Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

秋の日には・・・

2007年10月14日 | memory
秋の日には・・・





毎朝飲んでいるミルクティーが

”美味しいなあ・・”と感じると

それは、

私にとって、”秋”を意味することに、なる。




ひんやりとした空気とミルクティーの
相性がよいのは

すこし雲の厚い
イギリスの空気を思い出すからだろうか。








もう一つ、秋にぴったりなものが、ある。


村松 健の、ピアノだ。


村松 健のピアノは、とってもシンプルなタッチで

まるで、子供が弾いているバイエルみたいなのだが

秋の静かで 透明な空気には

かえって、心地よく、キモチにぴったりとくる。

私が好んでこの時期、毎年、

聴きたくなるのは、<Calender>というアルバム。



秋の空と、ミルクティーと、村松 健のCalender・・・。


遠い記憶が、そのシンプルなメロディーにのって
蘇ってくる。










その秋は、殆ど大学へ行くこともなく
(・・・というのは卒業に必要な
単位を全て前年で終了してしまっていたから)

毎日、行くところは、神宮だった。


お昼過ぎに友達や、先輩と待ち合わせをして
神宮へ向かう。

すこーん、と晴れ渡った空が高い。

応援団の太鼓がどんどんどんっと響き渡る。

そう、6大学野球の応援だ


私達の学年は、優れた野球少年が多かったらしく

高校時代も甲子園に出場、

そして、6大学野球でも数十年ぶり、という
優勝ラインに来ていた。


私は、野球そのものはあまり興味がない。


私のお楽しみは、<応援団>だ


すんごっく、オモシロイ。

相手に点をとられると

後輩らしき応援団員はなぜか

<スミマセン>と謝って、バケツの水を自らかぶったり、

神宮の外回り一周のランニングをしたり、

腕立て伏せをしたり・・・。

別に、応援団のせいぢゃないのに・・・


エールの仕方も色々あって、

だんだん試合が盛り上がってくると

まるで、丹頂鶴の求愛のポーズみたいな

不思議な応援が出てきたり・・・。


だいたい、バブルの全盛期で男子学生の殆どが

大きなルイ・ヴィトンのバッグを肩にしょって
通学しているというのに

角切り君で、襟の高い学ランを着ているだけでも

最高に、”いい感じ”だったのだ。



応援団の傍らの、<吹奏楽部>の隊長さんが
私の、当時の憧れの人だった

体育会のトップも務めていたので
人望も厚く、とっても目立つ先輩だった。

私は、入学したてのフレッシュマン・キャンプで
先輩のグループにいたので
入学当初から、先輩のことを知っていたのだが

憧れるようになったのは、

神宮で応援団の指揮をとっているのを見てからだった。









神宮での試合が終了すると

私達は、決まったように

青山のベルコモンズへ行き、お茶をした。


当時、そこには毛糸の可愛いお店があった。


今の学生さんたちは、

好きな人にセーターやマフラーをやっぱり編むのかしら?


私達の高校・大学時代は
クリスマスやバレンタインのプレゼントは
お決まりのように<手編みもの>だったけれど・・・。


私は、大柄の先輩に似合いそうな

素朴な生成りの毛糸を沢山買いこんで

セーターを編み出した。


村松 健の、カレンダーを聞きながら。

そして、傍らに、ミルクティーを
カップにたっぷり注いだものを用意して。



ざっくりと編みあがったセーターは
先輩の最後の吹奏楽部のコンサートの日に
あげようと、用意をしていた。


コンサート会場には
吹奏楽部のメンバーに渡すために設けられた机があって

そこには、花束やプレゼントがいっぱいだった。


私は、暫く・・・

そう暫くの間、そこに立ちすくんでいた。


結局、編んだセーターを置いてくることが出来ず、

先輩宛に書いた簡単なお手紙だけを置いてきた。



先輩への想いが形になったセーターは
私にはすこし大きすぎたが

自分で着ることにした。



・・・しばらくして、先輩から
丁寧なお手紙が届いた。

男性にしては、珍しいほど
きれいな字だった。

コンサート、観に来てくれて
ありがとう。

という内容だった。

何だか、それだけで、とっても嬉しかった





秋の日の、

ミルクティーと村松 健のカレンダーは

いつもその頃の私を連れてくる。



神宮の高い空に響く応援団の音と

ベルコモンズでのたわいないおしゃべりと

渡せなかった生成りのセーター・・・。




大切な、秋の日の思い出。