昨日、会社から帰りの電車での出来事。
おそらく海外へ旅行に行くつもりなのか、大きな荷物を持った女性二人が、向かい合わせの4人席を独占していた。
もちろん、棚の上に荷物をあげてはいない。
とは言え、席の上に荷物を置いているのではなく、席と席の間の隙間に荷物を置いていたので、席は空いているのに、そこへ入ることができない、という結構はた迷惑な状況だった。
帰宅時でもあり、当然のことながら電車内は空いていたわけではない。
というか、最初はそこそこ空いていたのだが、次第に人が乗ってくるようになった。
にもかかわらず、女性たちは荷物をどかそうともせず、そのまま座っていた。
そういう「人のことなどまったく考えない」輩というものは、どこにでもいるものだが、私が気になったのは、それを見ていながら、誰も何も言わないこと。
私は、すでに別の席を確保していたので、見ていただけだけど、もし私が後から乗ってきて、そういう状況を見たら、即座に「その荷物、どけてくれる?」と言って、荷物を棚の上にあげさせる。
だけど、乗ってきた人たちは、「おっ、空いているのか?」と寄ってはくるのだが、状況をちらっと確認すると、何も言わずにその場を去ってしまう。
途中で、ようやくおじいさん(?)二人が、乗ってくるなり女性たちに「荷物、どうして棚の上にあげないの?」と言って、荷物をどかせていた。
女性たちは「重たいから・・・」とか何とか言い訳をして、棚の上にはあげずに、自分の足元に置いて、窮屈そうに身体を縮めて座ったのだが、しばらくしておじいさんたちが電車を降りると、再び前の状態に戻していた。
それからも、結局私が降りるまで、その状況は変わらず。
後から乗ってくる人たちは、彼女たちを見ても何にも言わなければ、何にもしない。
こういう場合、「荷物を棚の上にあげろ」あるいは「荷物を座席の脇に移動させろ」というのは「言うべきこと」だと思う。
「それを言うと、角が立つ」などという状況ではない。
人に迷惑をかけているにもかかわらず、本人たちは知らん顔をしているわけだから、本来であれば「人の迷惑を考えんかい!」と怒って当たり前。
私なら、たとえ彼女たちが寝ていたとしても、起こしてから荷物をどかせる。
何も言わない人たちは「まあ、私が我慢すればいいことだ」と思っているのだろうか。
まるで、日本の特亜への対応を見るようだった。
「言いたいことを我慢する」のはまだいい。
それが単なる要求や希望であれば。
だけど、「言うべきこと」を言わないと、相手には何も通じない。
今回の彼女たちは、悪い人たちには見えなかった。
たぶん、たまたま荷物が大きかった上に、棚の上にあげられないほど重かったのだろう。
実際、おじいさんたちに「荷物をどかせてくれ」と言われた時は、イヤな顔もしないで、窮屈そうに座り直していた。
だけど、人に迷惑をかけていることには変わりない。
でも、問題は、それを見ながら、多くの人たちは何も言わなかったこと。
もし、相手が特亜の人間たちであれば、もともと「他人のこと」などまったく考えもしないのだから、放っておいたら、やりたい放題のまま。
「お前ら、おかしいだろ」と言ってやらないと、彼らは態度を変えない。
言っても言い返してきたり、言い訳したりするようなヤツらなんだから、言わないとさらにダメだろう。
「言わなければわからない」人には、繰り返し言わなければいけないし、「ホントはダメだとわかっているのだけど、誰も何も言わないから、まあいいやと思っている」としたら、なおのこと言ってやらないといけない。
「言わなくてもわかってくれる」などということは、通常ありえない。
それでイヤな思いをするのが相手ではなく、自分たちの方だとしたら、なおのこと言わなければ、事態は良くならない。
先日の、車を暴走させて警察官に射殺された犯罪者の場合も同じ。
あそこで撃たなければ、ヤツらは、いったい何台の車を破壊し、場合によっては何人の人たちを傷つけただろうか。
しかも、「止まれ!」と言って止まらなかったのだから、後やるべきことは一つしかない。
無理やり止めさせること。
そのために撃った。
これの、いったいどこが問題なのか。
「死んだ」のは結果であって、そもそも「殺されても仕方がない」ことをしたのは、暴走させたキチ○イどもの方だ。
日本国民の命を守るためなら、「やるべきこと」をやらないとダメだと思う。
これは、教育にも通じることだと思う。
「何もわからない」子供たちに、「さあ、皆さんの判断に任せます」と自由にさせたところで、「やりたくないから・面倒くさいから、何もしない」か、「ダメなことだとわかっていても、やりたいからやる」か、いずれにしてもロクな結果にはならないのは目に見えている。
でなければ、「起立」とか「歌を歌え」とか言われて、その通りにするわけないだろう。
学校では好き勝手し放題だったとしても、社会に出れば、そこらじゅうルールだらけ。
問答無用だ。
「何で?」とか「どうして?」とか言っていられないことも多い。
そうなった時に、困るのは本人だ。
そんなこともわからない今の教育者たちは、いったいどんな人間を育てようとしているのだろうか。
はた迷惑なお姉ちゃんたちの行動で、こんなことまで考えてしまった。
おそらく海外へ旅行に行くつもりなのか、大きな荷物を持った女性二人が、向かい合わせの4人席を独占していた。
もちろん、棚の上に荷物をあげてはいない。
とは言え、席の上に荷物を置いているのではなく、席と席の間の隙間に荷物を置いていたので、席は空いているのに、そこへ入ることができない、という結構はた迷惑な状況だった。
帰宅時でもあり、当然のことながら電車内は空いていたわけではない。
というか、最初はそこそこ空いていたのだが、次第に人が乗ってくるようになった。
にもかかわらず、女性たちは荷物をどかそうともせず、そのまま座っていた。
そういう「人のことなどまったく考えない」輩というものは、どこにでもいるものだが、私が気になったのは、それを見ていながら、誰も何も言わないこと。
私は、すでに別の席を確保していたので、見ていただけだけど、もし私が後から乗ってきて、そういう状況を見たら、即座に「その荷物、どけてくれる?」と言って、荷物を棚の上にあげさせる。
だけど、乗ってきた人たちは、「おっ、空いているのか?」と寄ってはくるのだが、状況をちらっと確認すると、何も言わずにその場を去ってしまう。
途中で、ようやくおじいさん(?)二人が、乗ってくるなり女性たちに「荷物、どうして棚の上にあげないの?」と言って、荷物をどかせていた。
女性たちは「重たいから・・・」とか何とか言い訳をして、棚の上にはあげずに、自分の足元に置いて、窮屈そうに身体を縮めて座ったのだが、しばらくしておじいさんたちが電車を降りると、再び前の状態に戻していた。
それからも、結局私が降りるまで、その状況は変わらず。
後から乗ってくる人たちは、彼女たちを見ても何にも言わなければ、何にもしない。
こういう場合、「荷物を棚の上にあげろ」あるいは「荷物を座席の脇に移動させろ」というのは「言うべきこと」だと思う。
「それを言うと、角が立つ」などという状況ではない。
人に迷惑をかけているにもかかわらず、本人たちは知らん顔をしているわけだから、本来であれば「人の迷惑を考えんかい!」と怒って当たり前。
私なら、たとえ彼女たちが寝ていたとしても、起こしてから荷物をどかせる。
何も言わない人たちは「まあ、私が我慢すればいいことだ」と思っているのだろうか。
まるで、日本の特亜への対応を見るようだった。
「言いたいことを我慢する」のはまだいい。
それが単なる要求や希望であれば。
だけど、「言うべきこと」を言わないと、相手には何も通じない。
今回の彼女たちは、悪い人たちには見えなかった。
たぶん、たまたま荷物が大きかった上に、棚の上にあげられないほど重かったのだろう。
実際、おじいさんたちに「荷物をどかせてくれ」と言われた時は、イヤな顔もしないで、窮屈そうに座り直していた。
だけど、人に迷惑をかけていることには変わりない。
でも、問題は、それを見ながら、多くの人たちは何も言わなかったこと。
もし、相手が特亜の人間たちであれば、もともと「他人のこと」などまったく考えもしないのだから、放っておいたら、やりたい放題のまま。
「お前ら、おかしいだろ」と言ってやらないと、彼らは態度を変えない。
言っても言い返してきたり、言い訳したりするようなヤツらなんだから、言わないとさらにダメだろう。
「言わなければわからない」人には、繰り返し言わなければいけないし、「ホントはダメだとわかっているのだけど、誰も何も言わないから、まあいいやと思っている」としたら、なおのこと言ってやらないといけない。
「言わなくてもわかってくれる」などということは、通常ありえない。
それでイヤな思いをするのが相手ではなく、自分たちの方だとしたら、なおのこと言わなければ、事態は良くならない。
先日の、車を暴走させて警察官に射殺された犯罪者の場合も同じ。
あそこで撃たなければ、ヤツらは、いったい何台の車を破壊し、場合によっては何人の人たちを傷つけただろうか。
しかも、「止まれ!」と言って止まらなかったのだから、後やるべきことは一つしかない。
無理やり止めさせること。
そのために撃った。
これの、いったいどこが問題なのか。
「死んだ」のは結果であって、そもそも「殺されても仕方がない」ことをしたのは、暴走させたキチ○イどもの方だ。
日本国民の命を守るためなら、「やるべきこと」をやらないとダメだと思う。
これは、教育にも通じることだと思う。
「何もわからない」子供たちに、「さあ、皆さんの判断に任せます」と自由にさせたところで、「やりたくないから・面倒くさいから、何もしない」か、「ダメなことだとわかっていても、やりたいからやる」か、いずれにしてもロクな結果にはならないのは目に見えている。
でなければ、「起立」とか「歌を歌え」とか言われて、その通りにするわけないだろう。
学校では好き勝手し放題だったとしても、社会に出れば、そこらじゅうルールだらけ。
問答無用だ。
「何で?」とか「どうして?」とか言っていられないことも多い。
そうなった時に、困るのは本人だ。
そんなこともわからない今の教育者たちは、いったいどんな人間を育てようとしているのだろうか。
はた迷惑なお姉ちゃんたちの行動で、こんなことまで考えてしまった。
この警察官とマスコミの報道を観て、クルーザー乗っ取り犯を狙撃した出来事を思い出しました。
確か、当時は狙撃を行った警察官が猛烈なバッシングを受け、事件直後警察を辞めてしまったという。
人質が猟銃で殺されるかもしれない状況下で素早い判断を求められ、結果人質は無事だったのにも関わらず「正義」を叩く風潮たるや今も昔も代わらないということですね。
「乗っ取り犯狙撃」とは、その昔広島で発生した「シージャック事件」ですね。
こういう正義の警察官を糾弾するヤツらって、結局国や体制側に反対することが、すべての「目的」であり、そのためには、殺されたのがどんな凶悪犯であっても、関係ないんでしょう。
もちろん、自分たちには被害が及ばないこともまた「大前提」でしょうけどね。