きゃらめるぽっぷこーん

きっかけは韓国映画、今は興味の赴くままに観ます。mottoは簡潔に。radiotalkでラジオ配信始めました。

風の丘を越えて

2011年06月15日 | 韓国
風の丘を越えて ソピョンジェ(西便制)(原題:서편제)  1993年  ☆☆ヽ(*^ω^*)ノ
監督:イム・グォンテク
出演:キム・ミョンゴン、オ・ジョンヘ、キム・ギュチョル

風の丘を越えて


パンソリの唄声がしみる。。。

素晴らしい~~
実は今、訳あってうちのTVがかなり小さいんですよね
(パソコン画面並み)
大きな画面で観たかった
スクリーンで観たらいいだろうなぁ

親子三人が田舎道を「珍道アリラン」を唄いながら歩く場面
なんと明るく楽しそうな
貧しくて苦しい生活でも歌うことで幸福ということなんでしょうか

テーマはずばり「恨(ハン)」

お前の声は美しいが恨がない
西便制のパンソリの根源は恨だ
恨の声を出せるようになれ

父に目を奪われたと知ってもなお美しい声で歌うソンファだったのね

恨に埋もれず恨を越える声を出せという父
でもそのために娘の目を奪うとは凄すぎますけどね
さらにあの場面、恨を越える声のためというより、息子トンホ(キム・ギュチョル)に逃げられてさらに娘ソンファ(オ・ジョンヘ)に逃げられたくない一心のようにも見えましたけどね

弟役のキム・ギュチョルは今はあくの強い役をするけど違うイメージでビックリ

姉と弟が互いに名乗らないまま夜通し歌う場面は聴き入りました
今までと全然違うなんと艶のあるいい声
それは恨に埋もれず恨を超えた先にある世界
感動しました
トンホはもうソンファの行きついた世界を理解しすべて悟ったんでしょうね


主人公は誰かに自分の存在を知ってもらうことを望んで芸の道を歩んでいる人達ではありません。実に彼らは生と死を無限に拡張させながら、その中で多義的かつ多様な宇宙を作り出す人達なのです。彼らは世の中の秩序の中に生きながら“恨”を抱き、そして、その“恨”を受け止めながら、より大きな宇宙の秩序を作り出します。それこそが、世の中に対する憎悪から許しを学ぶ方法なのです」(イム・グォンテク)



1960年代初め。ある山間の村にドンホ(キム・ギュチョル)という男が辿り着く。そこで今時珍しいパンソリを聞かせる女性に出会う。彼はその歌声に酔いしれながら回想する。ドンホが幼い頃、彼の村にキム・ユボン(キム・ミョンゴン)というパンソリの歌い手がやって来た。ユボンはドンホの母である未亡人と恋に落ち、子をもうけようとするがお産は失敗に終わり、彼女も死んでしまう。後に残されたドンホと、以前から連れていた養女ソンファ(オ・ジョンヘ)を連れユボンは旅に出る。ユボンはドンホに太鼓を、ソンファに歌を教えながら旅芸を続ける。ソンファとドンホは鼓手と唄い手の名コンビに成長するがやがてパンソリは時代から疎外され始め、ドンホはユボンのパンソリに対する異常な情熱が理解できず次第に争うようになる。ある日、ドンホは家出し残されたソンファは絶望から一時声が出なくなる。ユボンは治療のために漢方薬を彼女に与えるが、さらにパンソリの芸を極めるために、薬を過度に与え副作用で彼女を失明させてしまう。これもユボンが芸で大切だという“恨(ハン)”の気持ちを教えようとする思いからだった。そしてついに芸をものにしたかと思えた時、父ユボンはソンファに対する罪悪感を抱きながらこの世を去る。かくして1950年代が過ぎ去った。成人したドンホは父とソンファが無性に恋しくなって2人を探し歩く。彼は文字絵のナクサンを通してひなびた旅館でソンファと再会する。彼は太鼓を叩き彼女はそれに答え歌う。互いを語り合うことなく一晩を過ごした後、2人は無言で別れる。ドンホは再び旅に出てソンファもまたしばらく住んだ旅館を出て行くのだった。


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6 コメント

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Unknown (tamapi)
2011-06-16 12:50:33
るぴなすさん☆あんにょんです。

「風の丘を越えて」観られたのですね。。
ここでまた感動して動画観てうるうるしました。

最初から最後まで「パンソリ」一色。
魂の唄と言いましょうか、、内から湧き上がる感情。。
それこそ‘恨”なのですかね。

何度聞いても鳥肌もので、
当時、ものすごく「パンソリ」に興味を持ち
チャンゴを一時期習ったのですよ~!!
もう、、ほんの一瞬なので、今は何も記憶に残っていませんが。。

「パンソリ」って、詞だけ見れば物語を唄っているようですが
人の声が入ると、ぐんと臨場感も出て、
悲しい話なのにどこか諦めにも感じる笑いも入っていて
‘恨”の奥深さを改めて感じました。
とは言いつつも私たちには難しい‘恨”。。
朝鮮半島独特のニュアンスですものね。。
イム・グォンテ監督の言葉がやはりぴったりそのまま当てはまる。。
私にも‘恨”を少~しだけ感じられた作品でした。

ちょっと外れますが、
アボジが鶏を盗んでおじさんに殴られてボロボロなのに
「今の声だ!!」って生き生き娘に語るシーン。。
可笑しさと切なさが入り混じり、思わず笑っちゃいました。あはは。

また観たくなったのでビデオを奥から引っ張り出そ~っと!!
それにしても、、るぴなすさんのレビューは完璧ですね。。
もう、、読んでいて感激しました☆
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Unknown (るぴなす)
2011-06-18 00:28:54
tamapiさん☆

この映画を観るまで「パンソリ」を知らなかったんですよ
アリランは知ってたけどパンソリだったんですね
すご~いチャンゴを習ったんですか?
、、って言いながらチャンゴという名前だってことも今知りました

ぷぷ、、鶏を盗んで殴られたときね
私も全然懲りてなくて、「今の声だ」と説くアボジには負けたと思いました
お父様の頭にはパンソリしかないんですね

tamapiさはこの映画をきっかけにして韓国映画が好きになったんですよね
それが素晴らしいです~♪
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Unknown (tamapi)
2011-06-20 11:49:09
るぴなすさん☆

るぴなすさんに「素晴らしい」だなんて言われて
ぐわ~!!と頭を抱えてしまいました~。
おはじゅかしいばかりでごじゃいます。。

チャンゴは韓国の太鼓の一つですがドンホが叩いているのは
チャンゴではありませんです。。確か「プッ」そのまま「太鼓」
といわれるものだと思いますが、、うろ覚えで間違えていたらすみません。
各土地で独特のリズムがあって同じ「アリラン」でもリズムが違って面白いです。
ここでは「チンド(珍島) アリラン」ですね。

本当にこの映画が初めてスクリーンで見た「韓国映画」でした。
「パンソリ」にも感動でしたが
「韓国映画」が面白い事に気付いちゃったんですよね~~♪

最近はこの別館を見て、映画観たい気持ちがムクムク沸いています。

ここで書く事ではないかも、、ですが
18日にアップされていた「フェスティバル」、
以前るぴなすさんの本館でレースの下着を身に着けている
ダルスさんが紹介されてましたがそれが「フェスティバル」でしょうか??
あのダルスヒョンのお姿を拝見した時から観たいな~。と思っておりました。
いつも刺激をいただいています☆
これからも楽しみにしています[絵文字:i-176]
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Unknown (るぴなす)
2011-06-20 20:50:48
tamapiさん☆

そうなんだ、ドンホが叩いてるのは太鼓なのね(笑)
合いの手の入れ方とかリズムとか日本と違って面白いなぁって思いました

「フェスティバル」は、そそっ、本館でレース姿のダルスさんをアップしたことあります
あれですよ、あれ(#^.^#)
私も観たかったんですよ~
それで字幕なしで頑張って観ちゃいました
最近はえいっ!観ちゃえっ!って感じ(笑)
日本で公開するかなぁ、、微妙かなぁ、、
せめてDVDで発売してくれたら嬉しいんですけどね~♪
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Unknown (トベニ)
2011-12-07 16:21:14
るぴなすさん あんみょん☆

「ソピョンジェ」
見てからしばらく経ちますが
ほんとうに
『韓国映画』でしたね
他の国で絶対作れない映画。

韓国に興味を持ち始めた頃に
韓国通の友人が
「恨(ハン)」を言うものについて
教えてくれたんです

それは「恨み」ではないんだと
「ああ、本当はこうだったらいいのに」
と、今ある世界とは別の状況に
心焦がれることだと教わりました

当時見ていたNHKハングル講座の
小倉紀蔵先生は
「あこがれ」に近いものだと
おっしゃっていました


分断されている家族が
こんな現実でなければいいのに
ふつうに行き来して
いつでも一緒に暮らせたらいいのに
と思う気持ちや

好きな人と一緒になれず
一緒になれたらどんなにいいだろう
でも一緒になれないんだ
と思う気持ちや

そう言う気持ちなんだとおっしゃっていました

韓(朝鮮)半島が
たどってきた歴史をふりかえると
まさしく、そういう気持ちの積み重ねであったように
感じました
何度、傷ついた翼で立ちあがりまた羽ばたいても
また、傷つく
そう言う事がたくさんたくさんあった国だったことを
改めて思ったのです。
古くから数えきれないいくつもの、辛い目に会ってきて
やっと独立できたと思ったら今度は国が分断された
今なお停戦中である半島
そこに暮らす人々の
思いの丈がこの「パンソリ」の「恨(ハン)」
のなかに詰まっているようで
心が揺さぶられます

思い通りにはいかない状況の中で
必死で力を爆発させて羽ばたこうとする
その力は もしかしたら
今の日本には無いと私が感じる韓国の「パワー」
の根源であるのかもしれません

「ハン」を積まなければ
本当のパンソリは歌えないといった
アボジの言葉
そして見事にそれを実現した子供たち
血のつながりはなくとも
本当につながった親子の姿でしたね

パンソリを歌って旅をする
芸人の生活は
「富」などとは一切関係なく
ただ人の心をわしづかみにして揺さぶる
その歌声だけを求める
その、研ぎ澄まされた探究心が
心にのこります

初めて「アリラン」をきいたとき
「誰かがわかってくれることがあるのだろうか
この私の心のうちを」と言う訳が
あまりにもせつなく 以来
「アリラン」と言う言葉の持つその響きに
惹かれています

そういえば小学校1年生の音楽の教科書に
「アリラン」が載っていて
楽譜と、片仮名の歌詞がついていました
韓半島の人々は
日本の小学生がこれを、声をそろえて歌っていること
知っているかしら

弟役の人、キム・ギュチョルさんに似てるけど
このヒト誰?って思ったら
ギュチョルさんその人でした(笑)
ガマおじさんとかチョンスの役で見ていたから
びっくりです 同じ人だったんだ~~

オ・ジョンへさんは「祝祭」とは
また全然違う感じですね
すばらしかった、ほんとうに

韓国の歌手たちの底力
本当にものすごく上手い人が沢山いること
その底辺には
遠い昔から引き継がれてきた
「パンソリ」の芸能の世界が
きっと横たわっているのではないかと感じた作品でした。
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Unknown (るぴなす)
2011-12-10 21:41:10
トベニさん☆

恨(ハン)は今ある世界とは別の状況に心焦がれること
「あこがれ」に近い、、、

すごいー、意味が深いですね
何かを願う気持ちの強さも、なにかこう
日本人よりも強いような気がするのは
そこから来ているのかもしれないですね

この映画は本当に他の国では絶対に作れない
素晴らしい「韓国映画」だと思います~☆
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