今年のノーベル賞の文学賞と平和賞が発表された。
特に、文学賞については、これまで受賞することが国としての悲願であったあの国の女性作家が選ばれた、ということで、たぶんあの国では大騒ぎだろうと思う。
この二つは、他の賞と比べてもちょっと異質で、誤解を恐れずに言えば「明確な功績によって選ばれるものではない」ということだろうか。
ただ、意外にも二つともノーベル自身の遺言によって創設されたもので、ノーベルの遺言にないのは経済学賞だけらしい。
その異質な分野であるうちの、まずは文学賞。
そもそも文学をどう評価しているのかがよくわからない。
日本文学と欧米文学とは明らかに違うだろうし、他の分野みたいに英語に翻訳したのでは、日本文学独特の韻であるとか、俳句・短歌のような短い言葉をつなげただけで情景や季節を想起させるという手法を、欧米の人たちがきちんと理解できるとも思えない。
だから、過去に受賞した日本人作家たちも、おそらく日本語に堪能な人が強烈に推薦した結果なのではなかろうか、と勝手に推測しているが、表現の方法なんて国によって全然違うのだから、この中から一人だけ選ぶというのは、相当無理があると思う。
余談だけど、日本では毎年この時期になると、インフルエンザに罹ったみたいに熱にうなされた人たちが湧いて出てくる。
村上春樹を強烈に信奉している「ハルキスト」と呼ばれる気持ちの悪い人たちであるが、候補者として名前が挙がるわけでもないのに、毎年みんな揃ってお祈りをしている姿は、まさに宗教以外の何ものでもない。
だいたい、本人が「いい迷惑だ」と言っているのだから、やめてあげればいいのに。
さて、次は平和賞。
こちらなどは、明らかに政治的な背景によって選ばれる傾向が強くて、時に「何でこの人が?」という人たちが選ばれている。
戦争の当事者なのに、その戦争が終わったというだけで受賞した例もあるし、パレスチナのアラファト議長とイスラエルのラビン・ペレスなんて、一時休戦はあるもののまったく紛争自体が終わっていないのに受賞している。
金大中なんて、いったい何をした?
南北首脳会議を開いただけだろ?
あの半島って、いまだに何の進展もしていないじゃん。
オバマに至っては「核軍縮をしよう」という演説をしただけ。
自国の核に対して何のアクションも起こしていないだから、当時は「よく言うよ」としか思わなかった。
そして、今回は日本の「日本原水爆被害者団体協議会」という組織が受賞した。
受賞理由は「核兵器のない世界を実現するための努力と、目撃証言を通じて核兵器が二度と使用されてはならないことを実証したことに対して」だそうだ。
「何じゃ、それは」としか思わない。
特に「目撃証言を通じて核兵器が二度と使用されてはならないことを実証した」って、どういう意味?
広島と長崎で被爆した人たちのことを言っているのか?
だとしたら、何で今さら?
別に活動目的自体に文句を言うつもりはない。
だけど、この手の組織って、支援する政党によって主張が異なり、これまでにも結構離合集散している。
あまりまとまりのない組織だという認識しかない。
それに、世界的に見て「核の廃絶」とか「核軍縮」なんてまったく進んでいないし、逆に核を持っていないがためにロシアによる侵略を受けているウクライナのような例だってある。
いずれにしても、この二つのノーベル賞は、どうにも胡散臭さしか感じない。
特に、文学賞については、これまで受賞することが国としての悲願であったあの国の女性作家が選ばれた、ということで、たぶんあの国では大騒ぎだろうと思う。
この二つは、他の賞と比べてもちょっと異質で、誤解を恐れずに言えば「明確な功績によって選ばれるものではない」ということだろうか。
ただ、意外にも二つともノーベル自身の遺言によって創設されたもので、ノーベルの遺言にないのは経済学賞だけらしい。
その異質な分野であるうちの、まずは文学賞。
そもそも文学をどう評価しているのかがよくわからない。
日本文学と欧米文学とは明らかに違うだろうし、他の分野みたいに英語に翻訳したのでは、日本文学独特の韻であるとか、俳句・短歌のような短い言葉をつなげただけで情景や季節を想起させるという手法を、欧米の人たちがきちんと理解できるとも思えない。
だから、過去に受賞した日本人作家たちも、おそらく日本語に堪能な人が強烈に推薦した結果なのではなかろうか、と勝手に推測しているが、表現の方法なんて国によって全然違うのだから、この中から一人だけ選ぶというのは、相当無理があると思う。
余談だけど、日本では毎年この時期になると、インフルエンザに罹ったみたいに熱にうなされた人たちが湧いて出てくる。
村上春樹を強烈に信奉している「ハルキスト」と呼ばれる気持ちの悪い人たちであるが、候補者として名前が挙がるわけでもないのに、毎年みんな揃ってお祈りをしている姿は、まさに宗教以外の何ものでもない。
だいたい、本人が「いい迷惑だ」と言っているのだから、やめてあげればいいのに。
さて、次は平和賞。
こちらなどは、明らかに政治的な背景によって選ばれる傾向が強くて、時に「何でこの人が?」という人たちが選ばれている。
戦争の当事者なのに、その戦争が終わったというだけで受賞した例もあるし、パレスチナのアラファト議長とイスラエルのラビン・ペレスなんて、一時休戦はあるもののまったく紛争自体が終わっていないのに受賞している。
金大中なんて、いったい何をした?
南北首脳会議を開いただけだろ?
あの半島って、いまだに何の進展もしていないじゃん。
オバマに至っては「核軍縮をしよう」という演説をしただけ。
自国の核に対して何のアクションも起こしていないだから、当時は「よく言うよ」としか思わなかった。
そして、今回は日本の「日本原水爆被害者団体協議会」という組織が受賞した。
受賞理由は「核兵器のない世界を実現するための努力と、目撃証言を通じて核兵器が二度と使用されてはならないことを実証したことに対して」だそうだ。
「何じゃ、それは」としか思わない。
特に「目撃証言を通じて核兵器が二度と使用されてはならないことを実証した」って、どういう意味?
広島と長崎で被爆した人たちのことを言っているのか?
だとしたら、何で今さら?
別に活動目的自体に文句を言うつもりはない。
だけど、この手の組織って、支援する政党によって主張が異なり、これまでにも結構離合集散している。
あまりまとまりのない組織だという認識しかない。
それに、世界的に見て「核の廃絶」とか「核軍縮」なんてまったく進んでいないし、逆に核を持っていないがためにロシアによる侵略を受けているウクライナのような例だってある。
いずれにしても、この二つのノーベル賞は、どうにも胡散臭さしか感じない。
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