子供図書館の庭、プランターに咲かせていた綿の花。
二株か三株撒いたであろう種が上手に手入れをされて咲いていた。
綿の花の季語は夏。
毎日、秋とは言え残暑が厳しい日が続いた。
綿畑は想像をするのみ。
正確に綿の産地はどこかと聞かれても答えることはできない。
イメージが湧くのはいつもフォスターの唄。
クンタッキーの我が家とか、スワニー河が口をついて出る。
歳時記で見つけた句。
@ 棉の実をつみゐてうたうこともなし 加藤楸邨
アメリカの広い大地の労働者を想像する力強いののイメージとは違う。
@ 棉の花白し夕立の峯一つ 山口青邨
どちらも暗い感がいなめない。
そして今。
「綿吹く」、、の季語も。今はこの季語を詠む時季だ。
歳時記より
@ 洪水のあとに取るべき綿もなし 正岡子規
@ 旅にして棉笑む風の北よりす 臼田亜郎
過去の俳人の句の棉のイメージを押して図ればおのずと解かる、、、
図書館が10日あまり休んでいた。棚卸しと夏休み。
「ここが休館だと淋しい、、、」
と馴染みの司書さんと。
👩 子供館綿吹かれゐるプランター
👨 綿吹くや流れてきたる鎮魂歌