はせがわクリニック奮闘記

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SSRI

2013年04月23日 | 医学
華原朋美が最近新曲をリリースして芸能界に復帰したそうです。
小室哲哉にふられてガス中毒を起こしたのが1999年の1月でした。
5月にプロダクションを移籍して復帰しますが、マンションのロビーで倒れ(報道では貧血が原因?)再入院となります。
6月に復帰のコメント映像が流されました。
御殿場の乗馬クラブから流されたその映像を私は今でもはっきりと覚えていますが、完全に、”行ってる顔”でした。
私は精神安定剤や抗うつ剤などの中毒患者に共通して見られる独特な顔貌を、”本人の本来の精神がどこか遠くに行ってしまった”という意味で、そう呼びます。
当時の華原朋美がどんな薬を処方されていたのかは分かりませんが、1999年の5月こそ、日本でSSRI の処方がスタートした時期でした。
SSRI とは Selective Serotonin Reuptake Inhibitor の略称で、訳せば、選択的セロトニン再吸収阻害剤となります。
商品名としてはパキシル、デプロメール、ルボックス、ジェイゾロフトなどがあります。
セロトニンは脳内の大切な神経伝達物質で、毎日セロトニンを十分に分泌して生き生きとした人生を過ごしている人達の表情を、
”セロトニン顔”と呼ぶことも有ります。
SSRI は、せっかく分泌されたセロトニンがすぐに再吸収されて消えてしまうのを阻害してやれば、
結果的にセロトニンが増えたことになるはずだという理論から作られた薬です。
発売当初は、”曇り空が、サーッと晴れわたった青空に変わる。”ような薬効があるとの喧伝で、私も数例ですが処方経験があります。
ところが数年後に、様々な問題点が明るみに出てきました。
まず、少数ではありますが攻撃的になる患者が出現し始めました。
1999年にアメリカのコロンバイン高校の銃乱射事件の少年二人がSSRIを内服中であったことは当時報道されませんでした。
日本でも、レインボーブリッジの橋脚をくぐり抜けたいとの願望から旅客機をハイジャックして機長を刺殺した男がSSRIを常用していました。
他にも世界中で、SSRI 内服中の患者が攻撃的になって起こした事件が多々報告されるようになり、裁判も多発しました。

それならば、SSRI の内服を中止すればいいのではと思うでしょうが、そう簡単にはいかないのです。
SSRI の内服を中止した患者の自殺に走る確率が異常に高いからです。
さらに、SSRI の内服を続けると、薬効が次第に低下していき、5年くらいで全然効かなくなるということも分かってきました。
その時は、さらに強い SSRI にチェンジする必要に迫られます。
まさに、一旦落ちると、なかなか抜け出せない、蟻地獄のような薬です。

大学病院の廊下には各科ごとに大勢の薬品会社の担当者(MRと呼びます)がドクター達に自社の薬を宣伝すべく待機しています。
昔の話ですが、精神科の廊下だけはMRの姿も無く、ガランとしていました。
精神科の薬は、どれも薬価が低く、うまみが全く無かったからです。
ところが SSRI の登場で事態は急変しました。SSRI の薬価は高く、現在でもパキシルとジェイゾロフトは100円を超えています。
さらに各メーカーは協力し合って患者を増やすべくCMを流し始めました。
そうです、例の、”うつは早めにお医者さんへ。”というやつです。
SSRI は世界中で発売されましたが、アイスランドを筆頭に、世界中のうつ病患者は激増しました。
最近の統計ですが、SSRI の発売後6年で、その国のうつ病患者数は2倍になるのだそうです。
蟻地獄から抜け出すのは至難の技ですので、当然かも知れません。

これほど問題が多い薬ですが、マスコミからは、非難の声が全く上がりません。
理由は明白で、SSRI の製薬会社がスポンサーとして余りにもビッグ過ぎるので、敵に回せないからなのです。
ファイザー、グラクソ・スミスクライン、アステラス製薬、藤澤薬品、明治製菓ファルマ、アボットジャパンなどそうそうたる顔ぶれです。

例外として、一度だけ、スポンサーに縛られないNHKが SSRI の攻撃性を特集した番組がありました。
2009年6月1日のクローズアップ現代です。今でも SSRI でグーグル検索すると簡単に視聴できます。

私はまだ復帰した華原朋美を見ていませんが、彼女の顔が、”帰ってきた顔”になっていることを祈るばかりです。