有名な智恵子抄の一編。
本当に「無いねー」って思ったのが上の写真。東京じゃなくて今日の横浜。お仕事がらみで港のほうにお出かけ。
空ってのは、なんていうか、もっとで〜んと広いものですよね。
それでも桜は咲いている
…って思っていたら、
な、なんとフェイクでした
本物の桜の木に、造花の桜の花。
遠目には本物かと思ってた…
まあ、我が家も似たようなものですが(笑)
この中でリアルな植物は右の青い花器にいれてあるヤツと、左のスパティフィラム(観葉植物)だけだったり…
本物は手入れが面倒ですからね(^^;;
さて、高村光太郎氏の「智恵子抄」。
タイトルに使わせていたのは、その中でも有名な「あどけない話」の出だし。
智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいという。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
ほんとの空が見たいという。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
あどけない話とは思えない深さを感じます。もちろんそういう詩なのだけれども。
智恵子にとっての「ほんとの空」は安達太良山の上にあり、また別の人にとっての空は別の場所にあるのかもしれないですよね。もちろんどれも同じ空だと思う人もたくさんいるはず。
空だけではなく、私たちの認識というのは、心の風景と強く結びついている気がします。そして、そこには一人ひとり大きな隔たりがあったりする。
ビルの間から見上げた空は、空は空だけれど、やっぱり違うもののようで、この詩がふっと頭に浮かびました。
ほんとの空、ほんとの桜…。
それを知らずに育つ子今の子どもたち。
でも。彼らから見たら「彼らのほんとの空」を知らないのはわたしの方なのかもなぁ…。
ちなみに今日の午後はハロが出でましたよ。虹色はお天気下り坂のサインだけれど、やっぱりなんだか嬉しい気分。
空を見上げてあれこれ考えた1日。
雑談にお付き合いいただきありがとうございました(*^_^*)
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