相変わらず懲りもせずに「捏造記事」を配信し続ける朝日新聞。
今度は、「差別」を助長すべくいいかげんな記事を書いたらしい。
http://www.asahi.com/articles/ASHDJ6WFHHDJOIPE039.html
記事の内容は、要約すると以下の通り。
○名古屋市で居酒屋を経営する山本義治というおっさんが、生まれ育った地域で親しんできた料理を店で出したら、とたんに離れた客がいた。差別ニダ!
まず、「料理って、何だ?」というのが、大半の人が思うことだと思う。
地域独特の料理なら、いろいろあるだろうけど、たとえ「料理」なるものがあったとしても、それを見たお客さんが「あっ、これ料理だ」と思うことなんてあるんだろうか。
そもそも、地名を聞いて「あっ、それってじゃん」とか思う人間が、今時どれほどいるというのだろう。
しかも、「とたんに離れた客がいた」ということだから、もしかして相当マズい料理を出したんじゃないの?とも思うわけだ。
でも、いくらマズい料理だったとしても、それ以外の料理がそうでなかったとしたら、わざわざ店を遠ざける必要もない。
その料理を頼まなければいいだけだから。
少なくとも、記事にはそのあたりのことには触れていない。
だから、最初は「この記事を書いた小若理恵とかいう記者は、まったくの作り話を記事にしたのか?」と思っていた。
で、いろいろと調べてみたら、ようやくわかった。
以下ソース
http://birthofblues.livedoor.biz/archives/51616785.html#more
何のことはない、店がそのものズバリ「料理」と書いたメニューを堂々と掲げていたわけだ。
あまり馴染のない料理とは言え、わざわざ「料理」と書いてあれば、普通のお客さんなら、「何かヤバくない?」と思って当然だ。
しかも、調べてみると、この山本義治というおっさん、その筋の人らしい。
となると、頼まれもしないのに、いちいちそのあたりを説明して、お客さんをドン引きさせている可能性も十分考えられる。
つまり、わざとお客さんを挑発しておいて、それで「この店はヤバいぞ」と思って、店を遠ざけるようになれば、それをもって「差別だ!」と言っているのに違いない。
差別は、今や風前の灯だと思う。
特に、今の若い人なんて「?何それ」という感じだと思う。
その若い人が都会の人だとしたら、逆に「オレもそういうところに住んでみたいなあ」くらいの感想しか持たないのではなかろうか。
後は自然消滅を待つだけだと思う。
でも、世の中にはそれでは困る人たちがいるわけだ。
それは、差別されている人たちではなく、それで食べている人。
そういう連中にとって、差別は「なくすべきもの」でなく、ゼッタイに世の中から「なくなってはいけないもの」なんだと思う。
差別を理由に弱者を装い、逆に強者になろうとする。
それを陰で支援している、というか煽っているのが朝日新聞、というわけだ。
ただ・・・
差別そのものは、いまだに存在する。
その対象が「」ではなくなってきているだけ。
基本にあると思われる「穢れ思想」の対象として、以前は皮革業者などが差別の対象にされていたものが、今は同じような考え方で「自衛隊」などに向けられている。
腹立たしいのは、一方で差別を糾弾している連中が、別のところで率先して差別をしている、というところだ。
朝日新聞などの報道を見ていると、そのダブルスタンダードぶりがよくわかる。
どちらにしても、「差別」でメシを食っている薄汚い連中というわけだ。
今度は、「差別」を助長すべくいいかげんな記事を書いたらしい。
http://www.asahi.com/articles/ASHDJ6WFHHDJOIPE039.html
記事の内容は、要約すると以下の通り。
○名古屋市で居酒屋を経営する山本義治というおっさんが、生まれ育った地域で親しんできた料理を店で出したら、とたんに離れた客がいた。差別ニダ!
まず、「料理って、何だ?」というのが、大半の人が思うことだと思う。
地域独特の料理なら、いろいろあるだろうけど、たとえ「料理」なるものがあったとしても、それを見たお客さんが「あっ、これ料理だ」と思うことなんてあるんだろうか。
そもそも、地名を聞いて「あっ、それってじゃん」とか思う人間が、今時どれほどいるというのだろう。
しかも、「とたんに離れた客がいた」ということだから、もしかして相当マズい料理を出したんじゃないの?とも思うわけだ。
でも、いくらマズい料理だったとしても、それ以外の料理がそうでなかったとしたら、わざわざ店を遠ざける必要もない。
その料理を頼まなければいいだけだから。
少なくとも、記事にはそのあたりのことには触れていない。
だから、最初は「この記事を書いた小若理恵とかいう記者は、まったくの作り話を記事にしたのか?」と思っていた。
で、いろいろと調べてみたら、ようやくわかった。
以下ソース
http://birthofblues.livedoor.biz/archives/51616785.html#more
何のことはない、店がそのものズバリ「料理」と書いたメニューを堂々と掲げていたわけだ。
あまり馴染のない料理とは言え、わざわざ「料理」と書いてあれば、普通のお客さんなら、「何かヤバくない?」と思って当然だ。
しかも、調べてみると、この山本義治というおっさん、その筋の人らしい。
となると、頼まれもしないのに、いちいちそのあたりを説明して、お客さんをドン引きさせている可能性も十分考えられる。
つまり、わざとお客さんを挑発しておいて、それで「この店はヤバいぞ」と思って、店を遠ざけるようになれば、それをもって「差別だ!」と言っているのに違いない。
差別は、今や風前の灯だと思う。
特に、今の若い人なんて「?何それ」という感じだと思う。
その若い人が都会の人だとしたら、逆に「オレもそういうところに住んでみたいなあ」くらいの感想しか持たないのではなかろうか。
後は自然消滅を待つだけだと思う。
でも、世の中にはそれでは困る人たちがいるわけだ。
それは、差別されている人たちではなく、それで食べている人。
そういう連中にとって、差別は「なくすべきもの」でなく、ゼッタイに世の中から「なくなってはいけないもの」なんだと思う。
差別を理由に弱者を装い、逆に強者になろうとする。
それを陰で支援している、というか煽っているのが朝日新聞、というわけだ。
ただ・・・
差別そのものは、いまだに存在する。
その対象が「」ではなくなってきているだけ。
基本にあると思われる「穢れ思想」の対象として、以前は皮革業者などが差別の対象にされていたものが、今は同じような考え方で「自衛隊」などに向けられている。
腹立たしいのは、一方で差別を糾弾している連中が、別のところで率先して差別をしている、というところだ。
朝日新聞などの報道を見ていると、そのダブルスタンダードぶりがよくわかる。
どちらにしても、「差別」でメシを食っている薄汚い連中というわけだ。
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