老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

   管制塔

2019-11-28 20:57:00 | 俳句

  

 

昨日訪れた農業試験場と隣り合わせに、飛行場がある。

紅葉づる丘の上に管制塔が見える。

 

     

 

何と言う名前か知らぬ。電波をキャッチする団扇のような機会がくるくると回っている。ありふれた見慣れた飛行場の風景。

高台にある滑走路になくてはならぬ機器が農業試験場を出ると、すぐ傍に。

時々、飛行機の発着をする音が爆音を立てる。

旅ごころをかき立てられる。

この飛行場を最後に利用したのは、もう十年も昔の事。

沖縄へ行ったのが最後で、飛行機を利用する旅とは、ずいぶんと縁の無い日常になった。

 

 

 

沖縄へは三度行った。

初めては沖縄海洋博の前。沖縄では海洋博の工事が着々と進められていた。

空港を出て那覇市内へ行くバスから見た防空壕の跡。そこかしこにあった。戦争の傷跡を垣間見た。

車は右側通行だった。

ブーゲンビリアの花を見たのも、ハイビスカスを見たのも、五十年近昔のこの時が初めてだった。

 

    

 

記憶は遠く、防空壕を見たショックが大きかった。

その前に、函館を旅し、函館山にあった防空壕がバスガイドによって説明されていたのだ。北の国では一基の防空壕が観光案内され、沖縄では、そこらにごろごろしている現実に驚きがかくせなかったことが印象に残ったのであった。

 

二度目はそれから数十年をして行った。

最初の時に比べ万座毛がきれいに整備されていたことかな。前は絶壁の海を眼下に覗けた。砕け散る波が柵が無くて恐いと感じた。ここから、何人もの方が海に跳んだ。哀しいことだ。

はぶとマングースの戦いが以前は観光の目玉だったけれど、、、、

二月の今帰仁城で紅寒桜に目を奪われたはこの時か。。。

 

    

 

三度目が数十年前。

その時は首里城が建立され、お城の中を見学もした。以前の二度の旅行は守礼の門しかなかった。沖縄の美しい衣装を着た案内の人と記念写真を撮るのが定番だった。

その、美しい首里城が火災にあうととは。

かえすがえす残念でならぬ。

 

11月2日。師をかこみKOSIの吟行句会が沖縄であった。

その中の句から。行くのは前から決まっていた事。火災の後の那覇での吟行句会。良い句が。こんな句を詠める人達の爪の、、煎じて飲まな~。

 

     ❀     長き夜の古酒は孤独深めつつ    桃潤

     🌸     雁の空を焦がして城燃ゆる    光江

     ❀     あかあかと秋のおはりの仏桑花    真知子

     ❀     藍を着てしずかに秋を思ひけり    一郎

     🌸     無念なる骨の眠れる花野かな     酸模

 

沖縄では「紅葉狩」は、、、、

季語の感覚もずいぶんと違うのだろうな~。

 

       🍎     草紅葉波だて飛行機飛びたちぬ

       🍎     黄の人参露地の朝市抜ける風

 

とりとめのない、脈絡の無いブログだこと。沖縄を真剣に語るには、ブログでは無理でしょう。

コメント
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