Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

緊急手術

2008-03-17 | 医療・病気・いのち
先日の日直の際
朝病棟に行くと
深夜に入院となった腹痛の患者さんがいた

手術が必要か否か判断してくれとのこと
お腹を触った時点で
頭の中では 要手術ランプ点灯

経過や検査データを見て 
手術決定
直ちに 麻酔科の先生の自宅に連絡
    手術部呼び出し対応看護師を呼び
    親に手術の必要性を説明し
    手術
術前予想通り
急性虫垂炎から虫垂穿孔を引き起こし腹膜炎の状態

ここで思ったこと

1:外科日直の私が手術をしているのだから、救急車を含め外科患者の対応はストップした。手術の間に、救急車搬送依頼2件、受診希望電話3件、外来飛び込み2件。これをメディアの人間が見たら、たらい回しと言われるんだろうなぁ。

2:当院に来られるまでに、急患センターと他の救急病院を受診していたにもかかわらず、当院で手術決定がなされた時点では、虫垂穿孔まで起こしていた。親は前医への不信感を持つだろうなぁ。確かに私が見た時点では、見た瞬間に手術適応。しかし、前医での診察時にそこまで進行していたかどうか分からず、症状も典型的で無かったのかもしれない。その辺のところ、理解し納得できるかなぁ。

 まさに、現在の医療問題ですね。

何かお手伝いできるといいけど

2008-03-16 | 想い・雑感


身近な人の死と
しっかり出会わなかった人は
次に身近な人の死に遭遇したときも
ただ慌てるだけで
目をそらそうとしてしまう

亡くなる前に
しっかりとお話しするが大切だと思うのだが
ただおろおろと時を過ごし
二度と会えなくなって
取り返せない時間を嘆く

以前はそのような人を見て

前もって末期であることや
急変があり得ることをお伝えしているのに…

とやや批判的に見ていた

最近は
できる範囲で
医者も何かしないといけないかな
と 思いだした

大したことはできないけれど

例えば ちょっとした体調や症状の変化が
どのような意味をもっているかを
こまめに伝えることによって
その日が近づいていることを
少しずつ実感して頂く
納得して頂く

というようなことを積み重ねると
時に 「少しずつ現実を受け入れられるようになってきました」
と言われる方もでてくる

こういうような
死と向き合う心構えというようなものは
社会が あるいは 宗教が 
そこに生きている人に自然と伝えていく
というのが当たり前の社会なのだと思うのですが
そういう機能が大きく崩れている現代日本においては
全く不十分ながら
医療者がわずかながらのお手伝いをするしかないという面はありそうです

時には 何とかしようという想いが空回りして
単に理解の邪魔になっている場合もあるかも知れませんけどね

ワカラナイ

2008-03-16 | 想い・雑感
死とは

という問いかけに対して
答えを探していく
という類の本を読むことがある

いろいろな視点からその問いに挑み
考えていく

そんな文章に触れると
なかなか考えさせられる

でも
まだ ストン と 心におさまっていない

おさまったような気がすることはあったけど
やはり ちっともわからない

死とは 自分の死とは
当然ながら 極めて 個人的なこと

様々な考え方や思想を提示されても

結局
自分自身がいなくなる
ということが 
どういうことなのか

ちっとも ワカラナイ

様々な立場と想い

2008-03-14 | 想い・雑感
朝の回診の時
付き添っている奥さんから渡されたメモ

主人はまだ家に帰ることが出来るという希望を持っています
できるならばその希望を否定するような事実は伝えて欲しくないと思っています

という内容

基本的に体に関することは
そのご本人の情報であり
本人に伝えるべきものとされています

さあ どうしたものでしょうか

あなたご自身が末期癌の立場だったら…

ご自分が家族の立場だったら…

どうでしょう
立場を変えてみると
どうして欲しいかという内容が
変わる人も多いのではないでしょうか

本当に難しい領域です

人ごとに
立場毎に
想いがかわる状況に
私たちは どう 対応すればよいのでしょうか

その時 その状況に応じて対応する

という 分かったようで 全く何も語っていない 答えしか導けないことが多いです

でも実際の現場では
そういう曖昧な言葉でしか語れない事実が
厳然として存在しているのです

クシュンときたら・・・

2008-03-14 | 医療・病気・いのち
ある朝急に鼻の粘膜が何かを察知する
うん?
と思うと
クシュン
とくしゃみが出る

花粉が飛んでいるな とわかる瞬間である

鈍感な私が これには敏感

すぐに小青竜湯という漢方薬を飲む
ここ10年くらいは
クシュンときたら小青竜湯
という対応で問題なく過ごすことができている
ありがたいことである

それでもおさまらないときに
初めて抗アレルギー剤を数回服用する
これでほぼ完璧

この方法がすべての人に勧められるわけではありませんし
漢方薬は同じ症状でも体質によって変える必要があるので
もし漢方薬を試そうと思ったときには
処方してくれる医師か
薬剤師さんに相談してみるとよいと思います

中立

2008-03-13 | 想い・雑感
中学か高校の理科の時間に
酸性 アルカリ性
という概念を習った
その両者をうまい具合に合わせると
pH7.0の中性溶液ができる
つまり中和滴定というのも習った

滴定の際に色の変化で中和完了を知らせてくれる試薬があるのを覚えていますか
中和と言いながら
試薬と呼ばれるものは
pH7より酸性側で色が変わるものと アルカリ側で色が変わるものがある
ということに納得できない思いを抱いた記憶があるが
ちょうど中性というポイントは一気に通り過ぎてしまうのだから仕方が無いのだろう

化学的に安定した試薬ですらちょうど真ん中を示せないのだから
世の中で中庸の精神なんてことを言われてもなかなか難しい
中庸であることを教えてくれる試薬
つまり判断する人間自体が安定していないのだから
中庸なんてものはふらふら動く
となると
政治的中立
などというのは言葉の上で存在するだけで
実際にはどこが中立か誰にもわからないはずである

そもそも政治は
その国や地域に住む人々のためにあるものである
中立などという空論はいらない
住民の立場に立てばよいのである

ある国会議員が
ある映画の公開前に その試写を要求したらしい
映画の内容は知らないが
試写を要求する姿勢に
今の日本の危うさを感じる

その国会議員
試写の際には「政治的中立性」に注意してごらんになったそうだが
映画を見るのに政治的中立という言葉を出した瞬間にこの議員は信用できないし
そんな観点で映画の試写を許してしまう世の中に
不安を感じる


http://www.asahi.com/national/update/0312/TKY200803120422.html

死病になる前に

2008-03-12 | 医療・病気・いのち
癌は突然死病として襲いかかってくるわけではありません
多くの場合何年もかかって
ようやく臨床的に診断できる癌に育ってくるわけです

癌種によりますが
早期の段階から進行がんになるまでにも
1~2年はかかることが多いでしょう

そこまでのどこかで
体からの信号に おや? と感じ
検査を受け 早期に見つかると
根治可能な場合が多いのです

  ◇     ◇

先日消化器内科の医師から電話があり
進行がんではあるが それほど大きくないので
手術可能だろうというS状結腸癌の患者さんがいるとの連絡を受けた
一応手術枠をとっておいたのだが
CTで多発性の肝転移を認めた
つまり肝臓のあちこちに転移を起こしており
手術不能な状態であることを意味している

この方だって
1~2年前にせめて便潜血検査を受けていれば
もっと早い時期の癌が見つかり
根治手術ができた可能性が高い

まだまだお元気な方であるだけに  残念

走っても 大丈夫?

2008-03-11 | 想い・雑感
日曜日の女子マラソンを
テレビでちらちらと見た
初マラソンという中村選手が優勝
若い力の台頭に拍手を送った

でも翌日北京五輪への代表へ中村選手が選ばれたと知り
実は複雑な気分

北京の大気汚染を気にして
オリンピック前の調整期間を
日本で行う国がある中
21歳のホープを北京で走らせても大丈夫かな
という想いからである

私の高校時代
校内マラソン大会というのがあったのを思い出した
山すそのコースだったので基本的に空気はきれいだったのだが
時折通る車の排気ガスで
一気に苦しくなることもあったけどなぁ

などと思っていると
実際に北京五輪のマラソン不参加を決めた選手もいるようだ

男子マラソンの世界記録保持者 「ハイレ・ゲブレシラシエ」選手
喘息の持病があることも関係しているらしい

北京五輪
本当に大丈夫かなぁ

http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2008/03/11/04.html


日々の決断

2008-03-10 | 想い・雑感
死はすべての人にやってくるとはいえ
個々の死に様が異なることからもわかるように
きわめて個人的なものとも言える

人は先のこと 未来のことを考えるために
自分の死についても考えてしまう
それが思索を深め 人生を厚みのあるものにするという面はあるにしろ
実際に生命として己が死ぬ瞬間は
自分では感知し得ないのだから
結局 自分の死についてはわからないまま旅立つことになる

自分のおかれている状況で
どのような選択肢があり
それをどのように判断し 決断するのがよいかを
自分で考える
自分が納得できる方向がどちらなのかを考える

そうした日々の中で 
自分で納得して決断していくという生き方が身についていれば
その日まで
それを繰り返すばかりである

自己が存在しなくなるということを
考え始めると
どうも落ち着かなくなることはあるが

今を 生きるしか ないのだと思っている 
   そう考えるしか ないのだと感じている

味覚

2008-03-09 | 想い・雑感
私たちが味という刺激を受け取るのは
舌の味蕾である
そこで受けた刺激が脳に伝えられ
辛いなぁ 甘いなぁ しょっぱいなぁ うまいなぁ
などと感じる

人と人との間でも
味覚には大きな違いがある
種が変わればその違いはもっと大きなものになるのだろう
大腸菌にとってもその体内(細胞内)に取り入れたいものとそうでないものの峻別
つまり好みがあるだろう
これを味覚と言っていいものかどうか分からないが
元をたどれば
人間の味覚だって
大腸菌の好みの延長であろう

その感覚に対してああだこうだとご大層なことのように
語るのを聴くのは趣味ではない
しかしごちゃごちゃ味付けしたものではなく
新鮮な食材を
単純な味付けで食す幸せは感じる
その単純で新鮮な食にこそ
体に 生命に 必要な食を選び取る感覚にこそ
本来の味覚の意味があるのではないだろうか

◇   ◇

ネコは甘みを感じないと聴いたことがある
でもケーキのクリームなどを指に付け差し出すと
喜んでなめる
本当に甘みが分からないのかなぁ
単に脂肪分と炭水化物を摂取したいという本能だけで
別の味覚をかんじているのかなぁ
と不思議がっているうちに
ふと思ったこと

遺伝子組み換え作物

2008-03-09 | 想い・雑感
遺伝子組み換え作物が随分増えてきているらしい
特に中国やインドなどでは
組み換え作物の作付け面積がかなり増えているという

地球上の食料事情から
より効率的に食料を収穫できるようにすることが
求められているのかも知れないが
生命の歴史で遺伝子が操作されるなどというのは
初めての出来事であり 大規模な実験でもある

今後どんなことが起こってくるのか誰にも分からない

遺伝子組み換え作物を食べると
人間の遺伝子に直接影響が出るなどという
短絡的反応にはつきあえないが
地球上の生態系になんらかの影響を及ぼす可能性はあるだろう

たとえば
病気に強い作物
これは植物の病気の原因であるウィルスや細菌に強い作物だったりするのだろうが
その細菌だって食物連鎖の中に含まれているはずである
だから連鎖に何らかの影響が出てくる可能性はある

遺伝子が組み換えられるということは
作り出すタンパクが変化するということ
その変化したタンパクが他の生命に影響なしとも言い切れない

寒冷に強い作物
野生化すれば
本来の植物生態系に影響はあるだろう

遺伝子組み換え作物の開発が
良いとか悪いとかの判断はできないけれど
人間の操作が
野に放たれることになるのだから
きっと何らかの影響は出るでしょう

その影響がどんなものになるのかに
すこし不安を感じる

それにしても
どこまでが 自然 なのでしょうね

こころのベクトル

2008-03-09 | 想い・雑感


どんな人でも弱い面をもっている
不安になったり 傷ついたり 心が折れたりする 
そこを何とか自分一人で乗り越えようとする人は
自分の心のバランスを壊さないようにしようと
あーだ こーだ と心を震わせる

そんな時
自分自身の方向へ向きそうなこころのベクトルを
ほんの少し 外に向けてみるのも良い
それが難しいのは分かるけど
ほんの少しでいいのだ

つらさをほんの少し漏らしてみる
関係ないことでも話してみる

すると何かが返ってくる
力がもらえることもある

病を得たときも
一人で抱え込まずに
不安を漏らしてみよう
思ったよりずっと支えてくれるひとが現れる

意志が強い

2008-03-08 | 想い・雑感
本日は日直
朝来るとすぐに
急患対応が待っていた

昨夜 深酒しなくて良かった~

一次会が10時半にようやく終わり
2次会のカラオケはスルーして
今日の日直に備えましょうと戦線離脱

えらい!!

でもついついお気に入りのお店のほうへ歩は進む

お店を覗くと
20ほどの座席はいっぱいのようで
やはり帰りなさいということだろうとあきらめて帰った

帰ってよかった

あれで店に入ることができて 飲んでたら
痛い頭で 日直開始となるところだった

店に入れない状況がなくても
最初から自分の意思できちっと帰れるようになるのは
いつのことだか

私にはわからない

補充は?

2008-03-08 | 想い・雑感
送別会の季節となりました
医師が転勤する話を聞くたびに
後任が来るかどうか
気になります

近隣の病院でも
医師の引き上げや
補充の無い退職などの話が増えてきており
当院でもどうなるのやら

現在
産婦人科 小児科 救急の分野で明らかになっているような
マンパワーの不足は
内科 外科 麻酔科 病理その他においても
同様な状態であり

一人の欠員が
他の医師 ひいては病院全体に
かなりの影響を及ぼすという
きわどいバランスの上にあります

今年はこれまで以上に気になります

来年はもっとひどい状態になっているのでしょうか

愚かな決定だ(決定打?)

2008-03-07 | 医療・病気・いのち
3時間待って3分診療
という言葉(標語?)が
頻繁に新聞などのメディアで出てきた時期があった
おそらく診察室にいる時間が3分くらいしかない
ということなのだろうが
病院とすれば
 受付その他の窓口業務
 検査(レントゲン技師、検査技師、他科の医師による検査など)
 リハビリ
 注射その他の処置(医師、看護師)
 薬説明や薬の準備(薬剤師)
そのたいろいろな職種が一人の患者に対して動いているわけで
現実的に3分ですべてが終わっているわけは無いのである

3と3で言葉のとおりが良かったので
ぱっと広がったのだろうが
医師以外の職種の方が よく文句を言わなかったものである
診察室以外の業務を診療に含めていないのですからね

ところがここに来て
診察室に患者が5分以上いなければ
外来管理加算をあげませんよ
という法律が通っているらしい
管理をするのは検査所見その他を総合して行っているわけであり
それに要する時間は人によって違う
それを一律5分で区切るというのは
どんな感覚をしているのだろうか

ならば10分30分と時間のかかる人に対して
さらに加算をするのが筋というものだろう

それに例えば3分診療で3時間待つということは
待っている間に医師は単純計算で60人の患者さんと相対していることになる
ならば5分かければ300分(5時間)待つことになる

これはしっかり診察してくださいねという
耳障りのよい言葉に隠して
医療費抑制を図り
現場の負担を増しているだけの
愚かな決定だと思う

さらに医療崩壊を加速させる
決定打になりかねない