8月は広島、長崎への原爆投下と共に忘れられないのが、12日の日航機事故。
520人の犠牲者を出した群馬県上野村御巣鷹山は観光地でもない。
事故発生は1985年、今から22年前となる。
昭和から平成に年号が変わったため、西暦のほうが計算しやすい。
私が会長を務める群馬県教育ギター・マンドリン連盟では事故から5年後の1990年に慰霊のための演奏を頼まれて、関係者がチャーターしたバスで式典会場へ向かった。
会場には4t車クラスの各テレビ局の中継車がズラリと並び、新聞各社も駆けつけ関心の高さが伺えた。
浜辺の歌、峠の我が家、悲しき天使、荒城の月など6曲を奉納。
当連盟のメンバーも歯科関係に携わる女性がおり、嗚咽(おえつ)が漏れるなかでの遺体確認作業は想像を絶するとのコメントが掲載された。
慰霊祭や式典は事故現場ではなく、御巣鷹山の尾根に建てられた慰霊の園で行われ、ここまではバスや自家用車で行く事ができる。
真夏の太陽が照りつける中での演奏はテントが張ってあるとは言え汗ダク、慰霊塔の前で関係者が写真を撮ってくれた。
事故現場が群馬県でもあり、心からご冥福をお祈りいたします。
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