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金持ちで、裕福な生活をしている人がいたとします。
高級な車に乗り、
高価な装飾品を身に付け、
立派な豪邸に住み、
頻繁に海外旅行に出かけ、
美食家で贅沢な食生活、
交友関係も広く、いつもイキイキしている・・・
こういう人を見たとき、
何を感じるか?
何を思うか?
これで自分の運命が左右される。
「 あのひとは影できっとズルイ事を
してるんだ・・だからあんな金持ちになれたんだ・・」
このように思ってしまう人も多くいる。
これはある種の ねたみ、ひがみ、である。
この事に限らず、程度の差こそあれ、
人間誰しもこういった感情を抱く事がある。
これは、人間の性(サガ)とでも言おうか、
善良な、ごく普通の良識を持ったひとでも、
こういった ねたみ、ひがみ、の種を持っている。
ただ、この性(サガ)を抑制する技術を
身につけていないものは、
自分が不幸になる。
「 あのひとは影できっとズルイ事をしてるんだ」
と思う心の背景には何があるか?
こういう 「 思い 」 裏側には、
「 あの人に幸運が無ければよいのに 」
という恨み、ねたみ、から来る「 本音 」
が隠されている。
‘ 嫉み ‘ とは、
無意識のうちに 「人の不幸を願う」 感情なのです。
これを「 祈り 」と言い換えても間違いではない。
即ち、人の不幸を祈っている事になる。
強い祈りは実現する。
ただ、それは呪った相手にではなく、自分にである。
ここが一番重要な部分。
その結果、どうなるか?
自分の潜在意識
(表面意識には現われない深層部の意識)は、
「 自分と他者 」の区別ができない構造になっている。
おかしな話ではあるが、
このことを理解しないと、
複雑怪奇な人間の心の生態が
理解できない。
怨み、嫉妬、嫉み、などのが誘発する、
他人に対して、「 不幸になれ 」という本音( 祈り )
は、それを強く発した自分自身に作用する。
この祈りは確実に自分に
「 不幸な状況 」「 不幸になる選択 」を
引き寄せる。
仮に、これが正当性のある
恨み、嫉み、嫉妬であったとしても、
ことは同じ。
自分がある人にひどい目に遇わされた・・・
「あの野郎!!! 因果報応で必ず不幸になるだろ・・・・
そうじゃなければ、神も仏もあったものか!!! 」
と強く思い続けたとする。
この場合、このひとの心情は同感できる。
矛盾した事を思っているわけではない。
でも・・・
残念ながら・・・
この場合も、自分の潜在意識は
「 不幸になれ 」 という想い( 祈り )を
そのまま受け取ってしまう。
「 不幸になれ 」 という言葉( 祈り )は
それを強く発した本人の潜在意識が受け取ってしまう。
それ故、この場合も、相手が不幸になるわけではなく、
自分自身が、不幸になる為の選択を
無意識にしてしまうという結果になる。
キリストさんが仰った、
「 あなたの口から入るものは、あなたを害さないが、
口から出るものが、あなたを害す 」
という言葉は、この事を言っている。
「 くちから出るモノ 」
とは、言葉
言葉とは、言い換えれば 「 想い 」
「 想い 」とは、「 祈り 」
なんとも不条理なお話だが、
これが 心の法則、 運命の法則、
心の法則 ・ 運命の法則 は
善悪の問題とは別問題なのだ、
それ故、真面目で、正義感が強い人間ほど、
この落とし穴にはまりやすい。
生半可な宗教をかじっている人もこれと同様。。
人間は、何かを見て、何かを感じている限り、
それに対して、「想い」を発している。
ひとの幸運を本音の部分で嫉妬したり、妬んだりすることも
祈りなのだ。
ならば、幸福になる祈りとは?
「 喜ぶ 」ということ、
「喜ぶ」とは言葉を変えれば、
感謝の念
感謝の念とは?
「 ありがとう 」 という想い。
自分の潜在意識は「 ありがとう 」という念を発したら、
その言葉を、そのまま無条件に受け取る。
とにかく、バカになってすべての物に、人に、事に、
「 ありがとう 」と念じれば、
潜在意識はその言葉を無条件に受け取る。
( 水に向かって‘ ありがとう‘
語りかけると、水の性質に科学的変化
が起きるといった類のインチキ科学とは別問題、
あれは、単なるマヤカシです。‘ガマの油売り‘
と同列です )
人間誰しも、膨大な量のマイナス感情(エネルギー)
を潜在意識に蓄積している。
その一つ一つを草むしりをするように
抜き取ろうと思っても不可能である。
これを打ち消す万能のエネルギーは
「 怨まない心 」
お釈迦様はいった・・・
「 怨み心をもって、怨み心を打ち消す事はできない。」
・ ( 法句経の一節 )
何が言いたい?
「 怨んでいる心は、怨んでいる 」
ということ?
当たり前じゃないか!!!
と思えてしまうような言葉ですが、
怨み心を打ち消す為には、
「 怨んでいない心 」 を持ってくる以外
方法はないということが仰りたかったのです。
これ即ち、
喜ぶ心
感謝する心
「怨んでいない心」 を発するとき、
自分にとって最も適切な思考が現われる。
この思考が、自分の行動に対して、
「 最も適切な判断 」 を実行させる。
「 最も適切な人・モノ・事 を引き寄せる 」
最も適切な判断が、最善の未来を築く。
高級な車に乗り、
高価な装飾品を身に付け、
立派な豪邸に住み、
頻繁に海外旅行に出かけ、
美食家で贅沢な食生活、
交友関係も広く、いつもイキイキしている・・・
こういう人を見たとき、
何を感じるか?
何を思うか?
これで自分の運命が左右される。
「 あのひとは影できっとズルイ事を
してるんだ・・だからあんな金持ちになれたんだ・・」
このように思ってしまう人も多くいる。
これはある種の ねたみ、ひがみ、である。
この事に限らず、程度の差こそあれ、
人間誰しもこういった感情を抱く事がある。
これは、人間の性(サガ)とでも言おうか、
善良な、ごく普通の良識を持ったひとでも、
こういった ねたみ、ひがみ、の種を持っている。
ただ、この性(サガ)を抑制する技術を
身につけていないものは、
自分が不幸になる。
「 あのひとは影できっとズルイ事をしてるんだ」
と思う心の背景には何があるか?
こういう 「 思い 」 裏側には、
「 あの人に幸運が無ければよいのに 」
という恨み、ねたみ、から来る「 本音 」
が隠されている。
‘ 嫉み ‘ とは、
無意識のうちに 「人の不幸を願う」 感情なのです。
これを「 祈り 」と言い換えても間違いではない。
即ち、人の不幸を祈っている事になる。
強い祈りは実現する。
ただ、それは呪った相手にではなく、自分にである。
ここが一番重要な部分。
その結果、どうなるか?
自分の潜在意識
(表面意識には現われない深層部の意識)は、
「 自分と他者 」の区別ができない構造になっている。
おかしな話ではあるが、
このことを理解しないと、
複雑怪奇な人間の心の生態が
理解できない。
怨み、嫉妬、嫉み、などのが誘発する、
他人に対して、「 不幸になれ 」という本音( 祈り )
は、それを強く発した自分自身に作用する。
この祈りは確実に自分に
「 不幸な状況 」「 不幸になる選択 」を
引き寄せる。
仮に、これが正当性のある
恨み、嫉み、嫉妬であったとしても、
ことは同じ。
自分がある人にひどい目に遇わされた・・・
「あの野郎!!! 因果報応で必ず不幸になるだろ・・・・
そうじゃなければ、神も仏もあったものか!!! 」
と強く思い続けたとする。
この場合、このひとの心情は同感できる。
矛盾した事を思っているわけではない。
でも・・・
残念ながら・・・
この場合も、自分の潜在意識は
「 不幸になれ 」 という想い( 祈り )を
そのまま受け取ってしまう。
「 不幸になれ 」 という言葉( 祈り )は
それを強く発した本人の潜在意識が受け取ってしまう。
それ故、この場合も、相手が不幸になるわけではなく、
自分自身が、不幸になる為の選択を
無意識にしてしまうという結果になる。
キリストさんが仰った、
「 あなたの口から入るものは、あなたを害さないが、
口から出るものが、あなたを害す 」
という言葉は、この事を言っている。
「 くちから出るモノ 」
とは、言葉
言葉とは、言い換えれば 「 想い 」
「 想い 」とは、「 祈り 」
なんとも不条理なお話だが、
これが 心の法則、 運命の法則、
心の法則 ・ 運命の法則 は
善悪の問題とは別問題なのだ、
それ故、真面目で、正義感が強い人間ほど、
この落とし穴にはまりやすい。
生半可な宗教をかじっている人もこれと同様。。
人間は、何かを見て、何かを感じている限り、
それに対して、「想い」を発している。
ひとの幸運を本音の部分で嫉妬したり、妬んだりすることも
祈りなのだ。
ならば、幸福になる祈りとは?
「 喜ぶ 」ということ、
「喜ぶ」とは言葉を変えれば、
感謝の念
感謝の念とは?
「 ありがとう 」 という想い。
自分の潜在意識は「 ありがとう 」という念を発したら、
その言葉を、そのまま無条件に受け取る。
とにかく、バカになってすべての物に、人に、事に、
「 ありがとう 」と念じれば、
潜在意識はその言葉を無条件に受け取る。
( 水に向かって‘ ありがとう‘
語りかけると、水の性質に科学的変化
が起きるといった類のインチキ科学とは別問題、
あれは、単なるマヤカシです。‘ガマの油売り‘
と同列です )
人間誰しも、膨大な量のマイナス感情(エネルギー)
を潜在意識に蓄積している。
その一つ一つを草むしりをするように
抜き取ろうと思っても不可能である。
これを打ち消す万能のエネルギーは
「 怨まない心 」
お釈迦様はいった・・・
「 怨み心をもって、怨み心を打ち消す事はできない。」
・ ( 法句経の一節 )
何が言いたい?
「 怨んでいる心は、怨んでいる 」
ということ?
当たり前じゃないか!!!
と思えてしまうような言葉ですが、
怨み心を打ち消す為には、
「 怨んでいない心 」 を持ってくる以外
方法はないということが仰りたかったのです。
これ即ち、
喜ぶ心
感謝する心
「怨んでいない心」 を発するとき、
自分にとって最も適切な思考が現われる。
この思考が、自分の行動に対して、
「 最も適切な判断 」 を実行させる。
「 最も適切な人・モノ・事 を引き寄せる 」
最も適切な判断が、最善の未来を築く。