老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

      沈思黙考

2018-07-05 10:21:09 | 俳句


           

 お裁縫をしていると、俳句の事など忘れている。
昨日は、まず針山を作った。
ミシンの前に置いて邪魔にならないように小さいのを作る。
プロではないから、腕時計のように針山を手首に巻いているようなのは必要はなく、今までの針山は大きくて邪魔になるから、まち針のみが射せればいいようにごく小さいのを作る。

 箪笥から、季節の終わりにセールの時買っておいてそのままになっていたパンツが何本も見つかった。
後期高齢者の仲間入りも、もうすぐであるから流行には関係なく、素材の良い物を手に入れていて、たとえ三年前のパンツでも恥ずかしげなくはける代物ばかりだ。
デパートで合わせてもらっている印どおりに、パンツの裾をあげればよい。
それでも昨日、一昨日と二日もかかった。


    

 雨蛙が鳴いている。
テレビでは颱風の進路と、土砂崩れのニュースが流れている。

お裁縫をして、俳句を作りなんと極楽トンボの私?いやいや夫のことも心配しながら、後期の高齢をいかに生き抜くかも重大な悩みである。

 ブログなぞを書いている場合か俳句なぞ作っている場合かとと、ミシンを踏みながら沈思黙考をしてたのがほんとうのところ。

 ヘッセの詩のフレーズが浮かぶ

 <セーヌは流れるが果てはない  なんと今週のながいことよ>



 
       🍒     亡き母の佇む鏡梅雨深し 

       🍒     美しく拭ひて網戸に風を呼ぶ 

       🍒     根方青く染め青柿の落ちてあり

       🍒     葭簾野良猫郎党引き連れ来 
コメント
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