世界遺産~姫路城
3連休といっても、以前のように
全部休めるわけではない。
仕事だの、塾だの、で
初日は東京で過ごす・・・が、
午後6時半 品川発の<のぞみ>に
品川ecuteで買い込んだお弁当を持参して
乗り込む。
さすがに、もう日が暮れるのが早くなって
真っ暗な中をのぞみは走り抜ける。
新大阪乗換えで、姫路に到着したのは
午後9時40分。
さすがに、駅も静まり返っている。
こんな時、今日の宿泊先である
駅直結のホテルは有難い。
ホテルニッコー姫路
明日の朝は早起きで姫路城。
夜のうちに移動しておけば
しっかり、次の日は有意義に過ごせるもんね。
ホテルの部屋からは、新幹線の駅、の眺め
翌朝、素晴らしいお天気に恵まれ
ホテルから姫路城までテクテク30分近く
歩いていく。
姫路城は長い歴史の中で
一度も戦や大きな災害に遭うことなく
奇跡的に生き残り、多くの人々の努力と熱意によって
保存・整備されてきた。
”美しく、そして、守られたお城”なのだ。
小高い丘の上に立つ城。
城のまわりのお濠や公園。
日本人の美意識がここに集約されているかのような
周囲一体の美しいこと!
ここは、1993年、法隆寺地域の仏教建造物とともに
日本で始めて、世界文化遺産に登録された。
さあ、どんなお城かお見せいたしましょう・・。
三角、四角、丸・・・と壁には
狭間があり、ここの間から敵めがけて
攻撃をするのだけれど、
そのデザインはとってもお洒落。
いの門、ろの門、はの門、にの門、ほの門・・・
幾つもの門をくぐりぬけながら
迷路みたいな石段を上がっていく。
屋根の鬼瓦や軒丸瓦には
築城した城主や修理をした城主の家紋を
彫った瓦が使われている。
”このお城は誰が住んでいたの?”
と、石段を登りながら
私は、初歩的な質問をはじめる。
息子は、
”池田輝政、その後 本多忠政 ”
と答える。
”・・・・誰、それ。”
”本多忠政の息子の正室は千姫。”
”・・・・千姫? 聞いたことある。”
”徳川家康の孫。 ”
”そうそう、そうだったよねえ”
・・・と歴史マニアの息子の解説に
やっとついていく。
それにしても、山登りのように
石段が続く。 お天気が良いので、うっすら汗も。
やっと西の丸にたどり着く。
小さなお部屋がいっぱい並んでいる廊下を歩く。
”誰のお部屋だったんだろうねえ。”
”おんな達。 奥女中とか。”
お城の説明書よりも早くに答えてくれる。
ボランティアの人が大勢城中にいて、
スリッパをきちんと揃えたり
靴を持ち運ぶためのレジ袋をきれいに揃えたり。
日本人の<清く、正しく>みたいなところが
実際に見られる。
世界遺産だけに、外国人観光客が多いのだが
ここを訪れた外国人の、日本に対する印象は
とても良いハズ。
天守閣の最上階まで
一体どれくらい、幅の狭い階段を上がっただろう。
昔の日本人は背も、足も小さかっただろうことを
いつも、この城めぐりの天守閣登りの際に思う。
着物を着て、どうやってこの急勾配の階段を
上ったり、降りたりしていたのだろう・・。
そんなことを考えながら、
やっと、天守閣の最上階(地上6階にあたる)に着く。
そこには、長壁神社があり
きちんと参拝
しばし、天守閣最上階から見渡す
姫路城下の景色を楽しむ。
<城めぐり>は、年配者の趣味のように感じるが
あまり高齢になってから、城めぐりは難しいと思う。
すごい運動量だし、階段が多いし
何しろ、昔の建物だから
当然、バリアフリーではない。
階段の段差もまちまちだし、幅も狭い。
行くなら、”今”ですよ
ともあれ、
今まで訪ねた中では、本当に一番美しく
見ごたえのある城だった。
城内には、<腹切丸>だの
”いちま~い、にま~い・・・”で
有名な<播州皿屋敷 お菊の井戸>もある。
覗いてみたけれど、
深~くて、すこし、
ぞくっとする霊気を感じないわけではなかった
城のまわりのお濠のそばに
”千姫の小径”がある。
静かな、散歩道である。
左側に、大きな鯉が泳ぐお濠、
右側に、きらきらと流れる小川。
ここには観光客もあまり来ないようで
息子と二人、まっすぐに続く道を散歩する。
・・・すると
白鷺!
まさに姫路城にいながらにして
白鷺が飛んでくるなんて・・・
遠く、青く澄み渡る秋の空。
ゆったりと、優雅に、どのお城よりも美しく。
歴史に詳しくなくても、
城めぐりに興味がなくても、
その美しさに、日本人としての誇りさえ感じられる・・・
世界文化遺産、姫路城。
3連休といっても、以前のように
全部休めるわけではない。
仕事だの、塾だの、で
初日は東京で過ごす・・・が、
午後6時半 品川発の<のぞみ>に
品川ecuteで買い込んだお弁当を持参して
乗り込む。
さすがに、もう日が暮れるのが早くなって
真っ暗な中をのぞみは走り抜ける。
新大阪乗換えで、姫路に到着したのは
午後9時40分。
さすがに、駅も静まり返っている。
こんな時、今日の宿泊先である
駅直結のホテルは有難い。
ホテルニッコー姫路
明日の朝は早起きで姫路城。
夜のうちに移動しておけば
しっかり、次の日は有意義に過ごせるもんね。
ホテルの部屋からは、新幹線の駅、の眺め
翌朝、素晴らしいお天気に恵まれ
ホテルから姫路城までテクテク30分近く
歩いていく。
姫路城は長い歴史の中で
一度も戦や大きな災害に遭うことなく
奇跡的に生き残り、多くの人々の努力と熱意によって
保存・整備されてきた。
”美しく、そして、守られたお城”なのだ。
小高い丘の上に立つ城。
城のまわりのお濠や公園。
日本人の美意識がここに集約されているかのような
周囲一体の美しいこと!
ここは、1993年、法隆寺地域の仏教建造物とともに
日本で始めて、世界文化遺産に登録された。
さあ、どんなお城かお見せいたしましょう・・。
三角、四角、丸・・・と壁には
狭間があり、ここの間から敵めがけて
攻撃をするのだけれど、
そのデザインはとってもお洒落。
いの門、ろの門、はの門、にの門、ほの門・・・
幾つもの門をくぐりぬけながら
迷路みたいな石段を上がっていく。
屋根の鬼瓦や軒丸瓦には
築城した城主や修理をした城主の家紋を
彫った瓦が使われている。
”このお城は誰が住んでいたの?”
と、石段を登りながら
私は、初歩的な質問をはじめる。
息子は、
”池田輝政、その後 本多忠政 ”
と答える。
”・・・・誰、それ。”
”本多忠政の息子の正室は千姫。”
”・・・・千姫? 聞いたことある。”
”徳川家康の孫。 ”
”そうそう、そうだったよねえ”
・・・と歴史マニアの息子の解説に
やっとついていく。
それにしても、山登りのように
石段が続く。 お天気が良いので、うっすら汗も。
やっと西の丸にたどり着く。
小さなお部屋がいっぱい並んでいる廊下を歩く。
”誰のお部屋だったんだろうねえ。”
”おんな達。 奥女中とか。”
お城の説明書よりも早くに答えてくれる。
ボランティアの人が大勢城中にいて、
スリッパをきちんと揃えたり
靴を持ち運ぶためのレジ袋をきれいに揃えたり。
日本人の<清く、正しく>みたいなところが
実際に見られる。
世界遺産だけに、外国人観光客が多いのだが
ここを訪れた外国人の、日本に対する印象は
とても良いハズ。
天守閣の最上階まで
一体どれくらい、幅の狭い階段を上がっただろう。
昔の日本人は背も、足も小さかっただろうことを
いつも、この城めぐりの天守閣登りの際に思う。
着物を着て、どうやってこの急勾配の階段を
上ったり、降りたりしていたのだろう・・。
そんなことを考えながら、
やっと、天守閣の最上階(地上6階にあたる)に着く。
そこには、長壁神社があり
きちんと参拝
しばし、天守閣最上階から見渡す
姫路城下の景色を楽しむ。
<城めぐり>は、年配者の趣味のように感じるが
あまり高齢になってから、城めぐりは難しいと思う。
すごい運動量だし、階段が多いし
何しろ、昔の建物だから
当然、バリアフリーではない。
階段の段差もまちまちだし、幅も狭い。
行くなら、”今”ですよ
ともあれ、
今まで訪ねた中では、本当に一番美しく
見ごたえのある城だった。
城内には、<腹切丸>だの
”いちま~い、にま~い・・・”で
有名な<播州皿屋敷 お菊の井戸>もある。
覗いてみたけれど、
深~くて、すこし、
ぞくっとする霊気を感じないわけではなかった
城のまわりのお濠のそばに
”千姫の小径”がある。
静かな、散歩道である。
左側に、大きな鯉が泳ぐお濠、
右側に、きらきらと流れる小川。
ここには観光客もあまり来ないようで
息子と二人、まっすぐに続く道を散歩する。
・・・すると
白鷺!
まさに姫路城にいながらにして
白鷺が飛んでくるなんて・・・
遠く、青く澄み渡る秋の空。
ゆったりと、優雅に、どのお城よりも美しく。
歴史に詳しくなくても、
城めぐりに興味がなくても、
その美しさに、日本人としての誇りさえ感じられる・・・
世界文化遺産、姫路城。