はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

運動不足のせいだと?

2014年02月21日 | 糖質制限食
患者さんに、肥満症ですと告げた時に、必ずと言っていいほど返ってくる言葉は、"私は運動不足だから....."というものです。
運動不足が、ただ単に肥満の言い訳になってしまっています。
私は、"運動は確かに健康に貢献しますが、それだけでは痩せません。相撲取りを見てごらんなさい。食事が大切なのです。"と説明します。
しかし、患者さん達は、なかなか食事を変えようとはしません。あくまでも運動を始めることで対処すると言い張ります。
ところが、それでうまく減量できた症例は、見たことがありませんし、そもそも成功体験を持っておられる方はごく一部ですし、実際に運動を始める方さえ極めて稀です。
甘い物は、できるだけ控えて(時々は許されるのだそうですが)、3食をバランス良く食べて、毎日運動をするという、刷り込まれた健康法に宗教のようにしがみつくのです。

煙草を吸う人達は皆、禁煙しない理由をスラスラと並べたてることが出来ます。
かつては私もそうでした。太る、イライラしてストレスがたまる、便秘する、間が持たない、酒量が上がる、などなどです。

炭水化物も煙草と同じく嗜好品であるので、やめない理由は、いくらでも見つけることができるのです。

私は単なる肥満症の方には、まずはユルユルでもいいから糖質制限を始めるように勧めます。
しかし、糖尿病の患者さんにはある程度厳しく接します。
糖質制限を実行して、内服なしで生きていくのか、あるいは従来の3食バランス良いと言われる食事を摂りながら、内服薬の処方、さらにはインスリン注射を受けるようになることを選択するのかを問うのです。
そして、この数十年間、後者の治療法が日本で長らく実施されてきたこと。
しかし、その結果として現在、糖尿病による合併症で、毎年1万6千人が新たに透析を開始せざるを得ないこと、3000名が失明していること、3000名が下肢切断を余儀なくされていることを伝えます。

ところが、それでも糖質制限を受け入れない患者さんもおられます。
ここにカルテがありますが、50代前半の男性で、名前をAさんとしておきましょうか。
Aさんとは、私が、その母親の主治医であることから、20年以上の付き合いです。
若い頃のAさんは精悍なスポーツマン体形で健康面では何の心配もありませんでした。
ところが40歳くらいから少しづつポッチャリとしてきて高脂血症が出現しました。
彼は運動でクリアーしますと宣言し、見事に成功させました。珍しい成功例です。
ところが、リバウンドからは逃れることができませんでした。
実は、彼は一滴の酒も飲めません。採血の時にアルコール綿で消毒すると、皮膚が真っ赤に染まります。アルコール代謝酵素を全く持たないのです。
そういうタイプの男性はスイーツに走る確率が非常に高いのです。Aさんもアイスクリームやケーキには目がありませんでした。
そして平成15年のことでしたが、狭心症の発作がAさんを襲います。
PTCA(カテーテルを挿れて冠状動脈を拡げる手技)を受けたAさんは以後、毎月一度、はせがわクリニックへ定期処方をもらいに来るようになりました。
平成17年に随時血糖値178という高血糖データが初めて出現しました。
この時もAさんは運動で対処するので妻には内緒にしてほしいと言われ、見事に減量に成功されました。
平成19年HbA1C:5.9、平成20年HbA1C:5.8と順調だったのですが、体形はリバウンドを繰り返し平成22年の暮れに、突然血糖値:316、HbA1C:8.9となります。
当時の私は未だ糖質制限を知りませんでしたので、とりあえずは低血糖の心配が殆ど無いDPP-4阻害薬を処方しました。
順調に改善していき23年の7月にはHbA1C5.7、空腹時血糖:128となりました。私が糖質制限を始めた頃です。
そこで糖質制限の理論を紹介し、DPP-4阻害薬を中止しました。しかし循環器系の薬は毎月取りに来ます。
2、3か月に1回のペースで血液検査をするのですが、HbA1Cは5.9、6.3、6.4、、6.8と悪化していきました。
そして昨年のクリスマスイブには、7.8となり、空腹時血糖も142となりました。
その間、糖質制限については、ずっと、その必要性を、口を酸っぱくして説き続けましたが、彼がスーパー糖質制限に参加してくることはありませんでした。

そして、今年になって、Aさんは一度もはせがわクリニックに来られていません。
循環器系の薬が切れているはずですので、転医された可能性が高いようです。
彼がどこで、どのような治療を受けているのか心配でなりません。

結局、彼がスーパー糖質制限に取り組むことはありませんでした。
自分のムンテラ(言葉による治療)の拙さを思い知らされました。