老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1184;介護殺人

2019-07-01 04:31:36 | 文学からみた介護
他人事ではない介護殺人

自分が介護にかかわり始めた平成一桁の時代にも
介護殺人は起きていた。
介護保険制度がスタートしても介護殺人は起き続けている。

『介護殺人』のサブタイトルにも記されているように
「追いつめられた家族の告白」の書でもある。

社会の隅で、ひっそりと人知れず
介護を続けてきた家族

「ごめんな、ごめんな」
心の中でこう叫びながら。(55~56頁)

首にタオルを巻いた。

追いつめられた家族
すべてを抱え込んで孤立してしまった
昼も真夜中も介護に追われ、眠れない介護、つまり眠れない家族を介護している現実

追いつめられ、先が見えない介護ほど辛く、不安だけが増してくる。

自分のことだが、透析を続けていたとき
死ぬまで透析を続けなければならない
その不安は夜間透析を行うたびにその不安は増していった。
先の見えない透析治療に悩み
自分は妹に腎臓移植の話をした


介護を抱えた家族もそうでない家族も同じく感じることは
ぎりぎりの生活を強いられている老人家族が多い。

介護になった場合、国民年金だけでは必要な介護サービスを利用することができない
医療保険料や介護保険料は年々上がり、手元に残る年金額が目減りしていくだけ

恥ずかしいながら自分も月額手にする年金は十万円程度
寝たきり、認知症にはならないように、と思ってはいるのだが
認知症はわからない。
どんなきっかけで、認知症が発生するかは、わからない。


自分はケアマネジャーとして
在宅に住む要介護老人や家族と向かいあっているが
それぞれの心の内、切なさややるせなさ、不安を拾い上げ
それをケアプランに反映しているかどうか
本当に他人事ではなく、自分の事として捉えているか

介護者が休息できる介護サービス
緊急時や夜間に利用できるサービスはない
ショートを利用することも有効な手だての一つだが

ショートのサービス内容は十分ではない
それでもショートは必要なのだが
ショートの夜勤は、介護職員一人で20人の老人を介護している
昼間は椅子に坐ったままのサービス状態に置かれている
ショートを利用すると認知症老人は不穏になったり、歩けなくなったりするから
もうショートは利用したくない、という家族もいる。

介護が始まったら、一人で抱え込まず、ケアマネジャーに相談すること
ケアマネジャーもいろいろな人がいる
親身に話を聴いてくれ、行動を起してくれる人
自分の波長に合うというか、相談しやすいケアマネジャー
合わないないケアマネジャーは他のケアマネジャーに替えることはできる
そのときは地域包括支援センターに相談するとよい

本書の262頁を読み、いまも反省と後悔をさせられる
「一番辛い思いをしているのは母なのに、なぜ、優しい言葉をかけることができないのか・・・・・と自分が情けなく。
気付いたら無意識に泣いていることがあります」

自分も認知症の母に優しい言葉をかけることもできず、怒ったことがあった。

介護が原因で、大切な人を自分の手で殺してしまう哀しい人たちが(264頁)、社会の隅にひっそりと生きていることを、
受けとめ、老いや介護、そして死も含め
それらは、すべて自分の事として
一人の老人や家族から
ふと、思えるような刻(とき)を持てること

生きるとは、老いや死が背後からひたひたと迫りくることであり
どのような老いや死を迎えるかは・・・・

まとまらないブログになってしまった