専門でもないし関係者でもないので、あくまでも一般人です)「書」というものは、それを普通に「読む」でもないし「きれいに…」でもないことは想像できます。
「書」「字体」によって作者が何を訴え、心情や心模様をどのように表すのか・・・それを見るものがどのように受け止めるのか・・・
美術品の域まで達すると、計り知れないなにかがこの「書」にあるのでしょう・・・。
でも自分はそんな成熟した人間でもなく、なにかこの「書」からインスピレーションでも浮かべば…の感覚で拝見しました。
「書」「字体」をひとつの「デザイン」として、シンボリックな「マーク」のような感覚での見方です。(関係者の方には趣旨が違って申し訳ないです)
でも「墨彩」としての作品群を順に見てくると、とても有意義で(おもしろいは失礼ですか…ね)アタマのなかにしっかりとインプットさせていただきました。
奥が深いもんだなぁ・・・「書」の世界
上野の森美術館にて、貞政少登遺墨展 -墨彩の軌跡-
この展示会に行くまでこの方のお名前も功績も知らないまま、ただ「書」「字」というものに関心があり、あくまでも“興味本位”の軽い気持ちで拝見することに・・・。
たぶん(専門でもないし関係者でもないので、あくまでも一般人です)「書」というものは、それを普通に「読む」でもないし「きれいに…」でもないことは想像できます。
「書」「字体」によって作者が何を訴え、心情や心模様をどのように表すのか・・・それを見るものがどのように受け止めるのか・・・
美術品の域まで達すると、計り知れないなにかがこの「書」にあるのでしょう・・・。
でも自分はそんな成熟した人間でもなく、なにかこの「書」からインスピレーションでも浮かべば…の感覚で拝見しました。
「書」「字体」をひとつの「デザイン」として、シンボリックな「マーク」のような感覚での見方です。(関係者の方には趣旨が違って申し訳ないです)
でも「墨彩」としての作品群を順に見てくると、とても有意義で(おもしろいは失礼ですか…ね)アタマのなかにしっかりとインプットさせていただきました。
奥が深いもんだなぁ・・・「書」の世界
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