名古屋の白ウサギ・1964年生

自称・宗教家・・宗教家とは職業ではなく「私の生き方」です。
職業・会社員、投資家  趣味・偽善事業

自分の不幸を祈る行為

2015-01-23 | その他

金持ちで、裕福な生活をしている人がいたとします。

高級な車に乗り、
高価な装飾品を身に付け、
立派な豪邸に住み、
頻繁に海外旅行に出かけ、
美食家で贅沢な食生活、
交友関係も広く、いつもイキイキしている・・・

こういう人を見たとき、
何を感じるか?
何を思うか?

これで自分の運命が左右される。

「 あのひとは影できっとズルイ事を
してるんだ・・だからあんな金持ちになれたんだ・・」

このように思ってしまう人も多くいる。
これはある種の ねたみ、ひがみ、である。

この事に限らず、程度の差こそあれ、
人間誰しもこういった感情を抱く事がある。

これは、人間の性(サガ)とでも言おうか、
善良な、ごく普通の良識を持ったひとでも、
こういった ねたみ、ひがみ、の種を持っている。

ただ、この性(サガ)を抑制する技術を
身につけていないものは、
自分が不幸になる。

「 あのひとは影できっとズルイ事をしてるんだ」

と思う心の背景には何があるか?

こういう 「 思い 」 裏側には、

「 あの人に幸運が無ければよいのに 」

という恨み、ねたみ、から来る「 本音 」
が隠されている。

‘ 嫉み ‘ とは、
無意識のうちに 「人の不幸を願う」 感情なのです。
これを「 祈り 」と言い換えても間違いではない。

即ち、人の不幸を祈っている事になる。

強い祈りは実現する。

ただ、それは呪った相手にではなく、自分にである。
ここが一番重要な部分。

その結果、どうなるか?

自分の潜在意識
(表面意識には現われない深層部の意識)は、
「 自分と他者 」の区別ができない構造になっている。

おかしな話ではあるが、
このことを理解しないと、
複雑怪奇な人間の心の生態が
理解できない。

怨み、嫉妬、嫉み、などのが誘発する、
他人に対して、「 不幸になれ 」という本音( 祈り )
は、それを強く発した自分自身に作用する。

この祈りは確実に自分に
「 不幸な状況 」「 不幸になる選択 」を
引き寄せる。

仮に、これが正当性のある
恨み、嫉み、嫉妬であったとしても、
ことは同じ。

自分がある人にひどい目に遇わされた・・・
「あの野郎!!! 因果報応で必ず不幸になるだろ・・・・
そうじゃなければ、神も仏もあったものか!!! 」
と強く思い続けたとする。

この場合、このひとの心情は同感できる。
矛盾した事を思っているわけではない。

でも・・・

残念ながら・・・

この場合も、自分の潜在意識は
「 不幸になれ 」 という想い( 祈り )を
そのまま受け取ってしまう。

「 不幸になれ 」 という言葉( 祈り )は
それを強く発した本人の潜在意識が受け取ってしまう。

それ故、この場合も、相手が不幸になるわけではなく、
自分自身が、不幸になる為の選択を
無意識にしてしまうという結果になる。

キリストさんが仰った、
「 あなたの口から入るものは、あなたを害さないが、
口から出るものが、あなたを害す 」

という言葉は、この事を言っている。

「 くちから出るモノ 」
とは、言葉
言葉とは、言い換えれば 「 想い 」

「 想い 」とは、「 祈り 」

なんとも不条理なお話だが、
これが 心の法則、 運命の法則、

心の法則 ・ 運命の法則 は
善悪の問題とは別問題なのだ、


それ故、真面目で、正義感が強い人間ほど、
この落とし穴にはまりやすい。

生半可な宗教をかじっている人もこれと同様。。

人間は、何かを見て、何かを感じている限り、
それに対して、「想い」を発している。

ひとの幸運を本音の部分で嫉妬したり、妬んだりすることも
祈りなのだ。

ならば、幸福になる祈りとは?

「 喜ぶ 」ということ、

「喜ぶ」とは言葉を変えれば、

感謝の念

感謝の念とは?

「 ありがとう 」 という想い。

自分の潜在意識は「 ありがとう 」という念を発したら、
その言葉を、そのまま無条件に受け取る。

とにかく、バカになってすべての物に、人に、事に、
 「 ありがとう 」と念じれば、

潜在意識はその言葉を無条件に受け取る。

( 水に向かって‘ ありがとう‘ 
語りかけると、水の性質に科学的変化
が起きるといった類のインチキ科学とは別問題、
あれは、単なるマヤカシです。‘ガマの油売り‘
と同列です )

人間誰しも、膨大な量のマイナス感情(エネルギー)
を潜在意識に蓄積している。

その一つ一つを草むしりをするように
抜き取ろうと思っても不可能である。

これを打ち消す万能のエネルギーは

「 怨まない心 」

お釈迦様はいった・・・

「 怨み心をもって、怨み心を打ち消す事はできない。」
・       ( 法句経の一節 )

何が言いたい?
「 怨んでいる心は、怨んでいる 」
ということ?
当たり前じゃないか!!!
と思えてしまうような言葉ですが、

怨み心を打ち消す為には、
「 怨んでいない心 」 を持ってくる以外
方法はないということが仰りたかったのです。

これ即ち、
喜ぶ心
感謝する心


「怨んでいない心」 を発するとき、
自分にとって最も適切な思考が現われる。

この思考が、自分の行動に対して、
「 最も適切な判断 」 を実行させる。
「 最も適切な人・モノ・事 を引き寄せる 」

最も適切な判断が、最善の未来を築く。












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