村上春樹は人生で巡り合った重要な本として、グレート・ギャッツビー、カラマーゾフの兄弟、ロング・グッドバイ(レイモンド・チャンドラー)の3つの作品を上げます。
その中で一つだけと迫られたらならば、迷わず、グレート.ギャッツビーを選ぶそうです。
若いころから、60歳になったら、グレート・ギャッツビーを翻訳すると決めていたそうなのです。
しかし、結局は60歳になるのを待てずに、この村上春樹訳は刊行されました。2006年の出版ですので、計算すれば彼が58歳のころでしょうか。
第一次世界大戦直後の好景気に沸く1922年のニューヨークを舞台として、西部の田舎者で資産も無かったギャッツビーが、その類稀なるアンビシャスによって大富豪に成り上がり、
ウェスト・エッグに豪邸を構えるところから物語は始まります。
ギャッツビーが、5年前に別れて、今では人妻となった女性と、よりを戻そうと画策するストーリーです。
ストーリーはまるで面白く有りません。魅力的なキャラクターも登場しません。というか、人間性としては、軽薄で虚栄心が強いというB級キャラのオンパレードです。
まともなキャラは、語り部である、ギャッツビーの豪邸の隣に住むニックだけです。
そのニックが30歳の誕生日に感じた一文が素敵でしたのでアップします。
僕は三十歳になっていた。目の前にはこれからの十年間が、不穏な道としてまがまがしく延びていた。
三十歳...それが約束するのはこれからの孤独な十年間だ。
交際する独身の友人のリストは短いものになっていくだろう。
熱情を詰めた書類鞄(カバン)は次第に薄くなり、髪だって乏しくなっていくだろう。
でも僕の隣にはジョーダンがいる。
この女はデイジーとは違い、ずっと昔に忘れられた夢を、時代が変わってもひきずりまわすような愚かしい真似はするまい。
車が暗い橋を渡るとき、彼女はいかにもくたびれた様子で僕の上着の肩に顔をこっそり寄せた。
そして誘いかけるように手を押しつけてきたとき、三十歳になったことの暗い衝撃は、僕の心から遠のき霞んでいった。
そうやって僕らは涼しさを増す黄昏の中を、死に向けて一路車を走らせたのだ。
村上春樹があとがきで述べるように、この作品は原文で読まないと、その素晴らしさは伝わらないということでしょう。
あとがきは、翻訳者として、小説家として.......訳者あとがきのタイトルで26ページも費やされています。
私は本文ではなく、このあとがきに村上春樹の才能を感じてしまいました。
グレートギャッツビーに対する若い頃からの思い入れ、そして翻訳を始めるにあたっての基本的なスタンスの確定、さらに原作者であるスコット・フィッツジェラルドの生涯にも話が及びます。
これは、あとがきというよりも、これ自体が優れた文学作品に仕上がっていると思いました。
それも、村上春樹文学の頂点に近いような....